〜お母さんからのメッセージは宝物〜

5歳のKくんのお母さんから嬉しいお便りをいただきました。

肺炎になりやすく入退院を繰り返していて、

今回の入院ではもうすぐ3週間になるそう。

「一時は状態が悪くなり、本人も家族もすっかり沈み込んでいました。

親としてあれが悪かったのか、これが悪かったのかな、と悶々とする日が続きました。

状態が落ち着いてからも歌ってあげるなど、気づいてあげる余裕は全くありませんでした。

病棟ではモニターのアラーム音が静寂の中響いていて、

病院はそういうもの

日常空間とは違うもの

が当たり前になっていました。

そんな中、SHJのアーティストの訪問により、

明るい歌声や優しい語り口、楽しい雰囲気に包まれたとき、

息子の動きが活発になり、笑顔も出てきてとても嬉しくなりました」

・・病棟とは機械的な音が始終鳴り響いている無機質な場所・・

・・そしてそれは何の疑問もなく当たり前であること・・

白くて硬くて機械的で無機質で・・・

そんな病院のイメージが誰の中にもすり込まれています。

いっぽう、病気を治すための機器や薬品や白衣の存在が、高度な技術のもと専門的な治療が集中的に受けられる安心感に繋がることは確かです。

しかしそれと引き換えに、

「楽しむこと」

「創造的な活動」

「人とのふれあい」

「ワクワクすること」

を諦める必要はないのです。

このお母さんのお便りから、

病院はもっと変わらなくちゃ、と思いました。

闘病中だからこそエンターテイメント、参加型ワークがなくてはならない。

そんな医療環境をもっともっと広めていく決意です。

Kくんが入院する病院では毎週活動をしています。

SHJの活動があるのがもはや前提。

生活のリズム作りに・・

参加型活動が子どもたちの自発性や高揚感を引き出す・・

そんな存在になっています。

このようなSHJの取り組みが広く必要とされ、当たり前になるといい。

各病院とSHJとの連携で、

「楽しい時間があるから治療に前向きになれる」

そんな安心感を、入院を余儀なくされる子どもと家族にプレゼントしたい。

さらに、お母さんは綴ります。

「退院しても、在宅療養中は児童発達支援施設などになかなか通えていなかったので、親子共々、とても楽しい時間となりました」

と。

医療的ケアなどを必要とするために在宅を強いられる子どもたちとの活動や支援はまだ始まったばかり。

今後の大きな課題です。

Kくんのお母さんからのメッセージは大きな励みになるとともに、

子供が安心して成長するための課題を改めて胸に刻むことができました。

〜ツッコミどころを作る〜

子どもが心から楽しい時。

  好きなことをいつまでもやっていていい時。

  できなかったことができるようになった時。

  ちょっと難しいことを頑張って褒められた時。

  お手伝いしてお母さんが嬉しそうにしている時。

  お友達と仲直りした時。

  欲しかったオモチャをゲットした時。

  自分の家でやると怒られることをばあばの家で思いっきりできる時。

  いたずらが成功した時。

  おやつがいつもより多い時。

それからそれから・・。

孫が来ると一番嬉しそうなのが、じいじがヘンテコなことを真顔で言う時。

それと、

じいじの間違いを発見した時。

つまり、子どもはダイの大人にツッコミを入れる時が一番幸せなのです。

「あれ?そうかあ、じいじ、間違えちゃった」

「えっと、なんだっけ・・」

と困った顔のじいじに、

「あのね・・」

と正解を教えてあげる時のなんとも言えない得意げな顔。

知らないなんてしょうがないなあ、

という顔で。

さらに得意顔がちょっと威張った顔になり、

「ま、わからない時はなんでも聞いてよ」

と締めくくる。

その時の自信に満ちた顔がまた愛おしい。

院内学級にいた頃に教員の重箱の隅をつつくのが仕事みたいな子がいて、

大人のタジタジぶりを楽しませてもらったのを思い出します。

2017/9/19投稿~SHJヒストリー9 Mくんとの再会

で触れています。

SHJの活動でも同じような場面があります。

これはもう病棟が笑いの渦です。

8/23投稿お医者さんがボケ役に?

にも綴った、大道芸人のさすが!の演出です。

パーフォーマーがボケ役に選ぶのは、

爆笑している看護師さん、

  「え?私?」

子どもに付き添うちょっと難しい顔をしたお父さん、

  「ちょっと待ってくださいよ~」

そして後ろの方で腕を組み感心しながらみんなの様子を見ているお医者さん。

  (おっと、しまった!という表情)

それでもみんな子どもの期待!?に応えなきゃ、という思いはあったかく、

頭を掻きながらも前に出てきてくれます。

この場面ですでに子どもたちの顔はみるみる笑顔と期待感でいっぱい。

パーフォーマーのさりげないファシリテーションが生き、

ツッコミ役の子どもたちは堂々たるもの。

その存在感はとっても大きい。

大人がしくじればしくじるほど・・。

大人の失敗は子どもにとって蜜の味。

SHJの生み出す人間ぽくってほんわか温かなコミュニケーションのひと時です。

家庭でも、学校でもやってみて!

子どもにバカにされたら困る、なんて思わないで。

案外、生きる力に結びつくかもしれません。

大人にとってもね (^_−)−☆

〜小学校英語教育〜

先日テレビ番組で小学校の英語教育について議論していました。

会話中心か文法も取り入れるか、

業界では見解が二分されているようです。

方針も定まらないうちにスタートした小学校での英語授業。

現場では、担任の先生が教員免許取得時にはなかった科目の英語を、

いきなりネイティブのALT(アシスタントランゲージティーチャー)の先生との

授業の組み立てに苦労している、

というのが導入の頃の実情だったと思いますが、改善されたのかどうか、

この番組を見ていて、あまり進展はなさそうだという印象を受けました。

結論から言うと、聞く、話す、読む、書くの4技能のうち、小学校では読む書くより聞く話す方が大事とか、2つに分けるものではないと思っています。

学校で英語を習う前にすでに小さいうちから英会話スクールに通っている子どももいますが、まずはじめての「英語」というスタンスで授業は進められます。

英語に親しむためにまずは歌やゲームなどで英語の”音”やリズムに慣れる。

そして簡単な日常会話。

そもそも、日常会話というのがどこまでの範囲なのでしょうか。

・挨拶

・基本的な自己紹介

・Do you like ~ ? Do you play ~ ?でやりとりするパターン練習

など。

これらはパターンを覚えてしまえば十分身につけられるし、困らないかもしれないけれど、ただ行って返ってくるだけの会話になりがち。

いったん挨拶なり自己紹介してそのあと会話が続くのか、というところが

「日常会話くらいでいいんじゃない?」

という発想の落とし穴です。

挨拶する、自分のことを聞いてもらう、聞いて必要な情報を得る、これでは会話は続かないし、深まっていきません。

相手が話していることを何とか理解できるようになり、それに対して、文法が少々まちがっていても、誤解されないような応答ができるようになれば、「日常英会話ができる」と言えると思います。

そしてその後どうしたいか、というところでしょう。

伝えたいことがあるから言語がある。日本語だって同じです。

伝えたいことあれば何としてでも伝えようと努力する、わかってもらいたい!と。

会話の出発点と言える「伝えたいこと」があるなしで、語学の習得に大きな差が出ると思います。

そもそも、どこの言葉かは抜きにして、

小さな頃から、家庭や学校でたくさんの会話があって、自分の思いを尊重してもらえる環境があることはもちろん、ことあるごとに、

どう思う?

どうしたらいいと思う?

と互いに考える習慣や、

意見を言い合い、互いの思いを受け止め合う習慣があれば、

自分から相手に伝えよう、感想を発表しよう、話し合おうというコミュニケーションへの高いモチベーションが持てます。

そのベースがあってこそ、語学の習得、ここで言うところの英語習得につながるのではないでしょうか。

こういった子どもを取り巻く環境作りが、英語教育を語る前にするべき大切なことです。詰め込み教育の中で対話が少なくなっていくのでは本末転倒です。

そして伝えたいことをより正確に伝えるためにはやはり、文章の構造や言語の裏にある文化など、授業で話題にするといいと思っています。

何度か書いていますが、教員時代に生徒に伝えてきたこと。

英語と日本語、主語以外は単語の並びが真逆であること。

これは突き詰めれば言語そのものというより、考え方や思考回路の裏にある文化の違いにあること。

言語は目的ではなく、手段であること。

道具があっても何を作るか決まっていなければ役に立ちません。

何を作りたいかで、道具を揃える。それと同じで、

伝えたいことがうんと心の中にあってこそ、語学は身につき、どんどん上達すると思っています。

そもそものコミュニケーションへの意欲が根底にあることが大前提ということ。

その上で、会話を重視する、と言っても文章の構造がわからないと行き詰るわけで、聞く話すと読む書く、どちらが先かという議論が必要なくなります。

余談ですが、

文法が全く異なる言語を話そうとすると、単語は知っていても文章を頭の中で考えているうちに会話がどんどん進んでしまう、というのが大抵の悩み。

そこで必要なのが、考えているのでちょっと待ってね、というアピール。

そんな「間をつなぐ表現」を幾つか知っておくと、会話も続けやすくなります。

また別の機会にその例を紹介したいと思います。

〜「置き勉」〜

ランドセル、一番重たい日で9.7キロ!

1~3年生の場合。

教科書4冊、ノート、ドリル、プリント類で、ランドセルと合わせると計5キロ。

さらに両側に給食袋や体操着入れなどをかけたりまた上履きなどを無理やりランドセルに入れる子もいるだろう。結果、平均の重さは約7.7キロ!

家に帰りランドセルを下ろした途端、「肩が痛いから、モミモミして」と訴える子続出!。

「健康や成長に悪いのでは?」と心配する母親の声が聞こえてきます。

荷物が重くなった理由は、

小中学校の授業時間が増えたこと。

教科書のページ数が増えたこと。

教科書協会によると、小学校の場合、2015年度は10年前に比べて3割以上増えたとか。

この増加に反比例するのが夏休みの日数。

机に向かう時間を増やしていったい何が学べるというのか。

詰め込み教育は、自分の人生を切り開くための学びに必要な時間を奪う。

夏休みというのは発見や経験、多様な事を知る大きなチャンス。

自分で見つけて自分で考えて、どうしてだろう・・と思いを巡らす。

どうしてだと思う?

ああでもない、こうでもないと話し合う。

不思議だなあ、と思ったら自分で調べる。自分で聞く。

思いもよらなかった発見があるかもしれない。

果たして教科書の中に思いもよらなかった発見がある?

新しい知識満載!確かに。

しかし、それを楽しむ余裕なんかない。なぜだ?とか考えてる暇はない。とにかく覚えなきゃ。

ここで本題。置き勉とは?

宿題の出ていない科目の教科書を学校に置いて帰ること。

「置き教科書」

ならぬ、

「置き勉(強)」

家で勉強しなくていいならいいのにね。

屁理屈をこねる子なら

「置き勉だから家で勉強してきませんでした~」

なんて言いそうです。

宿題に何が出たかで持ち帰るものを仕分ける、置いておいていいものは?

と判断するのも考える練習になりそうだけど、それなりに十分な時間を確保してほしい。

漢字1つ覚えるより「自分で考える」「判断力」「見通しを持つ」などの力が身につくだろう。

しばらく使わないから家に置き勉しよう、という発想もあるだろう。

文部科学省は小中学生の持ち物の重さや量を軽くするよう、全国の教育委員会に通知したそうだ。

いかにも子どもに寄り添ってる風だけど、矛盾してない?

このままページ数を減らさないなら、

この際、2冊ずつの配布はどうだろう。

1冊は学校に置き勉。もう1冊は家に置き勉。

教科書は無償だから家庭に負担はかからない。

無駄に使っている税金を当てればいいだけ。

これを機会に、ノートも鉛筆も体操着も何もかも無料で配ってくれたら・・。

子どもは何より大切な宝です。

生まれて数年の小さな子を肩こりなんかで悩ませないで、のびのび成長できるように、

さあ!文科省さん、小中学生の荷物を軽くするために

教科書2冊ずつ配布しませんか?

〜非認知能力とは?〜

「全米最優秀女子高生の母」

ボーク重子さんの教育方法が話題になっているというのを新聞で読みました。

「自分で人生を切り開き、どんな時も自分らしく幸せに生きられるように育てたい」

と考え、主体性や自己肯定感、社会性、自制心など、人間としての基本的な力を身につけさせる教育をした結果、我が子が全米最優秀女子高生コンクール*で最優秀賞を受賞したというもの。

*全米最優秀女子高生コンクール 女子高校生が時事問題に関する意見や、音楽、ダンスなど特技を発表し学力、知力、コミュニケーション力、自己表現力を競う。優秀な生徒に奨学金が贈られる。1958年から開かれ、各州と自治区の予選を勝ち上がった代表が全国大会に出場する。

ボークさんの教育方法の柱が「非認知能力」。

学校での教育が認知能力(数がわかる、字が書けるなど、テストの点などで数値化できるもの)だとすると、

「非認知能力」とは、目標に向かって頑張る力、他の人とうまく関わる力、感情をコントロールするなどの力です。

「非認知能力」を養う教育の具体例を挙げると、

受動的なおもちゃ(ゲームやテレビ)ではなく、能動的に遊べるおもちゃを活用すること。

例えば身の回りどこにでもあるような廃材、紙、段ボールなど。工夫したり想像力を駆使してもの作りするような活動が良いと思います。

お絵描きや粘土、工作など創造性を豊かにする遊びはとても有効。夢中になって遊びこむ時間をたくさん作ることも大切だと感じます。

うまくいかないときにすぐに諦めることのないように「どうしてかな」「こうやってみよう」「この方法ならどうかな」など、目標の達成まで頑張る姿勢を身につけることです。

失敗しそうな時、「こうしたら?」とアドバイスしてあげると、頑張りが続き、「頑張ればできる」という習慣が身につくかもしれません。我慢できること、感情をコントロールする力なども養われるでしょう。

たとえ始めはうまくいかなくても、まわりの意見を聞き学ぶ意欲を持ち続けると、次第にできなかったこともできるようになり、伸び幅が大きいといいます。

また、自分で考えやってみてその過程の良いところをまわりの人が見つけてくれて褒めてくれたらどうでしょう。

とかく結果(数値はテストの点数)で親子とも一喜一憂してしまうことが多いものですが、こんな環境ならやり直しのきくたくましさが培われる気がします。

結果があまり気に入らなくても、やり方に工夫したところに気づかれ褒められたら、自分はこのままでいい。大事にされている、と実感します。

ボークさんは、小学校1年生の頃から毎週日曜日の朝、親子三人分の朝食を任せたそう。台所にあるものを使ってできるものは?そんな工夫や考える力が自然に身につき、さらに任されることで、「自分は必要とされている」と感じることができます。だからこそのびのびと育っていける。

意見や考えを押し付けたりせず、

どう思う?

あなたらならどうする?

と折りにふれ意見を聞いたと言います。

思考力や表現力を育むのに、これほど効果のあることはないでしょう。

「自分の思っていることを言って良い」

という自信にもつながり、将来人間関係の構築にも困らないような気がします。

どうやら、

🌀「認知能力」を身につけること=机上でできるもの=紙と鉛筆絵を使って身についたもの=個人を合理的に評価するための数値

🌀「非認知能力」を身につけること=体感しながら培うもの=身体を使って身についたもの=自分で人生を切り開いて幸せになるための能力

と定義されるかもしれません。

前者は人生を楽しむためには必ずしも直結しないけれど、後者は一生残る自ら切り開く力と言えそうです。

ちなみに、IQを高めるような早期幼児教育を受けている間はその数値は急激に伸びますが、9歳ごろになるとIQの差はほとんどなくなるそうです。

幼児期に認知的な能力を高めることが、その後の人生の成功や安定につながっているのかというとやはり、あまり関係がなさそうです。

はい、机に向かって勉強、勉強!

ではなく、 

どんな小さな子にも、

意見を話す機会を、

話し合う習慣を、

自分でやってみる環境を、

失敗してもやり直せばいい雰囲気を!