〜SHJヒストリー11 ヒントをくれた自立活動の時間〜

特別支援学校は、視覚障害者、 聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む)に部門が分かれています。様々な教育課程があり、どの教育課程にも「自立活動」という時間が設けられています。「自立活動」とは、

「個々の児童又は生徒が自立を目指し,障害による学習上又は生活上の困難を主体的に改善・克服するために必要な知識,技能,態度及び習慣を養い,もって心身の調和的発達の基盤を培う(学習指導要領より)」

内容は、健康の保持、心理的な安定、環境の把握、身体の動き、コミュニケーションとなっています。

この「自立活動の時間」が普通校にないユニークなひと時となります。

本来、障害による困難を克服して自立的な生活を目指すというのが目的ですが、院内学級の場合、病気による困難を克服するのは医療。もっぱらその目的は入院生活を送る上での課題解決ということになり、内容は各学級の裁量に任されています。

東大病院では、週に一回の自立活動の時間が基本的に全学年合同で行われていました。企画運営する学年が輪番となっていて、担当になった学年がリーダーとなって仕切ります。教科授業は前籍校の教科書を使って学習するために個別的になりがちです。そのため集団の活動を確保し、社会性やコミュニケーション力を身につけるためばかりでなく、学年を超えた関わりが持てる画期的な授業でした。季節に合わせたイベント的なものが多く、リーダー学年は、放課後も病棟でミーティングする場面が見られ、頼もしく感じ、微笑ましかったものです。

東大病院に4年いたのち、世田谷区にある国立成育医療研究センターの院内学級に異動しました。

こちらの自立活動の時間は、東大病院のそれとは全く違う観点で行われていました。入院生活におけるストレスに課題を置き、心の安定をその目的とし、一人一人が興味のあることで気分転換する時間となっていました。子どもたちが一番生き生きするお気に入りの時間です。

ゲームが好きな生徒は盤ゲームやUNOなどのカードゲーム。時には集まって映画鑑賞をすることもありました。

そして、やはり女子たちは手芸やクラフトが何より好きで、おしゃべりも一緒に盛り上がるとびきりの時間となっていました。作ったり描いたり、バレンタインの頃にはチョコレートを作ったり・・そんなクリエイティブな活動は、心からの笑顔が全員に見られ、そんな子どもたちの中にいることが最高に楽しかったものです。授業時間では足りず、病室で引き続き盛り上がる、という流れはしょっちゅうでした。

この時の感覚がSHJの原点とも言えます。

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〜SHJヒストリー10 総合の時間、英語の授業もSHJのヒント満載!〜

行事の思い出の中で特に印象に残っているのが毎年秋に行われる学習発表会。

その年の中高学部の出し物は「海外特派員報告」でした。

担当の英語の授業と総合的な学習の時間に、横断的に行っていた国際理解教育の総まとめを、テレビ番組仕立てにしました。

環境問題や人権問題などの中からそれぞれ1つテーマを決め調べたことを、「特派員」として現地からリポートするという設定。

英語教員だからというのももちろんありましたが、遠い世界に思いを馳せ広い視野に立ってほしい、と強く願っていたのが国際理解教育を積極的に進めていた理由です。病院という閉鎖的な空間にいると、とかく近視眼的になってしまうもの。”病気になって友達と引き裂かれた可哀想な自分”と決めつけ、そこにとどまってしまう。そんなうつむいた顔を上げて少し遠くを見る、海の向こうに気持ちを向けることで固まっていた心が解き放たれることを期待しました。飢餓や戦争で明日もわからない地域、紛争で国を追われる難民、温暖化など自然条件の変化の中、絶滅の危機にいる動物たち、言論の弾圧や女性差別、人種差別で計り知れない苦しみを抱える人たち。

特に少年兵の話、女の子が教育を受けられない国があることなどがテーマに上がると、自分だったら・・と気持ちを置き換えて話し合う機会にもなりました。

そんな中、中2のHくんは、「僕はやっぱり身の回りのことをテーマにしたい。日本からの報告、ということでいいかな」

”日本で進むユニバーサルデザイン”と題し、院内を取材しました。インターネットでささっと調べるのではなく、病院という公共施設に自分がいることをあえて利用したHくん。さすがです。私の思惑としては次の段階として海外ではどれくらい進んでいるのかな・・というところまで発展するといいな、と考えていたけど、体調の悪い日が多い中、院内を自分の足を使って実感し完成となりました。

まず定義を調べて・・

「障害の有無、年齢、性別、人種等にかかわらず多様な人々が利用しやすいよう都市や生活環境をデザインする考え方【障害者基本計画】」

そうか、普段何気なく利用しているものにも、なるべく多くの人が使いやすく設計されているものが多いんだね。

👣

トイレの表示は大きくてわかりやすい。

エントランスは自動ドアで誰でも楽に利用できるね。

エレベータ内のボタンは車椅子の人でも届くところについている。

・・・・

病院だけあって、一番のユニバーサルデザインはボランティアさんたちの存在じゃないかな。

なるほど!

受付のあたりではエプロンをかけたボランティアさんたちが迷っている人に説明したり、荷物を持ったりしている。廊下では車椅子を押したり、にこやかに話しながら案内したりしている。

完璧なユニバーサルデザインは存在しないことを確かめてから、

それを補うのはやっぱり温かい人の心だね。

この日はHくんの気づきから私は大切なことをまた一つ教えてもらいました。

👣

取材を終えたHくんはパワーポイントに写真を取り込んで、キーワードを入れ、発表原稿をせっせと仕上げていました。

当日。

🎤

「では次です。ここ日本でユニバーサルデザインがどれだけ進んでいるか。東大病院からHさんのリポートです。Hさ~ん」

「はい。こちらHです。1990年代にアメリカで始まったユニバーサルデザインですが・・・」

🎤

海外としっかりリンクさせたHくん。私の思惑、バレてました。

学ぶこと、追究することはすなわち、人と共感し、相手の立場に立ってものを考えられるようになること。そして生き方を模索すること。授業のたびに、ささいな毎日の積み重ねが、将来の希望の種になればと考えながらの、英語の時間、総合の時間が本当に楽しかったものです。

学びあう、気づきあう、共感する。ワクワクする。

子どもたちが私の先生。

Does happiness help healing?〜楽しい心は治癒を助けるか〜

Yes! indeed!

不治の病いを笑って治した医療ジャーナリスト、ノーマン・カズンズ(1915~90)の著書「笑いと治癒力」の中で彼は、

想像力、陽気な喜び、積極的情緒は、治癒のための活力増進剤である

と言っています。

これはそのままスマイリングホスピタルジャパンの理念となっています。

子どもたち、家族、医療スタッフに時折アンケートをとって活動がプラスに受け止められているのか、辛口意見も含めて感想をいただき、質向上に取り組んでいます。アーティストの愛溢れる工夫と技には頭がさがる思いです。

ところで、2011年、ハンガリーのアンドラス・ベレス博士とタマス・メイヤー博士率いるスマイリングホスピタル調査チームが入院中の子どもを対象に、病院訪問がどれだけの効果をもたらすのか、科学的に調査しています。

ハンガリー保健省の許可を得、カポシ・モール教育病院の無菌室で無痛法で採血、活動30分前と1時間後の数値の差を見ると、アーティストの訪問を受けた24人の子どもたちのうち、13人はリンパ球数の増加を示し、8人は変化なし、減少を示したのは3人。訪問を受けなかった9人は、順に4人、3人、2人という結果になりました。結論として、アーティストの訪問が免疫に良い影響を及ぼす可能性を表しています。
PubMed米国立生物工学情報センター(NCBI) 学術論文データベースより

SHJの活動を説得力を持って広げていくためにはこのような科学的裏付けが欲しいところ。

日本の病院で同様の調査を実施するためにはSHJがもっともっと今以上に信頼を得、研究者に協力してもらってやっと可能性が出てくるレベルの話。調査対象数もこの調査より多くして、より信ぴょう性のあるデータを作成すれば、医療機関は”SHJと組んだら相乗効果が見込める!”とさらに期待してくれるかも。

それとも、カリフォルニア大学医学部大脳研究所教授でもあったノーマン・カズンズ氏の、患者としての実体験に基づく言葉

想像力、陽気な喜び、積極的情緒は、治癒のための活力増進剤である

を胸に、エンターテインメントにとどめておくだけで十分なのかもしれないとも思ったり・・。

医師という科学者にとっては数値的根拠が欲しいのだろうけれど、医療の主役である患者の立場からしたらとにかく入院生活を生き生きと楽しいものにできたらというのが心からの願いだろう。しかし患者の元へいくためには病院にyes!と言わせなければならない・・。

・・・ええい、堂々巡りはやめて、さあ今日も子どもたちのところへ!

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〜SHJヒストリー9 Mくんとの再会〜

私が院内学級に配属になったと同時に小学校に上がったMくん。

とても賢い男の子で屁理屈ばかり言って教員たちを困らせていた頼もしい子。

私はといえば、その頃小学5年生の担任だったからMくんと直接関わることはなく、それをいいことに教員たちのタジタジの様子を楽しませてもらっていた”ずるい教員”でした。

    「先生、それは~じゃないの?」

    「先生、さっきと違うね」

    「先生、あーそれ知ってる知ってる」

    「先生、じゃあなんで・・はxxなの?」

    「あー、先生もわからないのかぁ・・」

思い出したらきりがない。面白かったなぁ。あっぱれ!!なんて心の中で叫んでた。

大人が困ったり失敗したりする姿は子どもにとっては蜜の味。わかるわかる・・。子どものいたずらに共感してワクワク元気になるのは私だけ?

当時小学低学年を担任していた先生たち、ごめんなさい。。

でもいつも上からものを言う大人、ギャフンと言わせたくなっちゃうんです。

スマイリングホスピタルジャパン初回活動の日、「Mくんに会いますか?」と保育士さんに案内されたのは12年前と同じ病室。立派に大きくなったMくん、太い声でボソボソと「先生、久しぶり」。あんなに散らかし屋さんだったのにきちんと整理整頓されたベッドサイド。彼の屁理屈が目の前の几帳面さと重なりました。3月で高校を卒業するという。

結局彼の病気の正体は私には分からずじまい、難しい病気と様々な症状のために、私がいたころは数回家にお泊まりに行く程度でした。

「Mくん、久しぶり!大きくなったね。スマイリングホスピタルジャパンの活動がプレイルームであるけどよかったら参加してね」

「うん、ありがと」一度も参加してくれなかった。高校を卒業するってことはもう大人。みんなと歌ったり作ったりなんてやってられない?年頃になったんだなぁ。

就職は入院しながらを検討中と聞いていたけど、どうなったかな。今は障がいがあっても在宅で遠隔通勤ができるからそのシステムを利用するのだろう。

SHJのホームページの原型はまさに重い障がいを持つ方が数名のチームを組んで在宅で作ってくれたもの。遠隔会議を通して私のわがままを形にしてくれたのだ。Mくんだって同じように病室で活躍できる。

ただ、病院がそれを受け入れるのか、難しいところだろうけど、実現したら画期的だ。入院期間中の電気使用については、充電OKなのはタブレットまで、パソコンの持ち込みは禁止など、制限が壁だったりする。

生まれてからほとんどを病院で過ごすMくん。

理屈っぽい彼は、彼に与えられた特別な使命を、そしてその意味を見い出して、きっと世の中のために行動してくれるような気がする。

「入院しながら就職」

病院を理責めで説得してパイオニアとして実績を積み、病院に居ながら当たり前に就職できる社会を作っていって欲しい。

スマイリングホスピタルジャパンはといえば、院内学級の元生徒が、現在病室で広報を担当。ベッド上でリハビリ兼ねて頑張ってます!

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〜SHJヒストリー8 心臓移植を待つFくんに教えてもらったこと〜

渡米して心臓移植を待つ子どもとの交流でも多くの気づきと学びがありました。

拡張型心筋症と診断され入院してきた5年生のFくん。

ひょうきんで人を笑わせるのが大好き。いたずら好きなところが気の合う理由。小型の冷蔵庫ほどもある人工心臓に繋がれ、容易に病室から出られない。それでも辛いなんて文句の一つも言わない。そんな明るいFくんはみんなの人気者。廊下を数人の医療スタッフを従えて何処へやら?売店?お散歩?出かける風景を何度も見かけました。

病室ではミサンガ作りで何度も盛り上がりました。いろんなビーズを所々にあしらって・・。この活動はSHJの原点でもあります。開始直後、アーティストがまだ2名の頃、人手不足を補うために私が「なんちゃってアーティスト」に。Fくんと作った残りの材料に少し買い足して、病棟プレイルームで「ミサンガ作りの会」をしたものです。

SHJなんちゃってアーティストによるミサンガ作りの会で並べた見本 この中にFくんと活動した時のもある
SHJの活動で。腕が固定されていた女の子。ミサンガアンクレットがおしゃれ!

2008年に国際移植学会が「移植が必要な患者の命は自国で救える努力をすること」とするイスタンブール宣言を出したことを受けてか、改正臓器移植法が2010年7月に施行され、日本でも臓器提供者の年齢制限がなくなり,小児からの脳死臓器提供が可能になりました。しかしFくんが入院してきたのは改正前。米国などを除き、外国人への提供を認めない国は多く、渡米する以外治す方法はありませんでした。

必要費用は、医療費、渡航費、補助人工心臓、滞在費、その他経費合わせて一億円に上りました。

家庭だけでまかなえる金額ではなく、有志により「Fくんを救う会」が設立され、募金活動が始まりました。

居ても立っても居られなくて、チラシをもらって近所にお願いして歩いたり、マンションの管理組合に理解をもらってポスティングしたり、微々たる力でも自分にもできることをしようと活動していました。

組合には理解してもらったけど、個人的に疑問を投げかけてくる人もいて悲しい気分になったことも。

  「救う会」とか「守る会」とか、ちゃんとした団体なの?

  集めた金を別のことに使ってるんじゃないの?

  目標金額が高すぎるけど、本当にそんなに必要なの?

善意で必要額が集まり、いよいよ渡航。病室から救急車に乗り込むまでの間、一緒に過ごした時間を思い出す。教員、看護師、医師みんなで見えなくなるまで手を振り無事移植が成功して笑顔で帰ってくることを祈りました。

現在すっかり元気になったFくん。好きな野球も再開して、いくつになってもあの茶目っ気で周囲を明るくしてるんだろうな。

臓器移植法が改正されてから、これまでに十数名の小児の脳死臓器提供があり,成人からの提供を含めて十数名の小児が国内で心臓移植を受けることができたといいます。しかし、臓器提供は結果として子の死を選ぶことになり家族にとって辛く重い決断。ドナーが足りないため待機期間が長い日本では,身体の小さな小児は,未だに海外渡航しているのが現状。法改正を受けても日本では小児の脳死に対する考えかたは多様で、倫理的にも議論が絶えない。それでも2010年7月~2015年3月に18歳未満で「提供の可能性がある」と連絡を受けたにもかかわらず、そのなかで83例が提供に至らなかった。理由は「施設の体制未整備」が最多で17.5%だった(日本臓器移植ネットワークの調査)。

苦渋の思いで我が子の臓器提供を決意した家族の思い、そこに至るまでの葛藤を思えば決して無駄にしてはならない。関係医療者がもっと積極的にこの問題に取り組むこと、医療機関は移植を巡る体制を見直し整備することが課題だ。