〜アートないち日 ライブペインティング〜

SHJ登録アーティスト、イラストレーター真鍋麻里さんのライブペインティングは新日本橋のegoというギャラリーバーで。店内は油絵や版画を中心としたアートが壁一面にディスプレイされています。お酒を飲みながら芸術鑑賞。ああでもない、こうでもないとアート談義に花が咲くおしゃれなスペース。オーナー自らアーティストで、数年前ロスから来日し、東京が気に入って住み着いたそう。

麻里さんはポップなイラストが人気で、一言で塗り絵と言っても、老若男女全てに対応したモチーフが魅力。

小さな子には塗り絵のリクエスト。お花、乗り物などお題を受けると、すぐさまさらさらと可愛い塗り絵ができます。好きな色で塗るから麻里さんと二人のオリジナルアート。イラストを台紙にした貼り絵は、布やリボンなどいろんな素材を楽しめることもあってこちらも人気の的。

ティーンズや大人向きのイラストは細かく美しいだけではなく、塗り進めていくと実は何かが隠れていて、見つけた時のサプライズが嬉しい趣向を凝らしたものも!

神奈川子ども医療基金の助成を受けて、神奈川県立こども医療センター廊下の真っ白い壁に壁画をしたこともありました。病院の壁はとにかく白い!麻里さんのポップアートで花を添え、もっともっと患者さんの笑顔につなげられたらと思います。

広がれ!病院の壁画アート。

さて、真っ白な階段にペイントする、と聞いてビール片手に楽しみにしていると、麻里さんファンが続々と来店。当の壁画は遅々として進まず・・。聞けば23時すぎまで描いて未完成。これからも少しずつ描き足していくのだそう。

帰る頃にはお店は大にぎわい。後ろ髪を引かれながら帰路につきました。

 

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ego

💖つむちゃんはモテモテ

小さい子どもが言葉の意味を獲得する過程で、間違った使い方や珍問答で周りを爆笑させることがよくある。我が家にはダジャレを生きがいとするじいじがいるからさらに混乱を招く。

それでも来年小学生の孫はじいじのダジャレが大好き。言葉遊びができるようになってきた孫は、目下じいじのダジャレ一番の理解者。

さて、ある日の会話。

つむちゃんね男の子にモテるんだよ。

お兄ちゃんがそう言って妹の人気ぶりを教えてくれました。

妹のつむちゃん、3歳。

肌が浅黒く、目が大きくて運動神経がやたらに良い、登れるところがあったら何処へでも登っていく、捕まるところがあればどこでも捕まって体をひょい!と回転させる。

自分の小さい頃を見ているよう。

でも3歳にしてモテはしなかったから、時代が変わると昔スルーされていたものも、そのうち日の目を見ることもあることが証明された。

へえ~つむちゃん、モテるんだ。

そう言われてくねくね照れながら、まんざらでもないそぶり。

媚びているわけでもないはずなのに、3歳にして女子!

つむちゃんの一挙手一投足、話し方にじいじもイチコロ。

なるほど、この子は今で言う「女子力が高い」。

ピンク好き、フリル好き、おしゃまな仕草を見ているとなるほどな、と思う。

母親は媚びる女は大嫌い!というタイプだから、つむがくねくねしていると、また始まった、と呆れ顔。

それでいてつむちゃん、きっぱりとした意志の強さを兼ね備えた、芯の強いしっかり者でもある。

そんなわけで、どれくらいモテるのか、つむちゃんに聞いてみる。

私に聞かないでよ~という感じでくねくね。

じゃあ、お兄ちゃんに聞こう。

お兄ちゃんと同じ保育園だからお兄ちゃんのお友達がつむちゃんのこと取り合ってるのかな。

お兄ちゃんはすました顔で、

そう、つむ男の子持てるんだよ。

・・・・・・・

なんと、全くの誤解であった。

つむちゃんは男の子を抱っこできるそうだ。

もっとも最近では男勝りな女子もモテるみたいだよ、つむちゃん。

〜テーンエイジは音楽への目覚め(思い出3)〜

小学校の高学年になると洋楽に目覚めました。

そのきっかけはサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」。耳にした途端、目の前の世界が全くべつのもののような感覚を覚えました。

こんなに美しいメロディー、ハーモニーがあるんだ!

そこからはビートルズ、カーペンターズ、イーグルスと進み、中学校へ入ると毎週土曜日14:00FM東京オンエアの「ダイアトーン・ポップスベスト10」を聴くために、下校後もグズグズと仲良し同士で校庭でおしゃべりする生徒たちを横目にさっさと帰宅。

エア・チェックでカセットテープに録音。そんな時代だったんです。

英語は習い始めでディクテーションなんかできないから何度も繰り返し聴きながらカタカナで聞き取る。

この自作の歌詞カードを見ながら、お気に入りの曲をアーティストに合わせて一緒に歌うのが至福の時間でした。

気持ちよかったな~。オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」大ヒットの頃。

英語教師になってから、オリジナルカタカナ歌詞カードとカセットプレーヤーを友に一人カラオケしたあの、カーペンターズ”Top Of The World”をクラス全員で思いっきり歌った時は楽しくて楽しくて。

生徒たちの一生懸命に、そして心から楽しそうに歌う様子に、”あの頃”を思い出して思わずひとり苦笑いでした。

思えば、3歳頃からの自分が今の自分につながってくるから不思議です。いえ、当然なのかな。

作ること描くこと歌うことが大好き。だけど芸術を専門的に勉強しなかった。芸術家として活動しているわけではない。一つの分野を極めたわけでは全くない。

だけど大好きな芸術に囲まれてたくさんのアーティストに共感してもらい、日本中の病院、施設の子どもたちにアートを届けることになった。こんなにアートが好きなのに1つのことを極めることをしなかったのが、団体を運営していく上でかえってよかったのかもしれない。それも導かれたということかも・・。

幼児期から半世紀後!までの軌跡にさまざまな出来事が重なって、その全てが1本の道へ繋がっていたんだと気付く。

理不尽に悔し泣きし、命を落としかけても、何か偉大なものに包まれて生かされてきたことを知る。

努力なんて無縁だけど、これでよかったんだと。

決して流されるのではない。起こることに抗うことなく、まるで流れるように生きてきたようだ。ああ、川の流れのように~♪

とりあえず結果オーライ。

いつこの仕事をすると決め目標を定めたのか・・どんな準備をどれだけの時間をかけて・・?

残念ながら目標に向かって念入りに準備、などという計画性は皆無。

全ては偶然?必然?の出来事、出会いが導いてくれただけ。

幼少期の思い出〜その2〜

感傷に浸るのは夏の終わりのせいばかりではない、年を重ねると幼い頃をふと思い出す事が多くなります。今日は小学生の頃を書いてみよう。 

肌が浅黒く目や鼻が大きい(!)私はどちらの出身ですか?とよく聞かれます。

小学校に上がると外人が入ってきたというニュース!?を知って上の学年の意地悪な男子たちがガヤガヤと1年1組に集合。「ガイジンだ、ガイジンだ!」と囃し立てたものです。

その頃は、まだ外国人が珍しい時代でした。そもそも私の両親はともに日本人、とうぜん私は日本人です。なぜか生まれつき変わった顔つきの私が標的になったというわけです。廊下で足を引っ掛けられる、下校時は通せんぼされる、等々、百歩譲って表現すれば子どもらしい意地悪をされたものです。

もともと一人でいることが好きだった私はいじめられてますます一人でいるようになりました。寂しいな、とかつまらないな、とか思ったことはなかったように思います。

家に帰っても、洋裁で忙しい母は迫る仕上げの期日に向かって年中奮闘、ミシンの方ばかり見ていましたし、出版社に勤めていた父も毎晩帰りが遅く、家庭にいじめられていることなど相談できる空気はなく、幼な心に、自分の中で解決していました。

しぜん、一人でできることで楽しむ術をどんどん身につけていったようです。母の仕事柄、家には布の端切れが日常的に散らかっていましたから、好きな柄のものをもらって人形や袋物を作ったり、綺麗なボタンのコレクションをして秘密の宝物箱を作ったり。近所のおばさんに編み物を教えてもらって夢中で編んだり。お気に入りの空き地を通り抜けたところにあったお習字の先生のところに通い詰めるほど、書道にはまっていたのは確か3年生の頃。鉄棒への情熱は幼稚園時代からも引きずり、跳び箱、水泳、かけっこと進み、毎年リレーの選手だったこともあって、「運動会は私の舞台」と勘違いしてた気がします。

3歳の頃から小学生いっぱいはとにかく運動すること、何かを作ることで毎日が楽しくて仕方なかったんだろうな。

家族の中では、三人兄弟の真ん中で何をやっても目立たない、褒められもしないし叱られもしない、スルーされてたから、それならと傍観者みたいな変わり者を決め込んでいた覚えがあります。

続く・・。

〜美しい心〜

朗読家、川島昭恵さんの活動をアシスト。日赤医療センターは初めてなので緊張するなぁ、と茶目っ気たっぷりに話す昭恵さんは幼い頃に感染症が原因で視力を失ったアーティスト。見えないどころか、こころの目で周りを深く感じ見る、見るという次元を超えてすべてを洞察しているという感じ。

子どもの前に座る。名前を聞く。ゆっくり待ってから名前を呼ぶ。自己紹介。ゆっくりゆっくり。

私ね、目が見えないんだ。だから字を読むのではなく点字を読むね。 点字って知ってる? 点字本のブツブツを触ってもらう。

言葉の出ない子どもにも、ゆったりと話しかけながら何かしらの反応を待つ。空気の動きを感じとると、そうか、じゃ読むね。1ページごとに「めくるよ」と声かけ。優しく優しく・・。

小さな子どもには点字付き絵本。文章の上に透き通った点字が並ぶ。指で読んだら絵のページを横になっている子どもの高さや角度に合わせてゆっくり見せる。見せながらお話のイメージを対話を通して子どもと作っていく。

小学中学年以上の子どもにはイメージだけの世界。

真っ白なツルツルの紙に点字の凸凹が並んでいる。色なんかない。あるのは登場人物さながらの声の調子と行間の広がり。そして指先でなぞりながら子どもに向いて語る美しい笑顔だけ。

どんな力があるんだろう。昭恵さんは朗読する、というより、読みながら目の前の人と魂の交流をしているみたい。

フリースクール、ハンセン病療養施設等の傾聴ボランティアをしていたこともあるという。どんな立場の人にも”寄り添う”懐の深さや深い愛情があふれている。”共感”という言葉が浮かぶ。

確かに物語が進んでいるのに、そこに聞く人とのやりとりが確かに、確かに存在している。

病室は魔法にかけられたみたいに穏やかな心地よい風が渡り、そこにいる者の心を洗っていく。

昭恵さんの読む顔をじいっと見つめてその表情から目を話さない子どもたち。

ひとつお話が終わるともうひとつ・・。もっと読んでほしくなる。素直な子どものリクエストに、昭恵さんも子どもに戻ったみたい。

美しい心に人の心は洗われる。

昨日の嫌な出来事も、さっきの小さないざこざもすっかり洗い流してくれる。

美しい心に出会えた日は心が軽やかになってスキップさえしたくなる。こだわりはどこかへ消え、うつむいた顔は空を見上げる。

美しい子どもたちと、子どものように美しい心の持ち主と。

圧倒され、ほんの少し私の心も綺麗になったみたい。