〜テーンエイジは音楽への目覚め(思い出3)〜

小学校の高学年になると洋楽に目覚めました。

そのきっかけはサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」。耳にした途端、目の前の世界が全くべつのもののような感覚を覚えました。

こんなに美しいメロディー、ハーモニーがあるんだ!

そこからはビートルズ、カーペンターズ、イーグルスと進み、中学校へ入ると毎週土曜日14:00FM東京オンエアの「ダイアトーン・ポップスベスト10」を聴くために、下校後もグズグズと仲良し同士で校庭でおしゃべりする生徒たちを横目にさっさと帰宅。

エア・チェックでカセットテープに録音。そんな時代だったんです。

英語は習い始めでディクテーションなんかできないから何度も繰り返し聴きながらカタカナで聞き取る。

この自作の歌詞カードを見ながら、お気に入りの曲をアーティストに合わせて一緒に歌うのが至福の時間でした。

気持ちよかったな~。オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」大ヒットの頃。

英語教師になってから、オリジナルカタカナ歌詞カードとカセットプレーヤーを友に一人カラオケしたあの、カーペンターズ”Top Of The World”をクラス全員で思いっきり歌った時は楽しくて楽しくて。

生徒たちの一生懸命に、そして心から楽しそうに歌う様子に、”あの頃”を思い出して思わずひとり苦笑いでした。

思えば、3歳頃からの自分が今の自分につながってくるから不思議です。いえ、当然なのかな。

作ること描くこと歌うことが大好き。だけど芸術を専門的に勉強しなかった。芸術家として活動しているわけではない。一つの分野を極めたわけでは全くない。

だけど大好きな芸術に囲まれてたくさんのアーティストに共感してもらい、日本中の病院、施設の子どもたちにアートを届けることになった。こんなにアートが好きなのに1つのことを極めることをしなかったのが、団体を運営していく上でかえってよかったのかもしれない。それも導かれたということかも・・。

幼児期から半世紀後!までの軌跡にさまざまな出来事が重なって、その全てが1本の道へ繋がっていたんだと気付く。

理不尽に悔し泣きし、命を落としかけても、何か偉大なものに包まれて生かされてきたことを知る。

努力なんて無縁だけど、これでよかったんだと。

決して流されるのではない。起こることに抗うことなく、まるで流れるように生きてきたようだ。ああ、川の流れのように~♪

とりあえず結果オーライ。

いつこの仕事をすると決め目標を定めたのか・・どんな準備をどれだけの時間をかけて・・?

残念ながら目標に向かって念入りに準備、などという計画性は皆無。

全ては偶然?必然?の出来事、出会いが導いてくれただけ。

幼少期の思い出〜その2〜

感傷に浸るのは夏の終わりのせいばかりではない、年を重ねると幼い頃をふと思い出す事が多くなります。今日は小学生の頃を書いてみよう。 

肌が浅黒く目や鼻が大きい(!)私はどちらの出身ですか?とよく聞かれます。

小学校に上がると外人が入ってきたというニュース!?を知って上の学年の意地悪な男子たちがガヤガヤと1年1組に集合。「ガイジンだ、ガイジンだ!」と囃し立てたものです。

その頃は、まだ外国人が珍しい時代でした。そもそも私の両親はともに日本人、とうぜん私は日本人です。なぜか生まれつき変わった顔つきの私が標的になったというわけです。廊下で足を引っ掛けられる、下校時は通せんぼされる、等々、百歩譲って表現すれば子どもらしい意地悪をされたものです。

もともと一人でいることが好きだった私はいじめられてますます一人でいるようになりました。寂しいな、とかつまらないな、とか思ったことはなかったように思います。

家に帰っても、洋裁で忙しい母は迫る仕上げの期日に向かって年中奮闘、ミシンの方ばかり見ていましたし、出版社に勤めていた父も毎晩帰りが遅く、家庭にいじめられていることなど相談できる空気はなく、幼な心に、自分の中で解決していました。

しぜん、一人でできることで楽しむ術をどんどん身につけていったようです。母の仕事柄、家には布の端切れが日常的に散らかっていましたから、好きな柄のものをもらって人形や袋物を作ったり、綺麗なボタンのコレクションをして秘密の宝物箱を作ったり。近所のおばさんに編み物を教えてもらって夢中で編んだり。お気に入りの空き地を通り抜けたところにあったお習字の先生のところに通い詰めるほど、書道にはまっていたのは確か3年生の頃。鉄棒への情熱は幼稚園時代からも引きずり、跳び箱、水泳、かけっこと進み、毎年リレーの選手だったこともあって、「運動会は私の舞台」と勘違いしてた気がします。

3歳の頃から小学生いっぱいはとにかく運動すること、何かを作ることで毎日が楽しくて仕方なかったんだろうな。

家族の中では、三人兄弟の真ん中で何をやっても目立たない、褒められもしないし叱られもしない、スルーされてたから、それならと傍観者みたいな変わり者を決め込んでいた覚えがあります。

続く・・。

〜美しい心〜

朗読家、川島昭恵さんの活動をアシスト。日赤医療センターは初めてなので緊張するなぁ、と茶目っ気たっぷりに話す昭恵さんは幼い頃に感染症が原因で視力を失ったアーティスト。見えないどころか、こころの目で周りを深く感じ見る、見るという次元を超えてすべてを洞察しているという感じ。

子どもの前に座る。名前を聞く。ゆっくり待ってから名前を呼ぶ。自己紹介。ゆっくりゆっくり。

私ね、目が見えないんだ。だから字を読むのではなく点字を読むね。 点字って知ってる? 点字本のブツブツを触ってもらう。

言葉の出ない子どもにも、ゆったりと話しかけながら何かしらの反応を待つ。空気の動きを感じとると、そうか、じゃ読むね。1ページごとに「めくるよ」と声かけ。優しく優しく・・。

小さな子どもには点字付き絵本。文章の上に透き通った点字が並ぶ。指で読んだら絵のページを横になっている子どもの高さや角度に合わせてゆっくり見せる。見せながらお話のイメージを対話を通して子どもと作っていく。

小学中学年以上の子どもにはイメージだけの世界。

真っ白なツルツルの紙に点字の凸凹が並んでいる。色なんかない。あるのは登場人物さながらの声の調子と行間の広がり。そして指先でなぞりながら子どもに向いて語る美しい笑顔だけ。

どんな力があるんだろう。昭恵さんは朗読する、というより、読みながら目の前の人と魂の交流をしているみたい。

フリースクール、ハンセン病療養施設等の傾聴ボランティアをしていたこともあるという。どんな立場の人にも”寄り添う”懐の深さや深い愛情があふれている。”共感”という言葉が浮かぶ。

確かに物語が進んでいるのに、そこに聞く人とのやりとりが確かに、確かに存在している。

病室は魔法にかけられたみたいに穏やかな心地よい風が渡り、そこにいる者の心を洗っていく。

昭恵さんの読む顔をじいっと見つめてその表情から目を話さない子どもたち。

ひとつお話が終わるともうひとつ・・。もっと読んでほしくなる。素直な子どものリクエストに、昭恵さんも子どもに戻ったみたい。

美しい心に人の心は洗われる。

昨日の嫌な出来事も、さっきの小さないざこざもすっかり洗い流してくれる。

美しい心に出会えた日は心が軽やかになってスキップさえしたくなる。こだわりはどこかへ消え、うつむいた顔は空を見上げる。

美しい子どもたちと、子どものように美しい心の持ち主と。

圧倒され、ほんの少し私の心も綺麗になったみたい。

 

 

夏の終わり〜幼少期の思い出 その1〜

夏の終わりはなぜか感傷的になるのが常です。

今年はスマイリングの活動で出会う子どもたちに加え、1歳、3歳、5歳の孫の成長ぶりに心動かされ、また母の老いに自分の軌跡を重ね、幼少期に思いを馳せることが多くなりました。そんな原風景をつれづれと。

幼い頃から空き地や森へ行って自然の中に抱かれるのが好きでした。ともだちと連れ立って探検したり、秘密基地を作ったりするのも好きでしたが、一人きりで絵を描いたりものを作ったり、庭のアリやだんごむしをつついて遊んだり、原っぱの草花を摘んだり木登りしてはしばらく木の上でぼんやり周囲を眺めたりして暗くなるまでアウトドア・・という方が好きで心地よかったものです。

母がまだ元気だった頃まで語り草になっていたことがあります。3歳の頃のこと。当時はまだ1年~2年保育が一般的で、2つ上の姉が幼稚園に行っているのを羨ましがって、行きたい、行きたいという私に、母は幼稚園バックを買い与えてなんとかなだめていました。ディズニーのバンビの絵がポケットいっぱいに描かれた黄色いバック、今でも懐かしく覚えています。そのうち幼稚園ごっこに飽き足らず、ついにお気に入りのバックを抱えて家を飛び出し、姉の通う幼稚園へ。ふと娘の姿が見えないことに「もしかしたら?」と勘を働かせた母が園に行ってみると、がっしりと閉ざされた鉄の門扉の前で「入れてくださーい!入れてくださーい!」と声の限りに叫んでいる私を見つけました。母の姿を見るとわあっと泣き出し「私がまだちびっちゃいから入れてくれないの」としばらく泣きじゃくっていたそうです。

待ちに待った幼稚園に入ると、鉄棒やうんていに目覚めた私は誰よりも早く園に行き、鉄棒を独り占めし、先生に呼ばれるまでいつまでもぐるぐる回っていました。逆上がりに始まり、味をしめると片足かけまわり、両足かけ回り・・・、足が痛くならないように、夏でも鉄棒に巻くためのセーターを持っていくほどの熱の入れようで、このこともうっすらと覚えています。

真っ黒に日焼けしたショートカットの女の子。木の上にいる私を見た人は「おおっ、都会の空き地にも猿がいる!」と驚いたに違いありません(笑)。

胸がキュンと切なくなる夏の終わり、幼かった頃の自分をなぜか愛おしく思い出します。

続く・・・。

~若きメッセンジャー現る!~

アートに加え、若いメッセンジャーの出現が嬉しい夏の学生ボランティア体験。東京ボランテイア・市民活動センター主催の学生夏ボラ体験キャンペーンに参加し、SHJとしても夏休み中のボランティア参加者を募集しました。SHJの活動を体験してもらうことで、障がいや病いと闘う子どもたちの存在と支援の現場を知り、周りの人に伝えるミッションを持ち帰ってもらいたかったからです。

今年から夏祭りとクリスマス会でコラボすることになった筑波大学附属病院患者家族会「おしゃべり会」の夏祭りは8月19日、筑波大学病院けやき棟展望ラウンジにて。夏休みを利用したボランティア体験に中1の女の子が2名参加してくれました。

学生にボランティアとして参加してもらうのは初めてでしたが、こちらの緊張をよそにSHJスタッフとして頑張ってくれました。受付のお手伝いが終わるとうちわ作りのコーナーのお手伝い。大学生のボランティアに混ざってだんだんと場に打ち解け、幼児さんや同年代の患者さんたちと笑顔で交流していました。「普段触れ合うことのない、障がいのある子どもたちと触れ合うことができ、たくさんのことを学べた」「自分が体験したことを周りの人に伝えたい」など、頼もしい感想をもらいました。「今回のことを学校で発表することになりました!」という嬉しい報告も!自分と同じ世代の人たちが障がいを持ちながら頑張っていること、そしてそれを支えるおしゃべり会やSHJのことを伝えてくれる若きメッセンジャーが生まれました。若者自ら、社会が障がいを持つ子どもにもっと支援の手を広げていかなければならないことを訴えてくれそうです。今後につながる、新たな収穫のあるイベントでした。