夏の終わり〜幼少期の思い出 その1〜

夏の終わりはなぜか感傷的になるのが常です。

今年はスマイリングの活動で出会う子どもたちに加え、1歳、3歳、5歳の孫の成長ぶりに心動かされ、また母の老いに自分の軌跡を重ね、幼少期に思いを馳せることが多くなりました。そんな原風景をつれづれと。

幼い頃から空き地や森へ行って自然の中に抱かれるのが好きでした。ともだちと連れ立って探検したり、秘密基地を作ったりするのも好きでしたが、一人きりで絵を描いたりものを作ったり、庭のアリやだんごむしをつついて遊んだり、原っぱの草花を摘んだり木登りしてはしばらく木の上でぼんやり周囲を眺めたりして暗くなるまでアウトドア・・という方が好きで心地よかったものです。

母がまだ元気だった頃まで語り草になっていたことがあります。3歳の頃のこと。当時はまだ1年~2年保育が一般的で、2つ上の姉が幼稚園に行っているのを羨ましがって、行きたい、行きたいという私に、母は幼稚園バックを買い与えてなんとかなだめていました。ディズニーのバンビの絵がポケットいっぱいに描かれた黄色いバック、今でも懐かしく覚えています。そのうち幼稚園ごっこに飽き足らず、ついにお気に入りのバックを抱えて家を飛び出し、姉の通う幼稚園へ。ふと娘の姿が見えないことに「もしかしたら?」と勘を働かせた母が園に行ってみると、がっしりと閉ざされた鉄の門扉の前で「入れてくださーい!入れてくださーい!」と声の限りに叫んでいる私を見つけました。母の姿を見るとわあっと泣き出し「私がまだちびっちゃいから入れてくれないの」としばらく泣きじゃくっていたそうです。

待ちに待った幼稚園に入ると、鉄棒やうんていに目覚めた私は誰よりも早く園に行き、鉄棒を独り占めし、先生に呼ばれるまでいつまでもぐるぐる回っていました。逆上がりに始まり、味をしめると片足かけまわり、両足かけ回り・・・、足が痛くならないように、夏でも鉄棒に巻くためのセーターを持っていくほどの熱の入れようで、このこともうっすらと覚えています。

真っ黒に日焼けしたショートカットの女の子。木の上にいる私を見た人は「おおっ、都会の空き地にも猿がいる!」と驚いたに違いありません(笑)。

胸がキュンと切なくなる夏の終わり、幼かった頃の自分をなぜか愛おしく思い出します。

続く・・・。

~若きメッセンジャー現る!~

アートに加え、若いメッセンジャーの出現が嬉しい夏の学生ボランティア体験。東京ボランテイア・市民活動センター主催の学生夏ボラ体験キャンペーンに参加し、SHJとしても夏休み中のボランティア参加者を募集しました。SHJの活動を体験してもらうことで、障がいや病いと闘う子どもたちの存在と支援の現場を知り、周りの人に伝えるミッションを持ち帰ってもらいたかったからです。

今年から夏祭りとクリスマス会でコラボすることになった筑波大学附属病院患者家族会「おしゃべり会」の夏祭りは8月19日、筑波大学病院けやき棟展望ラウンジにて。夏休みを利用したボランティア体験に中1の女の子が2名参加してくれました。

学生にボランティアとして参加してもらうのは初めてでしたが、こちらの緊張をよそにSHJスタッフとして頑張ってくれました。受付のお手伝いが終わるとうちわ作りのコーナーのお手伝い。大学生のボランティアに混ざってだんだんと場に打ち解け、幼児さんや同年代の患者さんたちと笑顔で交流していました。「普段触れ合うことのない、障がいのある子どもたちと触れ合うことができ、たくさんのことを学べた」「自分が体験したことを周りの人に伝えたい」など、頼もしい感想をもらいました。「今回のことを学校で発表することになりました!」という嬉しい報告も!自分と同じ世代の人たちが障がいを持ちながら頑張っていること、そしてそれを支えるおしゃべり会やSHJのことを伝えてくれる若きメッセンジャーが生まれました。若者自ら、社会が障がいを持つ子どもにもっと支援の手を広げていかなければならないことを訴えてくれそうです。今後につながる、新たな収穫のあるイベントでした。

アートないち日~つくば編~

重度心身障害児のお母さんが仲間を集めてたちあげた、筑波大学病院患者家族の会「おしゃべり会」の夏祭りに参加しました。近所の家族も招待してのインクルーシブな交流会。今年から夏祭りとクリスマス会でコラボすることになりました。

スマイリングホスピタルジャパンは各地にあるこんな団体のイベントでもアート活動でお手伝いしています。

この日はピアノ弾き語りとどんなリクエストにも応えるマルチピアノボーカリストの眞理さん。リクエストの嵐に揉まれながら、明るい笑顔を絶やさず子どもたちを満足させてしまうアーティストです。楽譜がなくてもさわりだけ歌ってもらったらあとは「こんな感じ?」と眞理さん。「あ、それそれ!」と子どもたち。持ち前のキャラと子どもたちのお気に入りを常にアップデートする研究熱心なところが好感度の高さの秘訣。リクエストに応えつつ、頃合いを見計らってイントロ当てクイズ、JR駅の案内メロディーでどこの駅かな?、コンビニの入店メロディーでどこのコンビニかな?クイズ・・飽きさせないプログラムはどこの小児病棟でも大人気。

リクエストショーが終わりピアノをしまいかける眞理さんに、数人の子どもたちが待って!とばかりに取り囲むのが常ですが、今日もやはり集まってきました。全盲の女の子は鍵盤のタッチを楽しみながら自分の出した音をうっとりと確かめます。しばらく様子を見て、眞理さんが子どもの出す音に合わせて伴奏を。ここまできたらもう止まらない!二人の連弾は美しく美しく続きます。ふと見ると、たくさんの聴衆に囲まれ、その傍らには次を待つ子どもの列。

こんな光景が大好き!アートと子ども。なんて似合うんだろう。

子どもたちが大満足した後は、お母さんたちがお子さんのピアノレッスンについて、ピアノの選び方について相談に来ました。日々、特別支援学校や小学校、プライベートなレッスンで音楽を教える眞理さん、個々のニーズに丁寧に応じる眞理さんの包容力は心を温かく包んでくれます。

ああ、スマイリングホスピタルジャパン、なんて素敵なアーティストの集まりなんだろう。今日もアーティストと偉大な子どもたちとの優しく美しい光景がちりばめられた、全てがアート!ないち日でした。

〜蝉しぐれ〜

鬱蒼とした蝉しぐれの中佇む母のホーム。最近忙しさにかまけて会いにいけてなかったことを悔みながら、ケヤキと桜、満開のサルスベリの間を歩く。ここは私が通った幼稚園の近く。園でプレゼントを作り、何度か慰問に訪れた原風景の1つでもある。お昼の時間に母が作ってくれたお弁当を食べてから園児揃って出かけたこと、ここへ来るたびに蘇る。鉄棒が好きで誰よりも早く登園し、お気に入りの高さの棒を占領したあの思い出の次に強く印象に残っているのがこのホーム訪問。あの頃は蝉の声に感傷的になるはずもなくひたすら野生児のような毎日だった。猿よりも上手いと言われた木のぼり。このサルスベリも私のやんちゃを覚えているだろうか。鉄棒陣取りに余念のない私のために早くお弁当を作って送り出してくれた母。そんな母が今、このホームに。

ユーモアのセンスが抜群だからコミュニケーションがとれなくてもその明るさとお茶目な笑顔が癒してくれる。

幼いときは3人兄弟の真ん中という立ち位置が幸なのか不幸なのか、勉強しなさいと言われた記憶がいっさいないほどほったらかしにされて育った私。姉は初孫だからおじいちゃん、おばあちゃんはじめ親戚の注目の的。弟は念願の男の子で末っ子だから母は溺愛?!してたなぁ。私はといえば、ひとりの世界に没頭するのが常で、それが自由でかつ不思議な幸福感をもたらしてくれた、そんな記憶がある。家族といてもなんだか溶け込んでなかったのだ。

そんな私も、成人してからは何かと母に相談するようになった。結婚も子育てもそして再婚も!おっと、これは決意後報告。なぜだったか・・・。戦後、父親がシベリアに抑留され、長女の母は6人の兄弟を連れてか弱かった母親をかばいながら満州を命からがら引き揚げ、その後も壮絶な苦労を重ねた。毅然と前を向く近寄り難さの中に知らず知らず畏敬の念のようなものを感じていた気がする。私が物心ついたときから徹夜で洋裁の内職をしたり、洋裁教室を開いたり。地域の暮らし向上のために社会活動をしていた姿も眩しかった。貧しい暮らしの中、生活の糧を得るのに必死ながら、いつも夢に向かって自己実現を果たしていた後ろ姿に、無言の秘めた憧れが募っていたのかもしれない。

下戸の母だけど、お酒を飲みながら話を聞いてもらうのが好きな私にお茶で付き合ってくれた。時には明るくなるまで話し続けたときも。もちろん母の恋バナも面白くて仕方なかった。発明に凝ってもう少しで特許を取れるところだった悔しい話も。

夕暮れとともにますますさかんな蝉しぐれに浸りながらホームをあとにした。

容赦なく時は移り変わっても、いつまでも変わらないもの失われないものが時間の流れに重なる。

育ててもらった時代から私を誰かも認識しない今に至るまで、母はメッセージを送り続けてくれる。これからも老いについて身をもって示し続けてくれるだろう。老いても背筋をまっすぐ、そして使命を貫きたい。そして母みたいに可愛いおばあちゃんになろう。

世は諸行無常。でも確かに変わらないものがある。蝉しぐれにかき消されることの決してない大切な何かを背中でしっかりと感じながら帰路についた。

”ゆいまーる”

息子による逆出前授業~その2~は助け合いの精神”ゆいまーる”。

沖縄の人は人を大切にするのが当たり前。どこの馬の骨ともわからない息子を迎え入れ、家族同然のように可愛がり、相談に乗り、世話をしてくれる里親さんのことを思えば大きく頷けます。これは支え合いの精神”ゆいまーる”が根底にあるから。

結(協働)が回る(順番)、というのが語源だそうですが、文字通り、困っている人に対し周りの人が団結して助け、また別の人が困ったときにはそのほかの人が団結して助ける、という支え合いの考え方です。結(ゆい)とは主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度。一人で行うには多大な費用と労力、時間がかかる作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている(ウィキペディアより)そうだ。決して孤立したり、まして孤独死など無縁でしょう。

都会を愛する人は人間関係の煩わしさがないことをその理由に挙げることがあります。東京で生まれ育った私は幼い頃、大人の監護の下に子ども会というのがあって、地区ごとに年少の子から小学校高学年までが徒党を組んで!?いろんな行事に参加したり6年生がリーダーになってお楽しみ会をしたりしたものです。いつの日かこの慣習も薄れていき、大人になる頃にはなんだか近所の子たち同士も大人たち同様、ヨソヨソしくなってしまった。そういう私も正直、気楽でいい、なんて思うように・・。東京の一世帯の平均人数は最下位の2,02人(【出典】平成27年国勢調査人口及び世帯数 東京都調べ )で、年々減少傾向にあります。少人数の家族だけでひとしれず困窮を抱えてしまうケースが多く、悲惨な事件に発展することも。隣の人の顔も知らない、いざという時に近くの人に助けを求めにくい・・そんな地域関係が希薄になっている東京こそ、”ゆいまーる”の考え方が必要なのかもしれません。都会の一極集中と孤立の矛盾は人間関係の希薄さ、共感の欠如から生まれるのではないでしょうか。

そんな中、次第に広がる「子ども食堂」は、人々が、食と居場所でつながることへの回帰、まさに”ゆいまーる”している!?のかもしれません。

ちなみにSHJ事務所がある東京都杉並区には「きずなサロン」、「まちカフェ」、「子ども食堂」が各地にできています。その数、6月現在で10か所。一人暮らしで孤立しがちな高齢者や孤食を強いられる子どもたちが地域や他人とつながることを目的に増え続けています。個々で運営していた食堂なども互いに連携をとるケースも出てきたこと、食材を善意の寄付で賄っていること、それはまさに”ゆいまーる”。

子ども食堂の多い滋賀県では、今年度は県がこの事業を支援するため1212万円を計上したそうだ。滋賀県の取り組みが素晴らしいのは確か。でもこの動きが当たり前に全国に広がることを願います。国民を飢えさせないのは国の務めであること、偉い人たちには基本に立ち返ってもらいたいなぁ。

話が少しそれたけど、人は一人では生きていけないという謙虚さに基づいた”ゆいまーる”の理念は、前へ前へ、もっともっとと欲しがるうちに心が乾いてしまいそうな現代人に、前だけでなくて自分のぐるりを見て!とたしなめてくれているように感じます。