教育改革~全国学力テストの全校調査化について考えた~

 前回、東京新聞社説で検証された

ここ8年間の教育改革について書いた。

2つ挙げられていたうち1つが

道徳の教科化。

→2020/9/14投稿〜道徳の教科化について考えた

そしてもう一つが

全国学力テストの全校調査化。

競争によって質の向上を図ろうというものだが

現場への圧力が強くなっている、

と書かれていた。

そもそも、

学力向上を競争で

というのがおかしいのだ。

本来は教員を増やして子ども全員に目が行き届くようにし

底上げを図ると同時に学ぶことの楽しさを伝えることが

学校のするべきこと。

学力向上はあとからついてくる。

いじめ解決にも繋がるだろう。

北風と太陽で例えれば

この競争原理は

子どもにとっては冷たい冷たい北風だ。

押し付けられれば押し付けられるほど

嫌いなものはますます嫌いになり

楽しく感じないものはますます楽しくない。

教師はといえば

学力テスト対策に時間や労力が費やされ疲弊する。

そして更にいうなら

教師の仕事が増え続けているというのに

財務省は少子化を理由に教師の数を減らそうとしている。

教育への予算を削る理由を少子化にこじつけて・・・。

OECD(経済協力開発機構)の調べでは

日本の政府総支出に占める教育支出の割合は

減少傾向で、

加盟国平均を下回っている。

潤沢な予算を充てて充実を

というのではなく

現場を疲弊させてまで予算を削り

競争原理で学力の向上を図ろうとしている。

前回のテーマ「こころ」を置き去りにして。

すでに今年2月に投稿した

公教育のビジネス化?

でも書いているように

公教育がビジネス化していることは

この学力テストにも言えることだ。

採点などのためにかかる費用は税金

そしてその税金が向かう先は民間の教育産業。

これは国の怠慢である。

全国学力テストで子どもの健全な成長は望めない。

全く逆である。

多様性をと謳いながら

またか、と再び思う。

国よ、

一斉の評価基準と多様性の矛盾をどう思う。

勉強嫌いな子はますます嫌いに。

成績の取れる子は競争の波に飲まれていく。

「こころ」を置き去りに。

一人ひとりの内面の世界を蔑ろにして。

一度道徳の授業で

全国学力テストの効用について

話し合ってみてはどうだろう。。。

子どもの素直な意見(=真理)がどこまで吸い上げられるかが甚だ疑問だが。

本当の教育改革。

それは少人数学級制

そして

学校へ登校しないで学習するという選択肢を作ること。

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〜道徳の教科化について考えた〜

9月8日付の東京新聞社説

検証「安部政治」

テーマは「教育改革」。

2つの検証のうち

1つは教育再生という名の下に

道徳を教科にしたこと。

確かいじめ対策が第一の目的だった。

軍国主義教育の反省から

「こころ」を評価する教科はNGのはずだったと

記事にあることからちょっと調べてみた。

2011年に起こった

凄惨ないじめに対する現場の対応の悪さのために

中学生が自殺してしまった事件をきっかけに

学校と教育委員会は信用できないということになり

道徳の教科化に繋がったという。

ここからは私の意見。

学びに教材は不可欠だが

教材は必ずしも

前もって作られた教科書である必要はない。

道徳がその最たるものではないだろうか。

心を育むためには

日々の生活の中で

人権意識に関わるもの

また人間関係での悩みや

友達とのこと・・・

おかしいんじゃない?

って思うこと。

そんな実感をテーマにみんなで話し合ったらどうだろう。

ナマの体験に基づくあれこれって

きっとみんなの興味をそそる。

あるある!って盛り上がる。

聞いて、聞いてと対話が弾む。

自ずと人の話をじっくり聞き

自分の意見を述べる

という根本的な学習にもつなげられるんじゃないかな。

いろんな意見が出て聴き合って

人の気持ちを知る。

いろんな考え方に出会う。

共感性を養う。

これぞ生きた授業!

「こころ」に大きく関わるテーマを

教科にして数値ではないにしても評価することは

通知表に何らかの「こころ」についての評価を記されるということ。

評価される立場としては

自分の本当の気持ちに蓋をして教科書が求める回答を

してしまわないだろうか。

純粋な子どもたちは

正直に語らず評価を気にして模範解答をする自分に

嫌気がさしたりしないだろうか。

そうさせる学校に不信感を抱かないだろうか。

正直に生きてはいけないことを教えるような道徳の時間。

百害あって一利無し。

そんな時間ならない方がいい。

*****

道徳の教科書の内容は、物語中心。

先人が遺したストーリーには

示唆の富んだ素晴らしい作品が多く

時間が経って読み直してみて

自分の人生経験に照らしてみると新たな発見や

共感がある。

その意味で、

NHK「100分de名著」は大好きな番組だ。

いっぽう、こういう意見もある。

物語を読むその前に、

たとえば

「なぜ人を殺してはいけないのか」

「なぜ人をいじめてはいけないのか」

さらに

「なぜ法律を守らなければいけないのか」など、

人として守らなければならないルール

をまずは教えなければならないはずだと。

しかし、その前のその前に

「こころ」って?

自分が幸せな時って?

嬉しい時って?

悲しい時って?

・・・・・

ナマの「こころ」について語る時

かっこいい言葉より

喜怒哀楽を表すことばや

オノマトペでもいい。

気持ちを表現することから入ってもいいんじゃないかと思う。

そうなると必ずと言っていいほど

相手が登場し

つまるところ

人間関係が話題となる。

そこで

現実に起こったいじめの事件を教材に取り上げるでもいいし

最近気になったことを子どもたちが出してみるのもいいだろう。

教育再生のための道徳教科化・・・。

子供達の大きな悩み、いじめ問題を利用するかのような強引さ。

何か一つの思想に引っ張られていくようで怖い。

多様性を謳いつつ

またか、と思う。

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  HSC(敏感っ子)と多様性👦👧👶

人一倍敏感で

感受性が鋭いために

傷つきやすいHSC(=Highly Sensitive Child)。

最近、新型コロナの影響による

生活の変化の中で

HSCの子は

一層生きづらくなってしまっていないだろうかと考えます。

先日、HSCをテーマにしたテレビ番組を見ました。

再放送でしたが

番組に登場する子のまっすぐさと健気さがとても魅力的だから、

というのがまず2度目の視聴の理由です。

HSCの通称は「敏感っ子」

とても感受性が鋭いので

集団の中にいると神経が疲れてしまい

学校の教室のようにガヤガヤしたところが苦手なため

学校は休みがち。

人の辛い気持ちにすぐに気づき感情移入して疲れてしまう。

もともと5人に1人いる

と言われている敏感っ子は

匂いや味の変化を敏感に察知したり

人の気持ちを察したり

考えすぎたりして傷ついたり疲れやすかったり

また

環境の変化に対応できずに苦しむことが多いのです。

気質的なもので診断名があるわけではないこともあり

周りからはなかなか理解してもらえません。

*****

番組に出てきた敏感っ子少年に

日頃からおばあちゃんは

「お友達と仲良く遊んだら楽しいのに」

「なんでみんなで遊ばないの?」

などと声をかけることがしばしばでしたが

運動会で

他の子どもたちの輪に入れずに

教員と二人で競技を見学している姿を見た

おばあちゃんは

こんなに苦しんでいたんだ、ということを知り

心無い言葉をかけていた自分を振り返り

反省したと涙ながらに話していました。

この子を理解したい、仲良くしたい

そう願い、色々なところへ二人で出かけるようになり

だんだんと孫を理解し、しまいには

学校へ行きたくなかったら

高校や大学は今では通信という手もあるじゃない?

と話すようになりました。

みんなと同じでなくていいのよ、と。

最初はなぜこの子はこうなんだろう、

なぜみんなと同じようにできないんだろう、

と泣きながら悩むおばあちゃんでしたが

しまいには

孫に寄り添い理解し良さを見つけては

そういうところがすごいね、

おばあちゃんにはできないことだな。

などと声をかけられるようになりました。

このおばあちゃんは孫に育てられ

孫とともに成長したのだなあ、と

微笑ましく思うと同時に

子どもが等身大でいることで

大人の価値観を覆すこともできるという

素敵なエピソードとして

私の中に印象強く残りました。

この少年は理解されない人の前で

自分らしくいることを怠けない勇気を

堂々と見せつけてくれたなあと、

そんなところにも深く感動しました。

*****

おばあちゃんという存在は

こんな時、大きな存在なのだろうと思います。

お母さんなど身近な家族が困難を抱える子どもと向きあう場合

煮詰まってしまって出口が見つからなくなることが多いもの。

だから子育ては、家族の中でも他のメンバー含め

なるべく別の角度から子どもをみる人が

ともに成長を支えることができたらいいなあ、と感じます。

*****

そもそも、このHSCの特徴として

身の回りのいろいろを

人一倍敏感に感じ取り感情移入しすぎて

疲れてしまう。そして理解されない。

この特徴は人の立場に立って思いやることのできる

共感性が豊かだということ。

それゆえにとても優しく穏やか。

こんな人間性あふれる素晴らしい特徴が

理解されない、または環境が合わないという理由で

いっぱいいっぱいになってしまい

集団に馴染めなかったり

泣いたり癇癪を起こしてしまったり

それによってさらに疲労が溜まってしまい

ますます活動が減ってしまう・・・

というのはとても残念なことだと思います。

環境さえ合っていれば

敏感っ子の良さが発揮されて

自己肯定感も高まるのでは、と。

*****

ここで考えました。

多様性というものが叫ばれながら

実は

「ちょっと違う人」

「普通⁉︎ではないこと」

を排除しようとする空気が一番蔓延るのは

実は学校なのかもしれないと。

学びの場所やスタイル

つまり環境こそが多様で

その子にあった環境に身を置くことができれば

敏感っ子と呼ばれる子だって

発達障害と呼ばれる子だって

ちょっと変わってる子と言われる子だって

傷つくことはないのに。

学びや経験の機会を確保することができるのに。

   同じようにできるように・・・

   枠からはみ出さないように・・・

そんな風に

「矯正」するところが学校ではないはずです。

それができない社会、

異質なものを排除しようとする包容力のない社会は

社会そのものの成長を止めてしまうとさえ思います。

人間の本質が中心に成り立っていないな、

と感じるのです。

多様な人がいて

多様な価値が合って

それぞれに素晴らしいところがあって

ともに認め合いながら暮らしていけたら

これほど素敵なことはありません。

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コロナ禍と病室でのステッカー作り 

活動が休止になって半年が過ぎましたが

その間、塗り絵や紙芝居づくりのセット

動画配信等行ってきました。

そして目下提案しているアクティビティが

「キミだけのオリジナルステッカーを作ろう!」

という制作ワーク。

この企画で思わぬ感動がありました。

*****

まず、この企画は

1 丸と四角のどちらか好きな形を選ぶ

2 フォーマットに自由に絵やデザインを描く

3 病棟で保育士さんが集めてSHJ事務所に返送

4 業者にステッカー加工を依頼

5 まとめて病棟に送る

という一連の流れとなります。

ステッカー業者は

ゼネラルステッカーという会社で

設立当初から団体のロゴステッカーやシールを

依頼しているところです。

アーティストの紹介でお友達価格でサービスしてもらっています。

さらに日頃団体の趣旨に賛同くださっていて

今回はコロナ禍で活動ができないなかでの

ステッカープレゼント企画に賛同し

一人20枚ずつセットして

SHJのロゴ入りのパッケージに入れるというサービス付き!

丸と四角を選んでもらうようにしたい・・・

そんな私の企画の理由を

「選ぶ」という行為が子供には欠かせないこと。

特に

普段不自由や受け身を強いられる立場にいる子どもにとって

「選ぶ」ということ自体が主体的な活動となり

さらに自由に制作する

ということを通して

オリジナル感の喜びと自分で選んで作った!という自信につながること。

そして

これはSHJの理念の一つなんですよ、

と説明すると

とても共感を込めた返答が返ってきました。

闘病中の子どもの生活がどれほど我慢を強いられているのかが

わかった、と。

丸と四角のフォーマットには青色の内線と赤色の外線があり

ステッカーにする際、青色の内側に絵を描いて欲しい

とのことで、フォーマットに

はみ出さないように描いてね!

と添えてはみたものの

描き始めは枠を気にしつつも

だんだんと絵は枠を飛び出していきます。

枠をはみ出した絵を見ると

のびのびと自由に作業した様子が伺えて嬉しくなりました。

そしていざ、はみ出し満載の絵を業者に送ったところ

すぐに電話がかかってきました。

「誰もが巨匠ですね!

はみ出した絵をそのまま切り取ってしまうなんて勿体無い。

このままステッカーにできるように頑張ります!」

と。

はみ出したことに文句を言うでもなし

切り取ってしまいますがご了承ください

でもなし。

現場を知らない方から

このような温かな寄り添いを実感し

途轍もなく大きな励みになりました。

心底、感動に震えたエピソードです。

ステッカー屋さん・・・

普段は入院中の子どもとの接点はないといいます。

しかし

電話の向こう、メールやりとりの先にいる人、

さらにその背景に思いを巡らせ

その奥にいる人たちに共感し、

どうしたらこの人たちをhappyにできるだろう、

という想像力を駆使する姿勢は

相手を敬い

自分の仕事に誇りを持つということ。

病院にいる子どもたちに

自分で描いた絵やデザインをステッカーにして届けたい

というひらめきをきっかけに

子どもののびのびした絵を通して

思いも寄らない共感を得ることができた

素敵な出来事でした。

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ソーシャルデイスタンスはいらない!

「ソーシャルディスタンス」

という言葉が流行語のように闊歩しています。

新型コロナウイルス感染拡大を防止するための3密のひとつ、

人と人との物理的な距離を保って、

濃厚接触を避けようという呼びかけに使われます。

隣にいる人と2メートルも距離を置くなんて

社会のいろんな場面を浮かべると

難しいことが多々あります。

電車内ではほぼ不可能。

道で誰かとすれ違う時は互いの距離を意識して

端と端に寄りどことなく視線までもそらしたりして。

物理的な距離より、まさに社会的な人間と人間との距離を

あえて作らなくてはならないようで嫌な気持ちになります。

狭い通りでの傘かしげなど

かつての公共マナー江戸しぐさ⁉︎は偽りの伝統である 

などという議論も

このご時世ではさらに遥か遠くへ。

さらに、例えばスーパーでレジ待ちのとき

2メートル間隔に線が引かれてあり

そのさきで買い物中の人がいたりして

誰が最後なのかもわかりにくく

「並んでますか?」

「ここ、列の最後ですか?」

などとディスタンスを保ちながら聞く羽目に。

大きな声出しちゃいけないのにね。

おまけに

列の長さが陳列棚を塞ぐような感じになっていたり

そうかと思うと肉や野菜のコーナーでは

ディスタンスなんてとんでもない。

結構皆さん、くっついて品物を選んでいます。

なんとなく矛盾を感じながらも

まあまあ、そこはできる限り、ディスタンス、ディスタンス。

品定めなどせずに

ささっと商品を手にとることが大事。

あ、あっちの方が良かった!

と思うも

時すでに遅しということありませんか。

一度手に取ったものは戻しちゃいけないので

そうなると、遠くから見定める時間はある程度必要。

遠くがよく見える私にとっては特に不自由はありません。

近視の方や老眼はまだよ、という方にとっては

それは大変だろうと思います。

ちなみにこの「ソーシャルディスタンス」

国によって実際の距離にばらつきがあるようです。

例えば

フランス、イタリアは1メートル。

ハグするのが挨拶となっている愛の国では頷けます。

ドイツやホンジュラスでは1.5メートル、

そして

アメリカは1.8メートルだそう。

さらにもっと警戒レベルが高いのが

スイス、スペイン、韓国、日本で

その距離2メートルとなっています。

情熱の国スペインは爆発的な拡大を経ての

泣く泣くの対策でしょうか。

ところで本題

ソーシャルディスタンスはいらない!

と反抗的なことを主張するのには訳があります。

それはその意味にあります。

ソーシャルって物理的な距離じゃなくて

人と人との関係性のこと。

このソーシャルディスタンスは

まさに人と人との心の距離までも遠ざけようと言っているようなものだなあと

釈然としないままかれこれ半年も過ぎました。

あんまり当たり前に使われるようになったので

心の内をカミングアウトしたくなったのです。

本来の意味を

あまり気にせず

使われる言葉って結構ありますよね。

かねてから疑問に思っていた

「時に乱暴またはいい加減とも言える言葉の使い方」

がコロナ禍という緊急な事態においてなされ、

合言葉のようになっているのが

感染同様に怖いな、という印象を持ちます。

一つの価値観に安易に流れていく全体主義につながるようで・・・。

そこで遅ればせながらこの”social distance”

の意味をテーマに書こうと思った次第。

“social”

というのは「社会的な」という意味。

社会的というのは

物理的とはある意味、正反対ですね。

社会性とか反社会的などと表現する時

それは距離ではなく人との関係性や

対人間という観点からの生活の場といった意味で使われるように思います。

ですから

“social distance”とは

人を固体という物質としての距離の意味ではないのです。

実はこの言葉

「特定の個人やグループを排除する」

という社会学用語だということが判明

しました。(dictionary.com)

そして

身体的なという意味の

”physical”

を使わないのであれば

“social distancing”

を使えばOKだと知りました。

“social distancing”とは、

公衆衛生戦略を表す用語で、

疾病の感染拡大を防ぐため、

意図的に人と人との物理的距離を保つこと

となります。(dictionary.com)

しかし

身体的、物理的距離を保つという意味で使うのでしたら

やはり

”physical distance”

フィジカル・ディスタンス

とするべきことは

世界保健機関(WHO)によって推奨されているようです!!!

このことを知って

納得、そして

なんか変だぞ!

という気持ちが落ち着きました。

なんか変だぞ、おかしいな、

と思ったら

個人的見解を裏付けるために

調べてちゃんと自分を納得させること

大事ですね。

ソーシャルディスタンスじゃなくて

フィジカルディスタンスですよ。

あー、スッキリした!

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