当事者だけのものじゃない、バリアフリー地図アプリWheeLog !

あのウィーログがさらに進化した!

車椅子ユーザーの走行データや投稿を基に

利用しやすい道や施設が

一目でわかるようにしたバリアフリー地図アプリのこと。

先日の東京新聞夕刊で紹介されていて

以前テレビで見た時よりさらにバージョンアップしていることに

驚いた。

ウィーログの代表、織田友理子さんは

手足の先から筋力が低下していく難病を持つ車椅子ユーザー。

困難を克服しながら豊かな発想力で社会を変えようとする

バイタリティーはすごい!の一言。

例えばこのアプリ、

車椅子の走行経路を地図上に線で表示することで

多くの人が通って線の色が濃くなれば

そこが通りやすい道だとわかる。

他にも

  この駅にエレベーターができた

  ここは段差があるよ

  狭いので走行注意

など、

当事者の発見や

車椅子を使わない人の気づき

などを投稿できるようになっている。

もちろん写真も投稿できて臨場感たっぷりだ。

情報があれば諦めずに出かけられるという当事者。

一方でユーザーでない人にとっては

情報を投稿することで当事者の視点に立ち

より良い社会づくりの担い手になるという意識が持てる。

2017年に開始して

今では海外を含めて4万件近い情報が登録されているのだとか。

啓発イベントも盛んに行われている。

ユーザーでない人も参加する街中での体験会、

学校の授業、

さらに東京パラリンピックに向けた観光案内にも活用されている。

高校の体験学習では

「車椅子に乗って終わりにするのではなく

自分たちの気づきが誰かの役に立つという経験をさせたい」

というのが学校の意図だが

一歩踏み込んで

体験で終わるのではない体験学習にしてほしい。

普段教科書や参考書とにらめっこの勉強に追われる中

フィールドワークの時間もたっぷりとって

さらに自分ごととして考え行動するような

トータルなカリキュラムを望む。

当事者の立場に立つことで

普段素通りしていたことに気づき、その積み重ねが

社会を良くするといったような

正義感と行動力を育む付加価値が

このウィーログにはあると感じる。

さらに例えば

「このレストランには点字のメニューがある」

「きざみ食、ペースト・ミキサー食などの対応をしてくれる」

「このスーパーは通路が広くて通りやすい」

などの投稿があれば

負けじとバリアフリーに取り組む現場が増え

すごいスピードで、ますますフラットな社会が

築けるように思う。

♿️ ♿️ ♿️ ♿️ ♿️

最後に一言。

電動車椅子は

手動のものよりさらに段差に弱いという。

数センチの高さでも車輪の小さな電動車椅子には

ハードルとなってしまう。

かつて事務局でボランティアをしてくれていたSさんも

電動車椅子ユーザー。

最寄駅の小さな段差が生活の質を著しく低下させている現状を

行政に訴えたところ、スロープ設置に至った。

ウィーログの織田さん

そしてスロープ設置を叶えたSさん

当事者の行動力にまたやられた!

何気なく生活できる私たちこそ、

一人ひとりが自分ごととして動きたい。

共感とイメージが湧いても、いまひとつ行動に移せなかったら

老いていつかは当事者になるのだということを自分に言い聞かせて

あちこちにあるバリアをウィーログに投稿しよう。

そしてできることをやってみよう。

WheeLog サイト 車椅子でも諦めない世界を作る WheeLog! みんなでつくるバリアフリーマップ

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他人の靴を履いてみたら- ミクロからマクロへ –

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(2019年6月21日刊行 新潮社)

ブレイディみかこさんの話題の本です。

東京新聞にもコラムを連載していて

指摘は鋭いながら庶民的な視点で共感を誘う

ブレイディさんの文章は前からとても好きでした。

そしてこの本、「ぼくイエ」という通称で親しまれるほどの人気です。

イギリス ブラントンに住みながら

保育士としてライターとして活躍するブレイディさんは

生活者としての視点で主にイギリスの格差社会に切り込みます。

イエローでありホワイトでもあり、人種問題や貧富の差、ジェンダーなどをめぐり

悩みながら成長するブルーでいて正義感の強い実の息子「ぼく」。

「ぼく」と一緒に親子で学校や進学を軸に悩み成長するストーリーに、

格差社会を問題提起しつつ人情の要素がたっぷりと散りばめられ

ほっこりと読み進めながら共感を誘う物語です。

新潮社のサイトから受賞の数々をそのまま抜粋すると

✔︎読者が選ぶビジネス書グランプリ2020 リベラルアーツ部門

✔︎埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2019 第1位 

✔︎第13回 神奈川学校図書館員大賞(KO本大賞) 

✔︎キノベス!2020 第1位 

✔︎We Love Books 中高生におすすめする司書のイチオシ本2019年版 第1位

 ✔︎第7回 ブクログ大賞 エッセイ・ノンフィクション部門

 ✔︎Yahoo!ニュース 本屋大賞2019 ノンフィクション本大賞 

✔︎第73回 毎日出版文化賞特別賞 

✔︎第2回 八重洲本大賞

さらに

推薦図書に指定している中学、高校もあるほど。

「ぼく」が小学校から中学校に上がる時期の数年間について書かれたものだから

小学校高学年にもその年齢なりの読み方ができるかもしれないと感じます。

身の回りの問題を他人事として捉えず

できることから解決していくことが一人一人の使命であることを

若い人たちに伝えることができる最高の教材だと思います。

📘 📙 📗

ブレイディさんが先日対談番組で話していたことで強く印象に残ったことがあります。

ミクロからマクロへ視点を持っていくことで

政治に興味がない人たちにも

関心を持ってもらえると考えている

なるほど、

庶民の立場で日々直面する

 なんか変だぞ、

 なんか損してない?

 この格差は何?

 なんとういう不公平な世の中だ!

といった釈然としない思いを

日常の具体的な事象を切り口に

その原因を制度だったり

国だったりといった

大きな運営システムに問題点を炙ることに繋がり、

ひいては、より民主的な世の中にするためには

一人ひとりの意識がまず大切だよ、

と伝えているのだと思います。

「他人の靴を履いてみたら、きっと今とは違う世界が見えてくる!」

というのはブレディさんの座右の銘(かどうかはわかりませんが)

として対談中にもよく出てくるフレーズです。

なるほど、長く英語圏に暮らすブレイディさんだからこそ

他人の靴を履く=人の立場に立ってみる

put yourself in their (one’s) shoes

という英語の慣用句が彼女の考え方にピタリと合うのでしょう。

2005年の映画で

“In Her Shoes”

というのがありました。

対照的な姉妹二人の人生を描いたベストセラーの映画化でした。

ここでもこの慣用句は使われていましたね。

英語圏では一般的な言い回しです。

「他人の靴を履いてみたら、きっと今とは違う世界が見えてくる!」

とは、

全ては人ごとではないよ

他人の靴を履いて(その人の立場に立って)みて!

きっと

そうだったのか!

という共感(エンパシー=相手の立場に立ち理解しようとすること)

が生まれ

これまでとは違う世界が見えてきて

大事なことにはっと気づかされ

人生の課題だったり使命だったりに出会えるよ、

とブレイディさんは伝えているのだと思います。

ミクロ(他人の靴をまず履いてみる)

がマクロ(今とは違う世界=世の中全体の仕組みや課題)

に向かうことで

自分が対峙するべき課題に向き合うことができる

というメッセージだと読むことができます。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

一押しの一冊です!

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〜総合的、俯瞰的の意味を考えよう🤔〜

目下、テレビをつければ聞こえるあの言葉。

「総合的、俯瞰的」。

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」

とは

日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否する理由として

首相があげた言葉だ。

目下、一番意味不明な表現として有名。

具体的に説明してほしいな、

抽象的な言葉を連呼するのを見ていると

なんだか、じれったく残念な気持ちになってくる。

ほんらい、俯瞰的には

「高いところから見下ろすこと」

「全体を上から見ること」

という意味がある(広辞苑)。

出版に向け書き上げた原稿に

「あの頃の自分を俯瞰する」

という表現を使った箇所があった。

「俯瞰」とは高いところから様子を見る、という意味から

冷静に少し距離を置いて見る、

という意味合いとしても使えると思っていたが

プロデューサーから

「ちょっと『俯瞰』はわかりにくいですね・・」

と言われ、そうかなあ・・

と納得しないまま修正したものだが、

今になってはご指摘に心から感謝。

「俯瞰」という言葉を使うこと自体がなんだか恥ずかしい昨今である。

さて

かつて学術会議の当時の会長が

敢えて俯瞰的

という言葉を使ったことがあるというが

それは

「哲学、天文学、経済学など、学問分野は約30ある。

学術会議が社会に対して役立つ助言をする役割があり

そのためには、空から見下ろす鳥のように、

全領域をくまなく見渡す目が必要だ」

という意味だったという(東京新聞朝刊)。

例えば

特定の分野の研究者が何千億円もする実験装置を欲しがったとしても、

全体を見渡し、

「今、お金をかけるべき分野は何か」を

判断する力が学術会議には必要なのだという。

ちょっと待って!

6人の考え方が政府と異なっているから除外されたのでは?

ということが指摘されているが

そうだとすれば

まったく

ぜんぜん

俯瞰的でもなければ総合的でもない。

むしろ真逆。

全領域をくまなく見渡す目が必要なんじゃないの???

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」

そうだが、

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」

あらため、

「総合的、俯瞰的な活動を確保しない観点からの判断」

ということになり、それこそ

特定の人たちの都合で何千億円もする実験装置を買おうとすることに待ったをかける人を排除するのと同じことにならない?

論理破綻ってこのこと?

ちなみに、

総合的、俯瞰的という言葉は政治用語だそう(東京新聞朝刊)。

善処します、と同じで

言わなくてもわかるでしょう

ということだそうだ(by 政治評論家 有馬晴海氏 東京新聞掲載)。

総合的に判断という表現には

曖昧なまま言いくるめようとする怪しさが漂う。

政治の世界では

そう言われてしまえば反論できない空気になるそうだ。

忖度、という言葉がまた浮かぶ。

「どういうこと?具体的に教えて」

などと言えば

空気が読めない人

というレッテルを貼られてしまいそうだが、

それでもいい。

わからないことは

わからないと言える人でいたい。

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本を書くということ-2-📕

本を作るって本当に大変な仕事なんだなあ、

と原稿を書き上げてつくづく感じています。

出版企画書を練りに練り

添え状にも念を入れ・・

出版社数社に郵送して

「興味があるので詳しくお話を聞かせてください」

と、憧れの出版社から嬉しい返事をいただき

いそいそと企画の趣旨について語りに行きました。

そんな話し合いがひと月かけて4~5回あったかな。

出版社側もそれはそれは念入りでした。

この企画、社員全員がGOを出しました!

というメールが届き

天にも昇る心地になったのが

今から1年半前。

素材はブログにあるんだから

ストーリーとして繋げて

表紙デザイン含めて体裁を整えて

製本して出版だ!

などと業界事情を知らない私はまるでお気楽でした。

その後始まったのは

ブログ内容の精査、

書き直し、

加筆、

気に入っていたところを削除😭、

 「趣旨から脱線してますね」

 「ここで私情はNG」

文章の構成し直し

 「文脈が前後してます」

・・・・・

などなど。

やっと初校ゲラが上がったのが先週のこと。

赤だらけのゲラに

これまでの苦労?はなんだったのか

と打ちひしがれる間も無く

夢中で修正しました。

さて、今は結果待ち。

ちょっと余裕の時です。

やっと全体が見えてきました。

さらに活動に関係するいろいろな立場の方の生の声を

コラムとして挟もう、

というアイデアがプロデューサー達から飛び出しました。

本という商品を売る、というより

一個の夢を後押しするために

良い作品にしようというサポートが

心に染み入ります。

医師

病棟保育士

アーティスト

コーディネーター

にオンラインで一人一人インタビュー、

コラム化するのはプロデューサーの仕事です。

ここまでしてくれるのかあ~と感謝あらた。

インタビューを通して

それぞれの立場から活動に対して思っていることを知ることができて

一番嬉しかったのは

活動の趣旨と内容が決して

一方的な独りよがりではなかったということ。

まずアーティストからは

”活動を通して子どもたちから教えてもらうことがたくさんある”

”子ども達の変化を目の当たりにできる”

と。

コーディネータからは

”病棟という環境でプロのアートのものすごい臨場感を

子どもや家族に味わってもらえる”

”なかなか動けなかった子どもが

活動中に声をあげたり

腕をあげたりする変化が

医療者にとって治療の予測を飛び越えて励みになっているという実感がある”

と。

医師からは

団体との信頼関係は確固たるものであり、

子どもの成長を見守る上で

互いに一番の理解者である、と改めて手を取り合える間柄であることを

確認でき、まるで夢のようです。

そして今日は最後のインタビュー、病棟保育士さんでした。

”子どもが子どもらしくいられる時間と

子どもの可能性を発揮する機会をくれるのがSHJ”

だと。

子どもに

「楽しかった!次はいつ来てくれるの?」

と聞かれても

週に1回の定期活動だから

「来週来てくれるよ!」

と即答できることが保育士として誇らしいと。

そしてこうも話してくれました。

この病院は月曜日と木曜日が入院の日ですが、

入院したその日に面白いことがあると

入院が怖くなくなり、一旦それを経験すると

子ども達は病棟でリラックスしているそうです。

しかし一方の活動がない方の曜日に入院した子は

なかなか新しい環境に慣れずにいますと。

「週2回に増やしましょうよ!」

とつい調子に乗ってしまいましたが

反対するアーティストやコーディネーターは

一人もいないはずです。

さらに嬉しかったのは

「コロナのせいで活動はいつ再開できるか心配だ」

などという声は誰からも聞かれなかったこと。

活動の良さがこれほどあるのだから

何があったって

SHJは当たり前に存在できる、

という実感をかみしめています。

📕📗📙

いざ、出版となれば

またあれこれ嬉しい忙しさが待っているだろうと思います。

この1年半夢中になったから完全燃焼と言いたいけれど

まだまだこれから。

のびしろはこれからのビジョンとして

長く長く続いています。

*****

本を作ることで団体を応援してくれる出版社。

今回のインタビュー含め、折に触れ

自分でも気づかなかった意義に思い当たったり

自信につながったりする機会をくれるプロジェクトです。

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誰もが当事者👵

活動の原点といえば

院内学級で教員として何もできずにお別れになった

S君との思い出。

「先生、ごめんね。僕、もう目が見えなくなって、

せっかく来てくれたのに先生のことが見えないんだ・・・」

何もできない自分に対して

今にも消え入りそうな命を押して

彼の言った言葉

「先生、ごめんね」

何もできなかった上

彼にこう言わせた自分を責めました。

しかし彼は私に無力さや悔しさと引き換えに、

「後悔なんかで今日といういちにちを無駄にしないで! 

命をどう使うか考えてよ」

と前を向く勇気をくれ、

なすべき使命に気づかせてくれました。

今でもS君が活動の指針です。

ある福祉活動に熱心な芸能人の雑誌への寄稿文が

印象に残っています。

原爆症の患者さんと握手したり抱き合ったりした時に

その方の顔や手の水疱が潰れ

出た汁が自分の手に。

洗面所に駆け込み急いで手を洗った自分。

自己嫌悪に苛まれたとありました。

善人然と振舞っていた自分は偽善者だと。

そのことがあってから

「当事者にはなれないけれど

何があっても相手の痛みや苦しみに心を寄せることを

忘れないようにしている」

と書かれていました。

*****

自分の話に戻りますが

団体の活動が軌道に乗った頃

自分は当事者でもないし

自分の子どもに難病や障がいがあった訳ではない。

だから彼らの気持ちに100%寄り添えるわけがないのに

支援しているつもりになっているようで

自分のしていることに疑問を持った時期がありました。

子どもが入院し制限ばかりの中で

何か自分にできないかと模索し出た答えが

今の活動。

だけど、いいのかな・・わかった気になってないかな・。

知らずに当事者を傷つけてはいないだろうか、と。

当事者にはなれないけれど・・・

と言う話がありましたが、

当事者になれないと決めつけるから逆に

支援する立場とされる立場の分断が

できるのだと、

寄稿文を思い返して

改めて感じます。

自分はたまたま健康に生まれた。

たまたま障がいがない。

困難があるといえば

交通事故の後遺症による軽い麻痺と痺れ。

最近少し忘れっぽいというのも困った点。

ほんの数秒前に話題にしていたことが

今の話題に結びつかなかったりすることも多くなりました。

そしてもっと歳をとって

生活する上で人の助けを必要とする時がきます。

今健康だってそれはたまたま、です。

そして、誰もが当事者になり得るのです。

境目をつける必要はない。

障がいと生きる人は大先輩。

いずれ困難がやってくるときのために

たくさん教えてもらえる強い味方です。

そんな風に思っていると

どんなに小さなことでも

互いに「助けて」と言えて

その声に耳を傾け合うことができそうです。

そんな空気が日常当たり前にあれば

小さな幸せが

大きな平和につながりそうです。

*****

人生の大先輩であるホームにいる母に

感染予防のために会えずにいます。

重度の認知症のため

言葉も出ず私のこともわからない。

だけど会うたび全身で生きることについて

教えてくれる母。

会うたび自分の将来を描いてみたりします。

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