つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

〜子どもがひとりでいる時間〜

1987年に第一子をニューヨーク州の田舎町で出産した次の年、1988年に日本語訳が発行された『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(Children and Solitude 1962 社会学者エリーズ・ホールディング著)との出会いは衝撃的なものでした。

その頃、不慣れな海外勤務のもと緊張の連続に押しつぶされそうな娘の父親に、心の中をさらけ出す勇気はなく、妊娠から出産、生後11ヶ月までの滞米中、心細さをごまかしながら折り合いをつける毎日でした。妊娠中は月に一度の受診以外は母親学級などもなく、出産が近づいた頃にラマーズ法の講習会があるくらい。すべて小さなクリニックで予約制だったから待合室での母親同士の交流もありませんでした。入院は産気づいた12月31日10:10、出産は1月1日12:43、退院は1月3日午前中。このスピードに、なんとかついていくようにして昼間一人の子育てが始まりました。3ヶ月を過ぎた頃から手のかからない娘を車に乗せて、ショッピングモールへ行ってベビー服作りの材料を買い、帰宅すると娘を寝かしつけ、作業に取り掛かる、そんな毎日が、愛する娘と二人きりで楽しかったものです。乳母車を押して散歩すれば、木々に遊ぶリスたちや排水溝の穴から覗いているアライグマの親子に出会ったり。娘とのそんな時間が懐かしい。

バタバタと帰国、知り合いのいない新しい街での子育てが始まり、しばらくして公園デビューするも、すでに出来上がったグループに入れてもらうより、娘は砂場で一人で遊ぶのを好み、室内での一人遊びも大好きでした。

私自身、小さい頃から一人でいるのが好きだったこと・・ちょうどホールディング氏がこの本を著したのがその頃と重なります・・、娘が一人で何かに夢中になっている時の目の輝きに心動かされたこと・・

これらが気づかせたのが、もしかしたら人は一人でいる時に「わたし」を発見して作り上げていくのかも、ということ。

そんな時に見つけたこの本。

「私たちはとにかく集団でいようとする強迫観念に取りつかれています。誰もがみんなから離れていると利己的であるかの如く感じるが故にお互いを集団に引き入れ、一人でいることを恐れるあまり、集団の中に自らを埋没させるのです」

「もし人間が孤独の中に身を置いて、自分の内側で何かが起こることを許さなければ、人間は必ずや精神的に行き詰まってしまうだろう。子どもでも、おとなでも、絶え間なく刺激に身をさらし、外側の世界に反応することに多大のエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、萎縮させることになるだろう」

『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(エリーズ・ホールディング著)より抜粋

同じ目的で集まることはとても楽しいけど、一人でいることが続いても特に苦痛でないという自分は、寂しさという感情が乏しい性格なのか、というくらいに捉えていた自分のスタイル。

娘からの気づきとともに、ホールディング氏の意見に大きく頷く自分がいました。

そして今、娘の第一子が私にさらに子どもの素晴らしさを伝えてくれています。

子どもは一人でいる時に「わたし」を発見して作り上げていくとしたら、この感覚が、病室で病と闘っている一人ひとりの子どもたちを愛おしく感じさせる所以かもしれません。