誰もが当事者👵

活動の原点といえば

院内学級で教員として何もできずにお別れになった

S君との思い出。

「先生、ごめんね。僕、もう目が見えなくなって、

せっかく来てくれたのに先生のことが見えないんだ・・・」

何もできない自分に対して

今にも消え入りそうな命を押して

彼の言った言葉

「先生、ごめんね」

何もできなかった上

彼にこう言わせた自分を責めました。

しかし彼は私に無力さや悔しさと引き換えに、

「後悔なんかで今日といういちにちを無駄にしないで! 

命をどう使うか考えてよ」

と前を向く勇気をくれ、

なすべき使命に気づかせてくれました。

今でもS君が活動の指針です。

ある福祉活動に熱心な芸能人の雑誌への寄稿文が

印象に残っています。

原爆症の患者さんと握手したり抱き合ったりした時に

その方の顔や手の水疱が潰れ

出た汁が自分の手に。

洗面所に駆け込み急いで手を洗った自分。

自己嫌悪に苛まれたとありました。

善人然と振舞っていた自分は偽善者だと。

そのことがあってから

「当事者にはなれないけれど

何があっても相手の痛みや苦しみに心を寄せることを

忘れないようにしている」

と書かれていました。

*****

自分の話に戻りますが

団体の活動が軌道に乗った頃

自分は当事者でもないし

自分の子どもに難病や障がいがあった訳ではない。

だから彼らの気持ちに100%寄り添えるわけがないのに

支援しているつもりになっているようで

自分のしていることに疑問を持った時期がありました。

子どもが入院し制限ばかりの中で

何か自分にできないかと模索し出た答えが

今の活動。

だけど、いいのかな・・わかった気になってないかな・。

知らずに当事者を傷つけてはいないだろうか、と。

当事者にはなれないけれど・・・

と言う話がありましたが、

当事者になれないと決めつけるから逆に

支援する立場とされる立場の分断が

できるのだと、

寄稿文を思い返して

改めて感じます。

自分はたまたま健康に生まれた。

たまたま障がいがない。

困難があるといえば

交通事故の後遺症による軽い麻痺と痺れ。

最近少し忘れっぽいというのも困った点。

ほんの数秒前に話題にしていたことが

今の話題に結びつかなかったりすることも多くなりました。

そしてもっと歳をとって

生活する上で人の助けを必要とする時がきます。

今健康だってそれはたまたま、です。

そして、誰もが当事者になり得るのです。

境目をつける必要はない。

障がいと生きる人は大先輩。

いずれ困難がやってくるときのために

たくさん教えてもらえる強い味方です。

そんな風に思っていると

どんなに小さなことでも

互いに「助けて」と言えて

その声に耳を傾け合うことができそうです。

そんな空気が日常当たり前にあれば

小さな幸せが

大きな平和につながりそうです。

*****

人生の大先輩であるホームにいる母に

感染予防のために会えずにいます。

重度の認知症のため

言葉も出ず私のこともわからない。

だけど会うたび全身で生きることについて

教えてくれる母。

会うたび自分の将来を描いてみたりします。

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〜高齢化社会に思うこと〜

ついに症状が出た

というわけではありませんが、

急速に進む社会高齢化に伴い

世の中はどうなっていくのかな・・

と考えると、

ふと認知症についても考えます。

確かに・・

短期記憶が怪しくなってきた・・とか

いつもメガネを探している・・とか

現実、あれ?と思うことが増えてきました。

多分同世代の人(昭和ど真ん中生まれ)は

多かれ少なかれ心当たりがあるのではないでしょうか。

そもそも最近では若年性認知症も増えているようですが、

寿命が延びたことで認知症の人が確実に増え続けています。

そのケアのあり方が

社会課題になっているのは必然のことのような気がします。

だとしても昨今、

認知症にならないための生活改善云々・・ とか、

今からでも間に合う脳のトレーニング云々・・ とか、

予防をテーマにした書籍が

書店を賑わせています。

いざ認知症になった人への対応については、

周りの人にとっての対処法についての議論が一般的です。

しかし

否応ない高齢化に伴い計り知れないほど出現するであろう認知症。

これはもう仕様がない。

対処ではなく

社会がどう変わるべきなのか

認知症の人も豊かに暮らせるようにするための施策が必要と考えます。

農村で農業をしながら認知症と折り合いをつけながら幸せに暮らしている方の事例を新聞で読みました。

認知症であるそのことだけに焦点をおかずに

もっとトータルな人生設計ができたらいいのにな。

認知症になる・・・

老化の過程と捉えれば気がラクになるような気もします。

もはや他人事ではない、誰にでも老いは訪れますから。

だから社会の仕組みやインフラを変える。

世の中を広い視点で見てみます。

障害者は増える、医療的ケア児が増える。

高齢者は増える、認知症は増える。

困難を抱えない人の方が少ないんじゃないかと思えるこの頃。

さらに今現在

難なく生活している人も

遅かれ早かれ当事者になる可能性は大です。

「障害は環境が作る」

という考え方に立てば、

当人に直接アプローチする

対処法

ではなく

誰もが幸せに暮らせる

環境作りに発想転換できないものかと考えます。

高齢者による交通事故や火災など

悲しい事故が続いています。

環境作りにシフトすれば

このような問題もずいぶんと

軽減されるような気がします。

2040年には、高齢者が人口の35.3%になる

総務省統計局調べ HPより

と言われています。

医療はますます進歩し

在宅医療、看護を受ける人もさらに増えるでしょう。

今から社会のあり方

人権や多様性への認識について

角度を変えてみていかなくてはならないと思っています。