子どもが大切にされる平和な社会へ

〜モンテッソーリ教育とは?〜

藤井4段によって、モンテッソーリ教育の素晴らしさが脚光を浴び、一気に関心も高まったようです。我が子の幼稚園選択の時にモンテッソーリ教育に出会い、この魅力にとりつかれた者の一人として、これからも勉強しながら書いていきたいと思います。今回はその目的についてと、モンテッソーリがこの考えに至ったストーリーの一つと呼べるエピソードに触れます。

〜目的は「自立した子どもを育てること」〜

すなわち、よく整備された環境を用意することで、そこで子どもは自ら体験し学ぶのだと考えます。何故なら、子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくるからだ、と言っています。だから大人(親や教師)は自由を保障し、自発的な活動を助けることに徹しなければならないという考え方です。

〜偉大な教育者出現へのストーリー〜

日本ではモンテッソーリ教育といえばお受験用の早期教育と誤解している人も多いようですが、実は知的障害や貧困家庭の子供たちへの教育から発展させてきた全人教育です。

この考え方に至った一つのエピソードに、ローマ大学精神科病棟 に研究者として勤務していた時の知的障害の子どもたちとの出会いがあります。

刺激のない劣悪な部屋に入れられている子どもたちが、床に落ちたパンくずを集めて食べていました。その部屋には他に何もなく、そのパンくずが手や指を使える唯一の対象でした。パンくずを口に入れる障害児の本能的な動作を見て、この時に瞬時に「この子どもたちは何かをしたい、世界と接触したいという欲求を持っている。社会と遮断されている中で必死に自分自身の力で身体、頭脳、人格の発達を図ろうと努めている。これは医学の問題ではなく、教育の問題ではないか」と感じたといいます。この出会いがモンテッソーリの心を動かし、知的障害児の治療に専念するようになりました。

さらに知的・発達障害の子どもたちについての研究を通し、子供達の潜在能力の観点から、その研究が健常児に対する教育にも当てはまるものであることを発見したと、M・モンテッソーリ著「モンテッソーリの教育・0〜6歳まで」にあります。人の日常的な動きの中に深い意味を見出す研究者の視点での洞察力は素晴らしく、マリア・モンテッソーリが愛情ぶかい一人の人間であったことをここで改めて感じます。