東日本大震災から7年が経ちました。
被災された方々、ご遺族の悔しさ、無念さはどれほどだろうかと推し量ることしかできません。
先日、残された家族の苦しみを描いたドキュメンタリーをテレビで観ました。
子どもたちに、
「大人は何もできなかったじゃないか」
と言われるのは辛い。
負の遺産を残したまま、子どもたちに尻拭いさせるのはあまりにも辛い。
と怒りのこもった強い語気で涙を浮かべながら話す男性の姿が強く印象に残っています。
無念だといいながらうなだれるのではなく、前に進むために日々を懸命に生きる人たちに、ひたすら頭がさがる思いで見入りました。
ふと、世界的ロングセラー、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」のあるくだりが浮かびました。
「生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ」
この本は折に触れ手に取る愛読書です。
ナチスの強制収容所での生活を体験した心理学者の描く
人間とは・・
社会とは・・
歴史とは・・
そして生きるとは・・
その奥深さがじんとしみる作品はまわりの人につい勧めてしまう本です。
さらに特に繰り返し読む部分を抜粋します。
「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない」
「誰もその苦しみを取り除くことはできない。誰もその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、二つとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ」
収容所生活の中で明日もわからない中フランクルは、
「希望を捨て、投げやりになる気はない。なぜなら未来のことは誰にもわからないし、次の瞬間自分に何が起こるかさえわからないからだ」
と人々に語ったといいます。
私自身、活動の中で、余命宣告された子どもたちを前にしても、同じ「時」を共有する喜びが得られるのは、
・・・「今」そして「時間そのもの」は平等に与えられている・・・
という個人的な考えかたからきており、フランクルの哲学に大いに共感する所以です。
出典:ビクトール・E・フランクル「夜と霧」新版 池田香代子訳