都立の特別支援学校の肢体不自由部門で学校介護職員制度が導入されたのは、私がまだ勤務中の2011年ごろだったと記憶しています。
その頃はへえ~そうなんだ。教員の負担を軽減するためなんだな、と浅はかな認識でした。
病弱部門にいて実感もなく、のんきなものでした。
そしてそのまま2011年度末に退職してしまったので、職員さんが現場の教員や子どもたちとどのような関わり方をしているのか、知らないまま過ぎました。
しかし、最近特別支援学校のあれこれに不服を漏らすうち、ふと介護職制度はどうなった?
とむし返し、さらに疑問に思うようになりました。
まず、国は、少子化に伴い教員数削減を進めています。36年までに約4万人削減!?!?もっとかな?
この動きは、用務職員、給食調理員など、民間委託化が進んだ時期とも重なるような気がします。
財務省の全くの乱暴な機械的計算としか思えません。
特別に支援を要する子供たちは増加し、発達障害の子どもや日本語を話せない外国籍の児童がこれからも増えていくでしょう。
さらにグローバル化や ITの進歩により教育課題も複雑化、多様化し続けます。
障害の重い児童・生徒が増え、教員が介助に当たることが多くなっ てきたために 「外部人材」を利用する。
障害児教育において、教員数を減らして非常勤の介護士を雇う・・。
まったく予算削減ありき!数やお金の問題ではないのです。
肢体不自由児や重症心身障害児にとって、その主体形成や生活において、他者から介助を受けることは不可欠で、体を触れ合うという介助を通じたコミュニケーションが何よりも大切と考えます。
子どもと教師の関わりの全てが教育実践の重要な構成部分なのです。
例えば、オムツを替える行為は重要なコミュニケーションの活動です。排尿の意思表示、訴える相手や場所の変化の認知、活動に応じた身体の構えや動き、衣服の着脱など、前後の行動との深い結びつきを意識できます。外せない学習です。
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肝心の教員と介護職員の連携において・・子どもについての共有を図るための時間が不足し、共通理解を図ることがスムーズに行かない→指導のしにくさ+子どもが犠牲。
教員の問題として・・この制度の導入が教員削減を伴って実施されているため、指導以外の業務が一人一人の 教員に重くのしかかる→教員の疲弊 。
こんな問題も根底にあります。
【教育と「介護」を分けることにより 、介護職員は「介護」 を行い 、教員は授業に専念する】
が制度を導入した教育行政サイドの謳い文句。しかし実際には教員が授業に専念できるほど、現場に余裕が生まれていないどころか、特別支援についての甚だしい勘違いである。
学校という現場で深く生徒と関わる教員が子どもを理解することは当たり前のことです。
肢体不自由児や重症心身障害児にとって、介助を通して心のふれあい、信頼関係、生活の練習があり、それはまさに教員がやるべきことです。
そこにたっぷりの時間をとるべきなのに、介助はむしろ指導の妨げになると考えている行政に、血の通った人間がいるのか!
寄り添いの気持ちや想像力が全くないと強く思います。
学校介護職員募集が民間の求人サイトにたくさん載っている・・腹立たしくなります。
この現状、もはや教育ではない!
学校介護職員制度、廃止すべし!!