グローバル社会と言われて久しい。
たしかに開発援助がすすみ、産業は国をこえて規制緩和。大国による援助の名の下で行われる目に見えない小国の支配はインフラを中心にめまぐるしい。
だけど、それぞれの国の特有な文化や習慣、考え方まではグローバル化できないところに、大きな落とし穴があるような気がします。
文明、技術、物質の普及を「豊かになった」と喜んでいると、気づかないうちに本当の幸せを見失っていた、そんな例は、皮肉にも、
いよいよローカルの時代~ヘレナさんの「幸せの経済学」 by ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ+辻信一
を読み、さらにドキュメンタリー「幸せの経済学」を観たあと、ブログで感想を綴っています(→7/10投稿「幸せの経済学」)。
さて、日本でグローバル化どころか、世界の流れに逆行する現象が起こっているのが教育。
学校ではフィールドワークだ、アクティブラーニングだと流行語虚しく、授業数を増やし、子どもを教室に閉じこめる時間の延長。夏休みの短縮が起こっています。
知識の量や数値で人を評価するような、無駄な競争社会作りに邁進しているようにしか見えません。
世界の教育事情について北欧を例に書いたことがあります(→2017/7/12投稿「フィンランドの教育」)。チームで協力する姿勢を学んだり、失敗から学んだり、何度でもやり直したりできる。全国統一テストもなく、あえて落ちこぼれを作るような無駄な競争はない。自分の好きなことを見つけて伸ばしたり、コミュニケーションの力をつける機会がふんだんにある、と。
授業数も日本より少なく、学校の外でのフィールドワークがたっぷりあることも特徴です。
AI(人工知能)の研究が進み実用化が進んでいる今、AIには及ばない部分こそ、学校教育での活動に必要なことなのではないでしょうか。
AIとは・・人間の知能そのものをもつ機械
・・人間が知能を使ってすることを代わって行う機械
人工知能学会HPより
学校教育での活動に必要なこと、それは、
・・・クリエイティブな思考
・・・社会を良くしようとするコミュニケーション力や行動力
・・・情報をどうやって集め、いかに取捨選択し活用するか
などを練習すること。
これこそグローバルスタンダードではないかと考えます。
これらの力をつけ、AIとうまく共存することで、
グローバル社会のなかで、
違った民族と自由に意見しあい、
他国と良好で安定した関係を築き、
国民一人ひとりが幸福になるということが、
グローバル化の今こそ、一つ一つの国が追求すべきこと。
それこそが豊かな国力となるのではないでしょうか。
こんなデータがあります。
「高校生の国際比較意識調査」
🌀自分は優秀だと思う
米国・・・88%
中国・・・67%
韓国・・・47%
日本・・・15%
🌀自分は価値のある人間だと思う
米国・・・89%
中国・・・88%
韓国・・・75%
日本・・・36%
日本は謙虚さが美徳とされる国だからの結果でもあるでしょう。
しかし、この数字を見る限り、悲しいかな、若者が幸せになろうと希望する姿が見えてこない。
もっとも、中国や韓国はものすごい競争社会で受験熱が日本以上だと聞きます。
それでもこのデータが物語る理由についてはまた調べてみたいと思います。
日本の教育現場、動きながら課題を見つけ、解決の方法を考え試し自分なりの策を見極め、集団の中で意見を言い仲間と一緒に問題を解決していく。そんな生き生きとした学びの場が少なすぎるのではないでしょうか。
⭕️知識が豊富な人=優秀な人
⭕️一流の大学を出て一流企業に勤めている=価値ある人間
って勘違いしてない?
それこそが国際基準に激しく逆行です。
国境を越え、人と人が手を携えよりよい地球を作っていく人材を作ることが、教育のグローバリゼーションだと考えます。
「優秀になって序列を上げたい」より、
「貧困問題を解決するという志を果たすために勉強して優秀になりたい!」
と若者が言えば、聞いている方だって幸せな気持ちになります。
さあ、何時間も教科書や黒板とにらめっこして知識を溜め込むのはやめ、本当に幸せになるための学びへ向かって教育のグローバリゼーションに目覚めよ、日本!
AIの役目を、私たち人間が躍起になっているなんて、
人間であることがもったいなくなるよ。