子どもが大切にされる平和な社会へ

〜子どもと静寂〜

モンテッソーリ子どもの家を訪れるとその静けさと落ち着きにびっくりすることがあります。

初めて見た人は子どもらしくない、という印象を持つかもしれません。

子どもはのびのびと駆け回って元気いっぱい遊ぶもの、そして幼児期はそうであるべきと私も考えます。

だからといって、子どもの家では静かに活動することが強制されているかというと、全く逆です。

もしそうだとしたら、特にこの時期静かさを強要しては、子どもの言語発達や社会性に多大な障害をもたらすに違いありません。

この静かさは、子どもたちの内面からのもの。自分で選んだことに夢中になっている結果が、集中、そして落ち着きをもたらすのです。

決して静かにしていることがモンテッソーリ教育の目的ではありません。

この集中現象の中に、実は心と身体の成長への大きな鍵があります。

度々触れていますが、自分が選んだことに集中して達成感を持つ、気がすむまで繰り返して元に戻す、この一連の活動を繰り返すことによって、自信や意欲、好奇心が育ちます。

その活動の面白さを身体で感じ満足しているから心が安定し、他の子が待っていたら自然と譲る他者への思いやりも育ちます。きちんと元に戻すのも次に使う子のためです。

身体的な成長とは、集中して活動する中で、手や目や道具を使っての基本的動作「つかむ」「入れる」「切る」「挟む」「塗る」「鉛筆を持つ」「束ねる」などを繰り返すことによって、巧緻性やボディイメージの獲得、そして安全への意識も生まれると考えます。

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息子が子どもの家にいた頃の強く印象に残っている、静かさにまつわる事例があります。

自由時間を終了し、一斉活動を始めるために先生が子供達を集める時のことです。

はじめは「みなさ~ん、お片づけをして集まりましょう」と言って集合させました。

子どもたちは作業を片付け始め、椅子に座ります。

しかし、中には聞こえていない子、またはゆっくりと支度をする子どももいて、なかなか全員が一斉に集まる、とはなりません。

次に全員に向けて、聞こえるか、聞こえないかというくらい小さく、

「みなさん・・」と声をかけ始めました。

一度で動かない子には、とかく声を大きくして「ほらほら、早く。みんな待ってますよ」などと暗に「困った子」という烙印を押してしまうものです。

さて、先生の小さな声は不思議とみんなに気づきをもたらし、さささっと全員があっという間に集まりました。

強制的とは真逆の、空気を読む力、今どうするべきかを自分から気付く力を養っているようでした。

他の子より遅いことでみんなの前で半ば怒鳴られ、仕方なく片づけて椅子に座ることになったら面目丸潰れです。

この子どもの家の「集合の仕方」は、自分から気づき動くことの大切さに加え、決して自信を失わせたりはせずにソーシャルスキルを身につけさせる素晴らしい機会だと感じました。

子どもと静寂・・実は切り離せない、大切な要素だったんですね。