つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

遅咲きのモラトリアム

久米島に離島留学している息子からは1日とおかず電話がかかってくる。

今回は進路担当の先生に両親の生き方について聞くことを勧められた、と。

私の仕事については興味がありそうななさそうな、こちらから聞きなさい、と言って聞かせることの効果はほとんどないことは自明のことなので息子からのアクションを待っていた、という感じだったが、

母親の職業について先生はHP等見てくれたようで、

銀行員→主婦→教員→NPO設立代表

という経緯は聞いてみる価値があるとの先生の勧めに息子は大いに納得したようだ。

それはね、・・・

・・・・・・・・

と話すうち、

自分から選んだ道というより、結果的に出会った多くの人が先導者になってくれた、ということを再確認する自分に気づく。

紆余曲折の中で、自分はこれでいいのかという遅咲きのモラトリアムの時代を経て、遅ればせながら教員になる夢を苦労して叶えた。人生は自分で切り拓くのだよ、とばかりに苦難の時が差し出された後には、何か大きな力に押されるようにして、自分の居場所を見つけたのだ。

結果的に苦労が多かった自分が、これからの若者に進んで苦労しなさい、というのも愛がない。苦労は若い時にちゃんと人生について考えず無為に過ごしていたツケだったかもしれないし、大いなる教えだったかもしれない。

人生の目的を見つけて、夢を実現させるまでの過程、現場での苦労、そんな話をたくさん聞いてみるのもいい。

私のような、曲がりくねったり脱線したりの連続の道のりも参考にしてくれたら嬉しい。

昨日の電話の結びは、たくさんの人の話を聞いて多くの価値観に触れること。そしてやってみること。まず動くこと。

息子との会話が自己を反芻することに繋がった。

じゃまたね、おやすみ・・

人生についての会話の余韻に浸る。

背中を押してくれた何か大きな力とは、ほかならぬ、病院で出会った子どもたちなんだと。

若者や子どもたちは、いつも基礎基本、ちゃんと生きることに立ち返らせてくれる。