怪シリーズで書いてきた公共交通機関での謎
1 優先席の怪
3 ホームドアの怪
すべてバリア除去が趣旨でありながら
ちょっと変だな。
と日頃感じていることを
だらだらと綴っています。
続く第4弾は
ズバリ!
そもそもバリアフリーとは⁉️
について疑問をぶつけてみます。
バリアとは段差など物理的なものをつい思い浮かべますが、制度、文化、意識面でも様々な壁があるのは確かです。
しかし、依然
物理的な障壁についてもう少し掘り下げたくなりました。
段差をなくす
これはもはや車椅子ユーザーにとっては必須です。
しかし、白杖ユーザーが地面の段差に杖を打ちつけて感覚をつかみ、
段差をむしろ手がかりにしているような風景を見かけます。
あ、これより右側(左側)には段差があるからここを歩こう、と見通しを持つ
そんな場面です。
段差があることでそれに沿って歩く、ということもできるかもしれません。
もし段差が全くなかったらどっちの方向を向いて歩けばいいのか、見当がつかないだろうな、と想像します。
いやいや、バリア撤去しきれてないところを
たまたま利用してるだけだよ、
ということなのかもしれませんし、
これはあくまでも個人的な感想なので誰にとっても段差は危険だ、
というのが本来なのかもしれません。
また、駅ホームの点字ブロックは
そんな方たちへの導線として各駅に施されています。
しかし、こちらは逆に車椅子ユーザーにとってはバリアとなります。
こんなふうに考えると、
バリアフリーとは
一つひとつ、対象が違っていて
誰にとってもバリアフリー
ユニバーサル・バリアフリー?
というのはもはや叶わないのかな、
とちょっと寂しい気持ちになります。
ある人たちにとってバリアフリーでも
別の立場にとっては
バリアアリー !?
になっちゃう。
この現象を
バリアフリーコンフリクト(Conflict=対立、衝突)
と呼ぶそうです。
バリアフリー化が別のバリアを作ってしまう。
もはや普遍的なテーマ。
あちらを立てればこちらが立たず
といったところでしょうか。
バリアフリーは自分には全く必要ないと考えている人にとっても
実はちょっとした所で
なんか変だな、不公平だなとか
思うことがあるかもしれません。
物理的な問題ではなく、制度的なバリアにぶつかる場合も多いと思います。
参考:バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ(中邑憲龍氏/福島智氏 編)東京大学出版会