我が家ではヌマエビ4匹を育てている。
ガラスの水槽でたくさんの水草と一緒に。
窓際で光を浴びて光合成を繰り返す水草は
みずみずしく透き通り
それはそれは美しくて
見ているだけで癒される。
合間を泳ぎ遊ぶヌマエビたちも
負けないほどに美しく透き通り
その動きを見ていると
いつまでも飽きないものだ。
最近、ふと気付いた。
というか、ヌマエビが
身をもって
教えてくれたことがある。
コミュニティにおいて
「目新しいもの」が生むものは・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まず、ペット類を買うときは
決まってエサも一緒に買う。
当たり前だ。
食料がなければ死んでしまう。
パッケージは
✔︎嗜好性抜群!
✔︎産卵、成長に必要な栄養素を各種配合
✔︎シュリンプが食べやすい形状
✔︎水を汚さない
✔︎着色剤不使用
✔︎ヌマエビの喜ぶ美味しさ!
などなど、
本人!たちの嗜好に合わせて
飼い主にも寄り添って
魅力的な触れ込みつきだ。
ここからだ。
エサを与えるごとに
すごい勢いで彼らは群がる。
「食い物の恨みは恐ろしい」
とはこのことだ。
一つ投入するごとに
4匹が脱兎!のごとく
ものすごい勢いで集まり取り合う。
怯んでいる場合ではない。
おいおい
一つずつあるぞ、と
慌て急いで追加3つ放り込む。
おやおや
1つGETしたはずの1匹が
持っているものをあっさりと捨て
新しいエサに一目散だ。
良かれ
と思って美味しいものを与えた
その先には、
奪い合い
争い
が発生する。
目新しく魅力的なもの
が彼らの関係を壊したということか。
最初だけかと思ったが
毎回この騒ぎ。
脱落した者は次回こそ!と敵対心を?
勝者は驕りを?
ヌマエビたちは学んだのか、
餌投入後のスピードに拍車がかかる。
そこで思う。
これではストレス社会だ、
親切心と愛情で与えた餌が
争いの元になるなんて・・・。
そこで
苔やプランクトンが食料になる
という情報を信じ
しばらくエサ投入を止めてみた。
食べ物が、なくて大丈夫かな?
という心配は取り越し苦労だった。
彼らはそれぞれが自分で水草の表面や
水槽のガラス内側についた苔などを
それはそれは穏やかに食べている。
平和そのものだ。
好循環の生態系を作っていると言えるかもしれない。
そしてそれは水槽をきれいにするという働きをも持つ。
そして言わずもがな
争いは消え
穏やかさが蘇ったのだ。
外部から
もの
が入ってこないことが生むものは
彼ら独自のコミュニティ
平和な社会。
餌のせいで水を汚すこともなく
環境問題も解決!
究極のローカリゼーションを
ヌマエビたちにまざまざと見せつけられた
というわけ。
以前ブログで紹介した
幸せの経済(→2018/7/10投稿〜幸せの経済学〜)
がこの小さな水槽に存在した!
ラダックという山あいにある小さな国のこと。
民が互いに助け合い
わかち合い
地産地消の豊かな生活をしていたが、
先進国が
貧しい国を支援するという名目で
インフラの開発や物流を投入した。
幸せな共生社会だったはずが
物があふれ
便利になったことで
生まれたものは
やはり
奪い合い
競争。
しだいに
いがみ合いや争いが絶えなくなった。
ほしいものは何もない、と言っていた人たちが
「自分たちは貧しいのだ」
と思い込まされてしまう・・。
*****
良かれと思って外野がすること
=ヌマエビに市販のエサを与えること
=地産地消の豊かだったコミュニティに
便利さや富をと、お節介をすること
自立心ばかりでなく
卑屈な思いを抱かせ
人間関係を壊し内部争いを生む。
*****
我が家のビオトープは
生き物の生態を観察することや
癒しをくれるもの
としてだけでない。
社会の縮図や教訓を
ひとしれずひっそりと
何気なく教えてくれている。
小さなコミュニティで
互いの顔が見える仕組みや経済が
成り立てば
これぞ本物の
幸せの経済。
愛しいヌマエビ君たちが教えてくれました。