子どもが大切にされる平和で調和のとれた社会へ

〜All or Nothingでいい?〜

ゼロか100か。

これしかない思想は危険だと思います。

柔軟性、寛容、助け合いの精神は

グレーゾーンがあってこそではないのかなと。

学校現場で・・

学校に行かないのはダメ 行けば○

学校生活がどんなものであってもそこは問わず

とにかく行く、という選択を押し付けることにより

子どもを追い込むことになります。

行かないのは認めません。

ゼロか100。

しかし学校ではない場所で学ぶことの方が良かったりする。

クラスで・・

こんな考え発表したら

なんだお前、そんなこと考えてるのか

と笑われるのではないかという不安から

だんまりを決め込むか、

バカにされるのを覚悟で思い切って言うか。

ゼロか100。

そこにちょっとした話し合いの場と空気があればいいけど・。

個人で・・

問題を指摘されることにより

全人格否定された様に思い込む。

またはその人のある行動を問題にするはずが

全否定するような態度に出る。

これもゼロか100。

これ、日本人特有な性質なのだそう。

これは

コミュニケーション力や

集団での問題解決力のランクが

国際的な調査で日本がとても低いことと

無関係ではないでしょう。

集団で・・

新しいアイデア。

前例がないからと却下。

やってもいいけど自己責任で・・。

となります。

やり方を少し変てみない?

とか

この部分私が担当するよ

などと言う工夫、検討なしで

やるなら自分でやって! それでなくちゃ無理。

これもゼロか100。

トライ&エラーを繰り返して

人も社会も成熟していくんじゃないの?

社会で・・

一度犯罪を犯せば一生犯罪者。

深い反省の上に、自分の失敗を生かして人を助けたい

という気持ちがあっても這い上がるのは至難の技。

一度の過ちでレッテルを貼ってしまうのは

やり直しを認めない不寛容の極み。

ゼロか100。

人は学び続け変わっていくのに。

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いずれも

背景や動機に思いを巡らす前に切り捨てるやり方です。

自分で背負ってください。周りは知りませんよと。

他人事、窓口抑制、自己責任論・・。

このような思想が根底にある社会の中で

大人たちの行動を見る子どもたちは

もはや大人は信頼できない

今だけ、自分だけの事なかれ主義者だと

見切りをつけているように思います。

共感や助け合い

多様を豊かさに生かすなど

発想にも至らないかごとくの冷たさ・・・。

これらの歪みは全て

子ども、若者、障害者、高齢者など弱い立場の人に襲い掛かります。

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一人ひとりは

100人いたら百様の考え方

生き方があると心では思っているはずです。

しかし

社会の風潮の中で

ゼロか100か、

どっちかに決めければならないと

見えないげんこつに脅かされているみたい。

または

優柔不断なやつ、という評価を恐れるからか。

自分の考えをまとめないうちに

多勢に同調しておけば考えるという面倒を省き

楽で安心という

安易な生き方を選んでしまうのか。

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いっぽう

当事者が立ち上がり

グイグイと行動する姿が

最近とても多くなったと感じます。

自己責任と言われても

痛くもかゆくもないと毅然と闘い続けます。

問題から目をそらさず

マイノリティであることをむしろ誇りとパワーに変えて

運動する人たち、すごい、と思います。

そんな姿を子どもたちにどんどん見て欲しいと感じます。

大人だって捨てたもんじゃないよ。

 立つ鳥跡を濁さず

これは日本人の美徳だったはず。

これから社会を生きていく若者たちが幸せであるために

社会を整えるのが大人の使命です。

“All or Nothing”

という想像力の欠如を超え

人権、当事者意識、共感、多様性

そんなキーワードが一人ひとりの心に刻まれたら

一人ひとりの良心が

きちんと活かせるような社会になっていく・・・

そんな気がします。