つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

粘土のふしぎ「手で見るかたち」

盲学校では美術や図工の授業で1年間に1トン以上の粘土を使うそうだ。

目の不自由な子どもが

視覚芸術である美術に取り組むということは

考えにくいかもしれない。

しかしいっぽうで、

晴眼者は色彩や形に目を奪われ

一面的にものを見たりして立体として捉えることを忘れがちになる

とも考えられる。

そんななか

音から想像したり

「手で見た」ものを

深く感じとり

立体を形づくっていくという

粘土を使った創作活動は

触覚の造形として盲学校でよく行われるそうだ。

「手で見るかたち」(1995)美術教師 造形作家 西村陽平著

を夢中で読んだ。

まず 

「手で見る」

というタイトルに

深い示唆を感じ惹かれたのだ。

「目で見る」

という行為が、表面的で一瞬で済ませてしまうような

軽々しいことのようにさえ思えてしまう。

「手で見る」

それは

視覚に頼らずに

”感じること”

こころ奥深く洞察し思索することだと

本書から読み取った。

思えば

団体の事業のひとつに

視覚認知に困難がある子どもに対して

感覚教具を使って

手と目の協応を促し

数や量の概念を体感しながら形成していく

という取り組みがある。

見ることに何の苦労もない者より

視覚に弱さがある方は

ものを肌で感じ取り実感を持って

概念を獲得しているのかもしれない。

「手で見る」

これは晴眼者にとっても

実はとても心を落ち着かせ

自分の世界に浸り

想像力や創造力が

引き出される行為なのではとも思う。

前回と前々回に言及した

「あなたには夢がある」

→5/7投稿〜あなたには夢がある

の著者も、

無目的に生きていたなかで

粘土の魅力に取り憑かれ

陶芸家となり

その素晴らしさを多くの人に伝え

たくさんの人に希望を与えた。

「湿った粘土に初めて両手をのせた時から私は粘土の魅力のとりこになり、

自分の人生にも楽しいことが起こるのだということを信じられるようになった」

「湿った粘土を触っているときの両手の感触がたまらない。

粘土で器を作っていると落ち着きと興奮を同時に覚える。

作っている最中は、感情を抑えているようなところがあるのだが、

イメージはどんどん膨らんでいくのだ」

と著者は語る。

さて

団体の芸術活動の中にクレイアートがある。

2018/1/20投稿~久々の活動アシスト

で綴ったが改めてこちらにその様子を。

粘土工作などの創作活動の時は

素材が子どもの心を開くきっかけになります。

入院生活が辛くて寂しくて泣いてばかりいた小さな女の子。

粘土に小さな手が伸びた時

わずかな笑顔がこぼれました。

ふわふわの粘土をこねこねするのが気持ちいい~とうっとり。

こねていくうち粘土と一緒に心も身体もやわらくなって

どんどん手を動かすようになりました。

気持ちのいい感触、

自由に変えられる素材が

これほどまでに子どもの心を動かし、

大きな変化をもたらすのです。

*****

形のないところから

何かを作り出す・・・。

それは、ある意味で頭をまっさらにし

夢中になり没頭するうち

思索という自分だけの広い宇宙に漕ぎ出すようなイメージだ。

私自身も、ものづくりが好きなことで

幾度となく救われたことがある。

ここに目が見える見えないはもはや関係ないのかもしれない。

「手で見て」感じたままに創作する。

その世界を知ってみたい。

「それにしても、手で見ることには大変な時間がかかる。

しかしこの時間がかかるということは、

もしかしたら大切なことかもしれない。

この時間に様々な想像を膨らませる余裕が与えられるのかもしれない」

「目で見るより手で見る方が作品の数は少ないかもしれないが、

深く見ることができる。

目で見ている人たちも実際に目を閉じて見ると、

新たに見えてくるものもある」

「手で見るかたち」本文より。

参考:西村陽平と子どもたち展|ギャラリー睦

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