〜「言葉」がかわいそうだよ〜

最近、

言葉の使い方に違和感を覚える時があります。

本来の意味と違った趣旨で使われているなぁと思うことが。

解剖学者で「バカの壁」の著者、養老孟司さんが

昨日の東京新聞コラムで、

「本来は自分で決める『自粛』。

しかし強制される空気が漂う。

集団の中で思考力が弱まってる現状に危機感を感じる」

と書いていました。

つまり『自粛』の本来の意味は

強制されるものではなく

自ら行う行為であるはずだ、と。

我が意を得たり!

先日、

「自粛と自己責任」

というタイトルで綴った内容に

お墨付きをいただいたような気持ちになりました。

→2020/4/10投稿~自粛と自己責任

理屈っぽいなぁ、と思われるかもしれないけれど

言葉って生きていると思うのです。

言葉の使い方が世相を反映する、

というのは大げさかもしれないけれど。

それでも言いたい。

自粛の自はself

自粛を英語にするとself discipline。

つまり自主的に行いや態度を慎むこと。

「自粛要請」

とか

「自粛しなさい」

とか、「自粛を求める」って矛盾してませんか。

そもそもの意味を取り違えていて

使い方に違和感を感じます。

なんか変だなと。

さらに

言葉の使い方について疑問を持ったことがもう一つあります。

『ボランティア』という言葉。

オリパラ教育において

ボランティアマインドを育てるために

公立中学校と高校に

ボランティアが定数割り当てられ

実質半強制的なボランティア参加が求められている(いた)

ことについて

やはり

なんか違う、と。

オリパラ教育→オリンピック・パラリンピック教育の通称でオリンピックの理念〔オリンピズム〕、パラリンピックの理念について学ぶとともに、オリンピック・パラリンピックの価値を体験的に教えていこうとする教育的活動のこと(日体大サイトより)

このことについては

2019/12/18付ブログ~強制的ボランティア?

で綴っています。

こちらもボランティアの意味を履き違えているのでは?と。

ボランティアは

ボランタリーに(自らすすんで)行う

という意味。

「ボランティア活動に参加しませんか?」

は通じるけど

「ボランティアをしなさい」

は通じない。

*****

「自粛」

「ボランティア」

いずれも自ら進んで自由意志で行うもの。

それを当たり前のように強制したり要請したりする。

後者の意味で使う場合、

相手に行動力や

主体性が備わっていないことが前提のように思えます。

つまり、愛がない

相手への敬いがない、と感じます。

そんなつもりはありません!

と言われるかもしれない。

”嘘からでたまこと”

という表現がありますが

当たり前のように繰り返し使われると

慣れてしまい、

それこそ

言ってる側も

言われている側も

当たり前に使ってしまうから恐ろしいものです。

違和感を感じている人、多いと思うけどなぁ。

もっと言うと、

学校で子どもたちの主体的な学びの形が

なかなか確立しないのも

同じ文化ゆえかも、

つまり、子どもを信じ敬うアプローチがされていない

と。

都合に合わせて解釈を変えられたら

言葉がかわいそうだなぁ、と思う。

言葉はそれぞれの思いを伝えるという重要な任務を負ってくれているんだから、

うんと大切にしなきゃ。

人(相手)と言葉あってこそ

社会も作られていくでしょ・

*****

自粛を強制され

思考力が弱まっている現状に危機感を感じると

養老さん。

私はさらに

自粛を始め、本来的でない意味で言葉を使うことに

違和感を感じないとしたら

そここそがまず

思考が弱まっている状態なのでは?と感じてしまう。

ひねくれているのかな。

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