「言葉」がかわいそうだよ2

最近、

言葉の使い方に違和感を覚える時があります。

「自粛」「ボランティア」

を例に挙げて、そのもやもやを綴ったのが

ついこの間の12日。

本来の意味と違った趣旨で使われているなぁという

印象を書きました。

そして14日

東京新聞朝刊の「新聞を読んで」というコラムに

法政大学教授の上西充子さんが

同じような言葉の使い方への違和感を述べていました。

まことにおこがましいのですが

再び

我が意を得たり!

と嬉しくなりました。

上西さんが取り上げたのは

紙面の記事でよく出会う

「反発」

という言葉。

結論から先に言えば

「抗議」

「反対」

「反論」

で良いところをあえて「反発」と書くその意図やスタンスが

透けて見えてしまう、と言うのです。

なるほど。

例えば

「世論は反発」

「親の意見に反発」

「生徒が先生に反発」

は言うけれど

「検察OBが反発」

「親は子どもに反発」

「先生が生徒に反発」

とは言わないですね。

反発とは

株で言えば下落している相場が一転して上昇すること。

その言葉には

下から上への動きのニュアンスがあります。

上西さんは

「反対」「抗議」ではなく

「反発」を使うことで

上から見下すような意味あいが出てしまうと言うのです。

しかし

わかりやすい表現として深い意味もなく

悪気もなく広く使われているこの言葉。

記者も無意識に使ってしまっているのだろうと思います。

もちろん、どのメディアも独自のポリシーに則った記事を書く。

しかし、こと、言葉の使い方に限って言えば

ある種の意図的な文脈が見え隠れするような表現は

世論を捉え形成するメディアの立場として

あってはならないと考えます。

読者の知性への信頼が根底にあれば

このような表現は避けるはずだと思うのです。

まさか

検察OBは偉くて国民は下の階層・・・

なんて記者も新聞社も思ってないでしょう。

世論形成する立場として

読者を敬い、責任のある表現を

注意深く選んでほしいな、と思います。

私も

上西さんの主張を読んで

なるほど、

「自粛」

「ボランティア」

同様、

何か本来の意味とは別の意味があり

そのB面の存在に気づかないで

無意識に読んでしまっていることは

往往にしてあることに改めて気づきました。

少なくとも信頼して選んでいる媒体に

知らないうちに意識操作されてしまっているかもしれないなどとは

思いたくもないことです。

「言葉」に人格があれば

「抗議」

するだろうな。

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