つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

〜総合的、俯瞰的の意味を考えよう🤔〜

目下、テレビをつければ聞こえるあの言葉。

「総合的、俯瞰的」。

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」

とは

日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否する理由として

首相があげた言葉だ。

目下、一番意味不明な表現として有名。

具体的に説明してほしいな、

抽象的な言葉を連呼するのを見ていると

なんだか、じれったく残念な気持ちになってくる。

ほんらい、俯瞰的には

「高いところから見下ろすこと」

「全体を上から見ること」

という意味がある(広辞苑)。

出版に向け書き上げた原稿に

「あの頃の自分を俯瞰する」

という表現を使った箇所があった。

「俯瞰」とは高いところから様子を見る、という意味から

冷静に少し距離を置いて見る、

という意味合いとしても使えると思っていたが

プロデューサーから

「ちょっと『俯瞰』はわかりにくいですね・・」

と言われ、そうかなあ・・

と納得しないまま修正したものだが、

今になってはご指摘に心から感謝。

「俯瞰」という言葉を使うこと自体がなんだか恥ずかしい昨今である。

さて

かつて学術会議の当時の会長が

敢えて俯瞰的

という言葉を使ったことがあるというが

それは

「哲学、天文学、経済学など、学問分野は約30ある。

学術会議が社会に対して役立つ助言をする役割があり

そのためには、空から見下ろす鳥のように、

全領域をくまなく見渡す目が必要だ」

という意味だったという(東京新聞朝刊)。

例えば

特定の分野の研究者が何千億円もする実験装置を欲しがったとしても、

全体を見渡し、

「今、お金をかけるべき分野は何か」を

判断する力が学術会議には必要なのだという。

ちょっと待って!

6人の考え方が政府と異なっているから除外されたのでは?

ということが指摘されているが

そうだとすれば

まったく

ぜんぜん

俯瞰的でもなければ総合的でもない。

むしろ真逆。

全領域をくまなく見渡す目が必要なんじゃないの???

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」

そうだが、

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」

あらため、

「総合的、俯瞰的な活動を確保しない観点からの判断」

ということになり、それこそ

特定の人たちの都合で何千億円もする実験装置を買おうとすることに待ったをかける人を排除するのと同じことにならない?

論理破綻ってこのこと?

ちなみに、

総合的、俯瞰的という言葉は政治用語だそう(東京新聞朝刊)。

善処します、と同じで

言わなくてもわかるでしょう

ということだそうだ(by 政治評論家 有馬晴海氏 東京新聞掲載)。

総合的に判断という表現には

曖昧なまま言いくるめようとする怪しさが漂う。

政治の世界では

そう言われてしまえば反論できない空気になるそうだ。

忖度、という言葉がまた浮かぶ。

「どういうこと?具体的に教えて」

などと言えば

空気が読めない人

というレッテルを貼られてしまいそうだが、

それでもいい。

わからないことは

わからないと言える人でいたい。

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