私がかつて勤務していた都立光明特別支援学校に数十年前に通っていた実方裕二さん。
年齢は私と同じくらいだけど光明にいたのは私より随分前だから、先輩とも言えるかな。
三軒茶屋で障がい者と健常者がつながれる憩いの場「カフェゆうじ屋」を経営していて、美味しいコーヒーとカレーを出してくれる。時々、有志のミュージシャンを募ってのライブを開催、もちろん裕二さんも熱唱する。
「ゆうじ屋」では美味しいケーキもメニューの中に。電動車椅子を乗りこなし、ケーキやキッシュを作業所はじめ、あちこちで売り歩いている。その行動力は誰にも負けない。
我が家では夫の勤務する特別支援学校に裕二さんが売りにくるキッシュが晩のおかずとして人気だ。
SHJ活動場所の新宿養護学校ではケーキを一つおまけしてもらったことも。
そんな裕二さん、脳性マヒで言語障がいがある。
「わからなくも決して先回りして決めつけないで。わかるまで聞いてほしい」という。
先回りされるのが悔しいのと、違う解釈をされては困るから。
当然だ。
ところが、津久井やまゆり園事件の犯人の動機「重複障がい者は、周りに不幸をもたらすだけで生きる資格がない」には言葉に尽くせない憤りがある、としながらも、事件をきっかけに、重複障がい者や知的障がい者に対して、コミュニケーションが取れないのだろうと決めつけている自分に気づいたといいます。
先回りして勝手な解釈はしないでほしいといいながら、実は「スムーズな会話」を望むあまり、見当違いの先読みをして重度障がいのある知り合いに失礼を繰り返した。しかしやはり事件をきっかけに、自分との会話も周囲はまどろっこしく感じているだろうことを認識した、といいます。
自ら疎外感や屈辱を感じながらも、感覚が違うと感じると、理解しようともせずに自ら他者を差別し偏見を持った。
裕二さんが発見した自分の中の矛盾、そして二面性。それはまるで異質なものを排除する社会の縮図のようにも見える。
「輪の外に追いやられる側」と「輪の外に追いやってしまう側」両者が自分の中に存在する、という。
追いやられる側の辛さや悲しさ、追いやる側の虚しさを伝えていく使命を感じるようになったといいます。
11/7投稿で、国のいじめ対策についての問題点に触れましたが、裕二さんが使命として見いだした「両側の当事者としての発信」は、教育庁がかたちばかりの策をいじくっているより、100倍の効果があるに違いない。
小学校、中学校、高校、そしてあらゆる場所で大いに語ってほしい。
裕二さんは現在、「生活お見合い」という語り合う会を開催している。趣旨は、
「保護や療育といった障がい者と健常者を分けていくウサンクサイ口実を、障がい者も健常者もなく、『ざっくばらん』に話せる場所をつくることによって、解消していけるのではないか」
というもの。
そんなcafeゆうじ屋の、昨日の晩に食べたきのこのキッシュは最高でした!
やまゆり園事件から、自分を再確認しました〜反面教師