つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

〜苦悩の日々があって今がある〜 2

まだ「日にちぐすり」も効かない頃から、子どもたちは健気に頑張ってくれた。

何日か学校を休んだ後も、下校後毎日見舞いに来てくれた。

病院は歩いて5分のところにある国立病院。

子どもは救命センターに入れないから、メッセージテープをせっせと届けてくれていた。

カセットテープに録音する時代だったんだなあ。2人の子どもたちがママのために毎日語りかけてくれた、大切な宝物。

どんな思いで機械に向かって話していたんだろう、と思うと切なくなる。

これからのことについて父親とどんな話をしたのかも、知らないまま時は過ぎた。

家族は大変な毎日を過ごしていたはずなのに、私はといえば朦朧としたまま、影響の大きさに思いが及ばなかった、とあの頃の自分を俯瞰する。

ただぼんやりと何の輪郭も捉えられない時間が過ぎ、

まるで別の世界を彷徨っていたような、不思議な数日。

見えないところで、知らないところで、自分を想ってくれる人がいる、自分の分まで働いてくれる人がいる、そんな風にあの頃、思っただろうか。この私。

意識がはっきりした途端、

なぜ?

という一方的な思いばかりで、感謝とか、激変した家族の生活に思いを巡らすなんて、しただろうか。

そんな母親の不甲斐なさも含めて母親に起こった事件をバネに、あの頃を境に二人の子どもは強くたくましくなったようだった。

中学2年生だった娘。

「私ね、覚悟したんだよ、あの時」

ずいぶん経ってから聞いた。つらい思いをさせた。

私自身も事故を踏み台にし、自分を見つめ直す機会をもらい、自分の足で歩くことを選んだ。

それは子どもたちに支えてもらって、もう大丈夫って時になってからだけど。