そんな生き方でいいの?
自分をごまかしてない?
そんな問いとともに突きつけられたのがこの事故だったような気がする。自分と向き合わせるために、大切なことを気づかせるために神様が与えてくれた試練。
ちょっと陳腐な表現だけど、本当にそう思う。
退院してからも試され続けたような気がする。
退院とともに毎日通うリハビリ。1時間みっちりのメニュー。
負けるものか!
動けるようになるんだ!
理学療法士は若い女性。リハビリに関してはプロ意識の塊。
アツイ人は素敵だな、とその時思った。
キラキラ輝いていた。
そのまぶしさに、つい「私も動けるようになったら・・」なんて、一瞬よぎるけど、すぐに頭からシャットアウトした。
「リハビリ根性物語」を(本気で)演じる彼女と私。
それで十分だった。あの頃は。
リハが終わって帰宅すると一人こみ上げる虚しさ。
「リハビリ以外、何もしなくていいから」
「とにかく、危ないからじっとしてて」
自分は役立たずの価値のない人間に成り下がった。
家事もできない、子どもの面倒も見られない。
帰るなりバタバタと忙しそうに働きまわる家族の中で、身の置き所が見つからない。
子どもたちからはその日あったことを聞くのが楽しみだったけど、じきに宿題や自分のことで忙しい彼らは自分たちの部屋へ。それはそれで当然のこと。母親の生還を喜び、自分の世界に集中できるようになったこと、日常を取り戻したことに安堵しているに違いなかった。私もそれが何より嬉しかった。
***
退院後すぐに、医師や優しい看護師に守ってもらっていた場所から放り出されたような寂しさに襲われた。喜ぶべき退院なのに。
退院してからの試練は、痛みより、
「どう生きるか」
を正面から突きつけられたこと。