自分の体験と、院内学級の生徒たちの退院後のことを重ね合わせて、最近思うことを連続して書いています。
今日はまとめとして、調べ続けているフィンランドの病弱児対応事情のうち、教職員の持つ裁量と教育理念の点でさらに掘り下げてみます。
フィンランドでは、一般の職員・教員がかなりの権限をもち(2017/7/17投稿 フィンランドの教育 参照)、子どもに必要な支援を得るために自由に関連機関や専門家と連携・協働できる。
日本では・・・
なにか特別なことを教育現場で行おうとすると、「校長の許可」「教育委員会の許可」に阻まれ、また「前例がない」が切り札となって積極的な改善をしようとしません。
日本にもフィンラン ドと同等の様々な専門知識を持った人々や、施設、制度が存在しているのに、これらが病弱児たちのために協働できていないのはとても残念です。
一方、フィンランドでは、国の総意としての教育理念が、「どのような子どもであっても、国の貴重な資源として 成長・自立できるように導くのが教育の目的」で、この理念をすべての教員や職員が、自分たちの教育目標としているそうです。
フィンランドの子どもたちは、なにか支援が必要な状況に陥った場合、多くの大人たちが話し合い、そして実際に支援してくれることを実感して成長していくようです。
このような環境であれば、たとえ様々な困難を抱えていても孤立することなく、人を信頼しながらのびのびと成長していくでしょう。
ここに、病弱児への教育姿勢の違いの理由があります。教員・ 職員が持つ裁量の違いと、教育の理念や目的の違いが非常に大きいのです。
基本的な考え方や価値観を変えていくためには大掛かりな意識変革がまずは課題となるでしょう。
人権や愛や自分ごととして物事を考え動く行動力、他人と協力し合うコミュニケーション力・・・
心のレベルでの土壌変革・・
きっと全てのおおもとである「教育」に問題があると思いますが、この点はそれてしまうので新たな機会に投稿しようと思います。
フィンランドでは、高学力と学力格差が少ないことで有名です。
それは子どもを自立させるために学校教育は必須という理念があるから。
たとえ病弱であっても、学校で適切な教育を受けられるよう様々な支援体制が存在しているのです。
一方日本では、普通学級は、特別支援を必要とする子どものための支援体制と連携が未熟なため、普通学級への通学が困難な場合に学校教育を十分に受けられないという事態が少なくありません。
そのため、特別な支援を必要とする子どもの学力低下や、将来の自立への壁という問題が発生しています。
ここに置いても、日本の教育制度の改革の必要性の大きさは計り知れません。
個人レベルでの高い問題意識も、制度や態勢に阻まれるということがここでも起こっているという印象です。
人が幸せになる国、そして子どもの幸福度の高いフィンランドから、日本は学ぶべき点が多分にありそうです(2018/7/6投稿 尊厳を守るのが社会の柱 参照)。
参考: 国立特別支援教育総合研究所ジャーナル 第2号 2013年3月