アーティストやアシスタントと、活動で悩むこと、迷うことなど意見交換をします。
特に話題になるのは、
「活動が終わってからの挨拶。ついまたね。と言ってしまうが、いいのでしょうか」
多数の人が課題に感じていることです。
早く退院することが一番なのに、
“またね!”
は、長期になる。という前提のようで・・というのが大方の意見。
そこで、
「そこまで深読みする必要はないと思います。それでも悩んだら、(参加してくれて)ありがとう!」
がベスト、だと伝えます。
どんな形でも、人との出会いは一期一会。
“またね!” で悩む理由はもう一つ。
こちらはさらに深刻です。
残り少ない時間を楽しく過ごさせてあげてください。
かなり悪いんです。
と案内されるのは、
命の期限を宣告された子どもと家族のいる個室です。重篤な状態にあることを承知で、思わず口から出てしまうのが、
”またね!”
次来た時、この子に会えるのかな。
明日は?将来は?
もう会えないかもしれない。
と思うから?
待って。
今日いち日を精一杯生きること、その大切さを子どもたちから学んできたはず。
ならば、時間の流れについて思い悩む必要は無くなります。
自分には明日は必ずあるけどあなたはわからないんだ・・。
という気持ちが根底にあれば、子どもたちに伝わります。
”明日、いえ一寸先に何が起こるのかはだれにもわからない。だから与えられた時間は皆平等だと思っています”
という考えを伝えます。
”またね!” は次回また会えること、また一緒に活動できることへの期待感を生みます。
付き添う家族にとっても励みになるように思います。
早く治してね。
お大事に。
という言葉かけにも疑問を感じる人がいます。
重篤であるかどうか、治癒にはまだまだ時間がかかるかどうかは、最低限の情報、たとえば、それにより接し方に注意が必要な場合などを抜かしては、それほど念頭に置かなくて良いのです。
むしろ、頭から「この子の病気はどんなだろう」
という疑問を拭い去ったほうがいい。
私たちは敢えて病名は聞きません。
病棟には、家族を含めた当事者以外、ほとんどが医療者です。
私たちのようなそうでない立場は、病気と向き合わざるを得ない子どもたちにとって、味方みたいなものです。
縁があって出会えた。
”またね!”
はご縁に感謝するってこと。