一斉休校後、分散登校になったことで
少人数対応のメリットを実感した学校現場について
2020/7/27投稿~実現させよう、少人数学級~
で綴った。
普段上限35人の子どもを担任していたなかで
感染予防のために分散、時差登校になったことで
一人ひとりをよく見ることができた教員にとっては
何より実現させたい少人数学級。
コロナ禍において、不登校や家庭環境による格差など
これまでもあった課題がさらに深刻化している中で
より個別に向き合う必要性が教育現場には必要だ。
change.orgでの少人数学級化を求めるキャンペーンに
私も署名した。
11/29付東京新聞朝刊の
「少人数学級巡り予算攻防」
という記事をもとに
なぜ少人数学級が実現しないのか、まとめてみたい。
少人数学級は
1958年に義務教育標準法が成立した後
公立小中学校の1学級上限人数は50人だった。
64年度に上限45人
80年度には40人
2011年になってやっと小1のみ上限35人となった。
今年の新型コロナウイルス感染拡大を受けた
一斉休校、分散登校を通して
感染予防のためにも
少人数学級をそのまま実現させる良いタイミングだという
動きが活発化し
9月に自民党の教育再生実行本部が30人学級を求める決議をし
文科省が来年度予算にそのための経費を要求している。
なぜここまで必要性が高まっているのに
すーっと行かないのか。
それは財務省が頑として教育への出費を認めないから。
これを文科省と財務省の攻防だとして記事が伝えている。
その対立の構図はざっとこのようになる。
→以下は私の意見。
✔︎文科省が平均64㎡の教室に40人では感染防止に必要な距離を保てない
と言えば、
財務省は40人と30人で感染リスクに差が出るかは疑問だと。
→疑問、というのはだたの感想。科学的な理由が欲しい。
普段どうやって予算編成をしているのか、そもそもの部分で首をかしげてしまうではないか。
✔︎文科省が1人1台端末が配備され、よりきめ細かな指導が必要、
と言えば、
財務省は学級規模縮小の効果はあっても少ない、と。
→説明になっていない。現場に足を運んで言っていることなのか、これこそ疑問。
✔︎文科省が1クラスの人数が主要国より多い(小学校27.2人、中学校32.1人)
と言えば
財務省は少子化で小学校の9割、中学校の7割がすでに35人以下だ、と。
→これは地域などでばらつきがあるから個別の対応が必要だが
全てのクラスが30人以下という目標には程遠いことには変わりない。
詭弁?なんくせ?説明になってませんよ。
✔︎特別な支援の必要な子のためや専科指導のために担任外教員が必要
と言えば
財務省は担任外教員が多く、教員一人当たりの子供の数は主要国なみ
(小学校16.2人、中学校13人)だと。
→この数字には「?」がつく。しかもここの判断は数字だけでは測れないと思う。
人への信頼だったり子供を地域で育てようという空気が薄い日本。
隣に住んでいる人すら知らない、といった他者への無関心が様々な問題を生むような社会。
地域で子供を見守るような国々とは比較できないだろう。
特に欧米の小学校などでは母親が学校活動に参加したり
協力したりすることは一般的だが
日本では授業や子どもたちの様子を見ることができるのは
基本的に授業参観や行事、PTA活動の時だけ。
親が学校活動にボランティア参加するなどという空気はない。
・子育て等における母親の孤立化
・事務仕事に追われ残業が多く疲弊し病に倒れる教員多発
・担任が子どもたちに向き合う時間が足りないことで
子供の思いを受け止められず子ども自身が孤立してしまう学校現場
これらはいま現在の学校の姿だ。
現場に寄り添うことなく数字あわせばかりするのが
財務省の仕事ではないはず。
「生産性」という考え方が根底にあれば
費用対効果の計算に走るのだろう。
人々の生活向上が数字として弾き出されるなど
一朝一夕にできるものではない。
財務省にしていただきたいこと。
まずは人間のナマの生活を見ること。
今、学校で、家庭で何が起こっているのかを知ること。
少なくとも少人数化は現在抱える様々な課題を解決するための手段として
大きな部分を占めるように思うがどうだろう。
「日本の学校は終わってる」
などと言われて平気でいる(聞こえていない?)、
改善の必要性を認めない、経費を出さない。
ここ、大いに変えていかなければならない
日本の恥部だ。