学校がいじめの「重大事態」を放置し
5年生の男児が1年以上も不登校になっていることが
明らかになった、と新聞が伝えていた。
1年以上学校に行かないことを選択する子どもは
もはや少なからずいるはずなのになぜニュースに?
それは長期の不登校に対する学校の対応に大きな問題があったからだ。
いじめを認識しながらも
調査を始めたのが4ヶ月も経ってからだというから呆れてしまう。
それどころか
学校に行かなくなる前に休みがちな我が子を心配した両親が
再三学校に対応を要求していたのだから校長含め
学校はこの段階ですでにいじめを把握していた。
国の指針では、欠席日数が年間30日になると
重大事態の目安とされるという。
ということは30日どころかさらに3ヶ月放置していたことになる。
児童は不登校になってから1ヶ月後に心療内科を受診し
今はフリースクールに通いながら通院しているそうだ。
長く辛いいじめは1年生から不登校になる時まで続いたというから
学校がその間なんの対応もしなかったということ自体異常だし
学校に来なくなってからもなんの調査もしていなかったことは
もはや常軌を逸している。
そんな学校、行かない選択をして大正解だったよ、
と称え、児童の心の平安を祈りたくなる。
少なくとも傷つくとわかっていながら我慢して登校していた時より
はるかに平和な日々を送ることができているだろうと
安堵すらしている。
それほど、
学校とは地獄にもなりうる場所なのか。
校長はじめ担任や周りはなぜ放っておける?
子ども一人ひとりが安全な環境の中で
たくさんの仲間のたくさんの考えを聞いて
伸び伸びと自分を見つめ成長できるように
朝8時から夕方4時まで
部活があればもっと長い時間
大切な命や尊厳を守り支えるのが学校ではないのか。
これでは校門にいくら防犯カメラを置いたって
いくら不審者が侵入しないために校門に鍵をかけたって
全く意味はない。
もはや危険は学校の中にある、と言っていい。
いつでも逃げられるように校門は開けておくべきとでも言いたくなる。
🏫 🏫 🏫 🏫 🏫
しかしなぜ学校は・・・と責めてばかりではダメだ。
いじめと向き合わない理由・・・
背景として
教職員の長時間過密労働の異常さと
国が教育予算をかけずに現場を圧迫していること。
それを主張しても耳を傾けてもらえない諦めや閉塞感が
現場に蔓延しているのかもしれない。
文科省ホームページ
「教職調整額創設にあたっての考え方について」人事院の意見の申出に関する説明(昭和46年2月)にある
■教員は、極めて複雑、困難、高度な問題を取り扱い、専門的な知識、技能を必要とされるなどの職務の特殊性を有している。
■学校の業務処理にあたっては、専門職たる各教員の自発性、創造性に大いに期待された。すなわち、教育に関する専門的な知識や技術を有する教員については、管理職からの命令により勤務させられるのではなく、教員の自発性、創造性によって教育の現場が運営されるのが望ましいと考えられた。
このような教員への敬いはどこへ行ったのかと思う。
「教員の自発性、創造性によって教育の現場が運営されるのが望ましい」
という指針はもはや現場にはないのかもしれない。
子どもに向き合おうとすると
それを阻むかのように
山のような事務仕事その他が上から降ってくるような現場だ。
前回綴ったように
子どもの学習する権利を保障するためにも
少人数学級を実現させ
教員の長時間過密労働を解消し
教職員の裁量時間を増やし
教職員が教員らしい働きがいのある場所にしていくことが不可欠だと言える。
そうすれば
子どもたちへ目が届き
いじめを予防したり深刻にならないうちに対処できる。
教員もゆとりを持って教師生活を楽しめたら
どんなにいいだろう、と思う。
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