つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

〜「自助・共助・公助」を考える〜

何度か依存症の自助グループの集まりに当事者の付き添いとして

参加したことがある。

それぞれが同じ悩みを抱えているなか、

対等の立場で聞き合い、

まず今日いちにちを克服のために過ごすことができた達成感を持ち帰る。

自分の課題に真摯に向き合うことは

生きる上で大切なことだな、と思いながら話を聞かせてもらった。

自助グループとは

ある障害を持つ者同士が互いに励ましあいながら、その障害を様々な形で克服していくための集団(「厚生労働省e-ヘルスネット」より)。

また、

共通の問題や悩みを抱えた人が集まり、自主的に運営しているグループ(NPO法人ぷるすあるは「こども情報ステーション」より)という定義も。

セルフヘルプグループself help groupとも言われ

同じ悩みを持つ人同士、話しやすいし聴きやすい雰囲気の中、

自分の課題に向き合い、他からヒントをもらい

自分らしく生きようとする前向きなイメージがある。

”一人で抱え込まないで”

という支え合いの理念が根底にある。

自分自身の生きる力や可能性を信じ

それぞれのエネルギーを集めて問題解決をしようとする場

とも言い換えられるかもしれない。

さらにピアサポートという同様のシステムがある。

精神保健福祉領域はもとより、ガンを経験した人同士、子育てをする親同士など当事者間でのかかわりの意味(「NPO法人ピアサポートネットしぶや」より)で、

勤めていた病院にもピアサポートが設けられていた。

当事者同士が共感をまんなかに

対等の立場で支え合える「ほっとできる場」だろう。

自助グループ、ピアサポート

共に当事者にとっての拠り所と言える。

セルフ・ヘルプ=独り立ちのための助け合い

だと当事者福祉論が専門の上智大学の岡知史教授は言っている。

個人の可能性を尊重するとても尊厳ある意味づけだと思う。

しかし

今で言う

「自助」はどうだ。

自己責任がセットで

すっかり貧相で冷たい言葉になってしまった。

自分のことは自分でやれ!

と突き放すような手厳しい印象に変わってしまった。

それぞれの持つ力や可能性を信じる、というのとは

ちょっと違う。

なぜか。

それは

自助と共助と公助をセットで語られるところに一理あるような気がする。

共助も共助だ。

公共だったものが民営化され

非正規が広がり

相互扶助が消えてゆく。

共助が存在できなくなりつつある。

今、共助の代表はクラウドファンディング。

しかし、公助が叶わないからこういったシステムが生まれる。

オリンピックのボランティアを学生から

「募る」のではなく「割り当てる」

これはもやはボランティアではなく「動員」だ。

公助不能の尻拭いを

市民活動がさせられるとしたらそれは搾取ではないか。

気づかぬうちに

このようなシステムが固定化されるとしたら恐ろしいこと。

自助・共助・公助

新政権が唱えるこのフレーズに

たくさんの人が眉をひそめるのは当然。

殺伐としてゆく社会の歯止めになるのは

おかしいことはおかしいと声を上げていくこと。

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