渡米して心臓移植を待つ子どもとの交流でも多くの気づきと学びがありました。
拡張型心筋症と診断され入院してきた5年生のFくん。
ひょうきんで人を笑わせるのが大好き。いたずら好きなところが気の合う理由。小型の冷蔵庫ほどもある人工心臓に繋がれ、容易に病室から出られない。それでも辛いなんて文句の一つも言わない。そんな明るいFくんはみんなの人気者。廊下を数人の医療スタッフを従えて何処へやら?売店?お散歩?出かける風景を何度も見かけました。
病室ではミサンガ作りで何度も盛り上がりました。いろんなビーズを所々にあしらって・・。この活動はSHJの原点でもあります。開始直後、アーティストがまだ2名の頃、人手不足を補うために私が「なんちゃってアーティスト」に。Fくんと作った残りの材料に少し買い足して、病棟プレイルームで「ミサンガ作りの会」をしたものです。
2008年に国際移植学会が「移植が必要な患者の命は自国で救える努力をすること」とするイスタンブール宣言を出したことを受けてか、改正臓器移植法が2010年7月に施行され、日本でも臓器提供者の年齢制限がなくなり,小児からの脳死臓器提供が可能になりました。しかしFくんが入院してきたのは改正前。米国などを除き、外国人への提供を認めない国は多く、渡米する以外治す方法はありませんでした。
必要費用は、医療費、渡航費、補助人工心臓、滞在費、その他経費合わせて一億円に上りました。
家庭だけでまかなえる金額ではなく、有志により「Fくんを救う会」が設立され、募金活動が始まりました。
居ても立っても居られなくて、チラシをもらって近所にお願いして歩いたり、マンションの管理組合に理解をもらってポスティングしたり、微々たる力でも自分にもできることをしようと活動していました。
組合には理解してもらったけど、個人的に疑問を投げかけてくる人もいて悲しい気分になったことも。
「救う会」とか「守る会」とか、ちゃんとした団体なの?
集めた金を別のことに使ってるんじゃないの?
目標金額が高すぎるけど、本当にそんなに必要なの?
善意で必要額が集まり、いよいよ渡航。病室から救急車に乗り込むまでの間、一緒に過ごした時間を思い出す。教員、看護師、医師みんなで見えなくなるまで手を振り無事移植が成功して笑顔で帰ってくることを祈りました。
現在すっかり元気になったFくん。好きな野球も再開して、いくつになってもあの茶目っ気で周囲を明るくしてるんだろうな。
臓器移植法が改正されてから、これまでに十数名の小児の脳死臓器提供があり,成人からの提供を含めて十数名の小児が国内で心臓移植を受けることができたといいます。しかし、臓器提供は結果として子の死を選ぶことになり家族にとって辛く重い決断。ドナーが足りないため待機期間が長い日本では,身体の小さな小児は,未だに海外渡航しているのが現状。法改正を受けても日本では小児の脳死に対する考えかたは多様で、倫理的にも議論が絶えない。それでも2010年7月~2015年3月に18歳未満で「提供の可能性がある」と連絡を受けたにもかかわらず、そのなかで83例が提供に至らなかった。理由は「施設の体制未整備」が最多で17.5%だった(日本臓器移植ネットワークの調査)。
苦渋の思いで我が子の臓器提供を決意した家族の思い、そこに至るまでの葛藤を思えば決して無駄にしてはならない。関係医療者がもっと積極的にこの問題に取り組むこと、医療機関は移植を巡る体制を見直し整備することが課題だ。