「SHJ代表ブログ”子どもたちから学んだこと”」と題し綴り始めて半年が過ぎました。
読んでくださっている方々には心より感謝いたします。
初心に立ち返る新年。
改めて活動を始めた経緯をおさらいすることで、SHJの種が撒かれた2011年秋からの6年間を懐かしく振り返ることができました。
瀕死の事故から生還したのち就いた教職。奇しくも職場は難病と闘いながら壮絶な入院生活を送る子どもたちの通う院内学級。
意思を超えた運命、守られ生かされ、使命を与えられた・・・。
導いてくれる大きな力に感謝しながら、まっすぐに子どもたちと向き合ってきたつもりです。
非力さへの無念、悲しみ、もがきと苦悩と、そして喜びに満ちた6年間。
それは他ならぬ、周りで支えてくれた人たち、そしてたくさんの大切なことを教えてくれた子どもたちがいてくれたから。そしてSHJに共感して一緒に活動してくれる仲間たちがいるから。
そんなことを整理するために始めたブログ。
遡りながら軌跡を辿ってみます。
7/14投稿「SHJヒストリー1~小さな勇士たちとの出会いを生んだ”やっぱり学校で英語を教えたい!”~」では、
英語教員になりたくて40も近づいた頃に目指した教員免許。しかし挫折の日々あり、転んでも諦めないしぶとさあり。配属された病院で出会った子どもたちからのはっとさせられる毎日へと続きます。
彼らの打たれ強さや他人に対する深い思いやり、不条理を受け入れる潔さ、そのすべてに魅了され引き込まれていった日々を綴りました。
それに先駆けて、7/4投稿「入院中の子どもたちの気持ち」の中で、勇気を持って病気に立ち向かう小さな勇士たちの心の中を綴っています。
子どもたちをうんと楽しませ、笑顔をたくさんプレゼントしたい。しかし、ふと気づく。傍での母親たちの苦労に。いてもたってもいられなくなって密かに始めた雑用代行ボランティアについて綴ったのが、9/4投稿「SHJヒストリー2 母親雑用代行」。
でもやっぱりSHJの原点となったのは、壮絶な入院生活を送りつつも最期まで自分の世界を生き抜いた生徒について綴ったのが、9/5投稿の「SHJヒストリー3 SさんはSHJの原点」です。
そして設立までのストーリーが続きますが、その中でたくさんのインスピレーションをくれた、院内学級の子どもたちに教えてもらったことや気づかされたことを、様々なエピソードを交えながら綴りました。投稿とともに次回まとめてみようと思います。
今年も、子どもたちを取り巻く時代の変化を見据え、団体のこれからを見据えたビジョンをもとに、初心に立ち返りながら地道に歩んでいきたいと思います。
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