SHJヒストリー1〜小さな勇士たちとの出会いを生んだ「やっぱり学校で英語を教えたい!」〜

SHJを始めた経緯について個人的なストーリーを綴ってみます。

英語教師になりたい!

子育てが落ち着いた頃、幼児や中高生を対象に家庭教師をしていました。いつの日か、学校で教えたいと思うようになり、教室で大好きな子どもたちに囲まれていたいという下こごろを胸に、大学に入り直し、教員免許取得を目指しました。レポートを書くなどは何年ぶりでしょうか。キラキラ輝く子どもたちの瞳を浮かべては、ウキウキ教科書を読んではペンを握る毎日でした。

挫折の日々・・

しかし、単位があと半分というところで大きな交通事故に遭遇。衝突の瞬間から意識を失い、気付いたのは救命センターで数日過ごしたあとでした。白衣の姿が忙しそうに動き回る中、家族が心配そうに私の名前を呼びながら覗き込んでいるのを見て事の重大さをぼんやりと察知しました。数日生死の境をさまよっていた私の姿はひと回りもふた回りも小さく見えたと聞きました。奇跡的に、そして医師の懸命の治療の甲斐があって回復。その後は数回にわたる手術を伴う長期入院と1年間のリハビリという生活を強いられました。肩の複雑骨折後、ペンを握ることもできなくなりレポート提出もままならず(17年前の当時はまだ手書きのレポートでした)、一度は退学を考えましたが、子どもたちとの学校生活への夢をどうしても諦めきれませんでした。

転んでも夢はあきらめず・・・

なんとか左手でレポートを作成し、ホッとしたのもつかの間。教育実習では、キラキラ輝くはずだった子どもたちの瞳が、40歳過ぎたオバさんがピチピチの大学生と一緒に実習する私への好奇?の目に差し替えられていて、自分の迂闊さを恨む羽目に。針のむしろ?いえいえ、やっぱりこどもは優しいもの。私を気遣ってあれこれ助けてくれたものです。事故の後遺症で右腕が上がらず板書もおぼつかないことを子どもたちは理解してくれ、見にくい文字に、文句一つ言いませんでした。

子どもってなんて素晴らしいんだろう!。教壇に立って教えるつもりが、最初から子ども達の方が私にとって教師となりました。

病院の子どもたちとの出会い

配属された学校は、難病や障がいで長期入院をしている子供達のための病院内学級。この時ほど「運命」を感じたことはありません。この数年間の苦しみを生徒たちに重ね、まるで同志に会いに行くような気持ちで迎えた初日。

しかし、目の前にいたのはただ痛い痛いと横になっていた自分とは正反対の、勇気を持って病気に立ち向かう小さな勇士たち。甘い甘い、あなたがこどもたちから学びなさい、そして自分の経験を生かすように、との使命を突きつけられた気持ちでした。

目の前の子どもたちの打たれ強さや他人に対する深い思いやり、不条理を受け入れる潔さ、そのすべてに魅了され引き込まれていきました。いかに生きるべきか試され、命の尊さを教えられ、彼らから学び続けたい、一緒にいたいと心から願うようになりました。

続く・・