必死の思いで立ち上げ、ホッとした頃、ふとある思いにとらわれた。
難病や障がいを持つ子ども支援というけれど、自分はどれほど彼らのそして家族の思いや実態を知っているというのだろう。当事者でもなく、ただ院内学級の教師をしていたというだけ。
なるほど・・。
朝起きてから夕飯の近づく時間まで一緒の時間を過ごす場合もあった。
職員室を抜け出し、病室の子どもたちといろんな話をしたし、相談に乗ってもらったことさえある。
AYA世代の生徒などは、複雑な胸のうちを明かしてくれることもあった。
生徒と教師、そんな当たり前の関係ではなく、彼らといると何も知らない幼な子のように素直になれて、教えて!とばかりに彼らのひとことひとことを宝箱にしまう自分がいた。
そして母親たちとの交流もたくさんあった。
でもそんなこと、私が勝手に思ってるだけ。
ひっそりと咲く美しい小さな命、人知れず闘う幼い勇士たちをもっともっと輝かせたい、広い世界にいざないたい、そんな思いを抑えきれずに立ち上げたNPO。
しかし・・・。
所詮、彼らの気持ちに、家族の苦労や自分を責めさえしてしまう母親の思いに、100%寄り添えるはずもない。
こんな団体やってていいのかな。何もわかってないくせに、自己満足?
支援してます、寄り添ってますって、笑っちゃうな・・。
・・・・・
そんな時、前年にお子さんを亡くされたある母親から連絡があった。
HPを見て趣旨に賛同、私の始めた仕事に協力したいと。
そうだ、わかってるつもりにさえなれない当事者の思いを、たくさん教えてもらおう。いえ、体験者が団体にいてくれるだけでいい。
団体にとって一番欠けていたもの・・当事者性。
客観性と言ってはあまりにものめり込んでいるけど当事者にはなれない・・そんな立場と、苦労を実体験した立場。
辛い思い出を抱えながら、扉を叩いてくれた。
深い共感を得て一歩踏み出してくれた。
もしかしたら現場でふと苦しみが蘇ってしまうかもしれない、そんなことを言葉にするのも失礼だと承知で敢えて聞いてみる。
だからやりたいんです!
きっと寄り添える、経験を活かしながらそれができるのはスマイリングなんだ。
と。
そして立ち止まらずに前に進みたい。
やっと見つけたんです。
と話す姿を前に、涙が溢れそうだった記憶がある。
あ、この団体をやっていていいんだ。子どもたちの、家族の力になっているんだ、と初めて認められたような気持ちになり、
逆説的だけど、胸のつかえが取れた瞬間だった。
その頃から団体としてぐっと厚みが増したような気がしている。
当事者性と客観性。
運営する立場としての冷静さと活動への情熱が一つに。
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