モンテッソーリ教育の活動の中に「線上歩行」というのがあります。
教室の2×3メートルほどの空間に、幅5cmくらいの白いビニールテープで円が描かれており、綱渡りのように両足を交互に進めていきます。平衡を保てるようになると、手や頭の上にあえて不安定なものを載せて歩くことに挑戦します。
このような練習を毎日続けることは子どもにとって楽しいばかりでなく、体の平衡感覚を身につけ、不注意から怪我をしたり事故にあったりすることから身を守ることにつながります。
モンテッソーリ子どもの家で3年を過ごした息子も、「線上歩行」が好きで、真剣な表情でいつまでもやっていました。最後まで線を外さないで歩けた時の得意げな顔は忘れられません。
線を見つけるとその上を歩きたくなる子どもの習性はまさに、モンテッソーリの言うところの「自然からの宿題」なのだと思います。
つい最近、コマーシャルで使われ、見るたびおかしくて、
「そうそう」
と頷いた場面。
子どもというのは道路の白線や路肩に敷かれた縁石の上をわざわざ選んでバランスをとって歩く習性がある、というもの。
自分にだって覚えがある。お転婆だった私は親が見たら卒倒しそうな場所を選んでいたもの。
昭和の杉並区。
住宅街を流れる神田川には、両岸に架かる無数の一本橋がありました。幅は片足でやっと乗れるほど。
急に懐かしくなって調べてみると、「切梁」と言って、鋼矢板を打ち込みコンクリートで固められた橋で、土圧で土手が崩壊しないように支えるものだそうです。
今でこそ、整備されて撤去されましたが、当時は神田川というと大雨のたびに氾濫していたから(高井戸と浜田山の間のあたり)水深もそれなりにあり、流れも速かったように思います。
そんな危険な場所の幅10cmにも満たない「切梁」が格好の遊び場だったのです。
まさに究極の「線上歩行」。長さは8メートルほどだったと記憶します。
小学校低学年の頃でしょうか。やんちゃ仲間と一緒にこの「切梁」をなんどもなんども行ったり来たりしてスリルを味わって満足していたのです。
「危ないからここでは遊んではいけません」
という札は全く効き目なし。
「それが面白いんじゃん!」
てな感じでした。
両親にとって、三人兄弟の真ん中の私は眼中にないから、そんな危険な悪いことをしていたとは知らず終い。
この曲芸はバランス感覚を身につけるのに大変有効ですから、親の目を盗んで犯したことには大きな大きな意味があります。
危険を顧みずスリルを追い求めたあの時代。あの頃があって唯一の取り柄、運動神経の良さが育まれました。何にも活用されていないけれど、奇跡的に命を取り留めた経験はそのおかげかも知れません。
加齢による足腰の衰えを感じるこの頃、なるべく体を動かすようにしています。
「線上歩行」も、流行りのバランスボールと同じようにインナーマッスルを鍛えてくれるかも。