なぜ万引き?
パルムドールを受賞した話題の映画
是枝裕和監督作品「万引き家族」
を観ました。
家族とは?というテーマで作られたこの作品になぜ「万引き」という反社会的行為を監督は作品の柱に選んだのか、夜も眠れないくらい考えました。
余韻を投げかけられ、しばらく場面が次々に消えてはまた別のシーンが脳裏に浮かぶ中、
ふと、対になる言葉の組み合わせがよぎります。
家族 他人
愛 虐待
密室 社会
実の両親に育てられながらも虐待を受ける子どもと、他人である仮の家族に「万引き」を教えられながらも愛情をたっぷり受けて育つ子ども。どちらが幸せなのか。どちらの家族が罰せられるべきなのか。
その対比のために、あえて仮の家族に
「万引き」
というマイナスを加えたのではと。
児童虐待も万引きも反社会的行為だけど、虐待は家庭という密室で、それに対して「万引き」は家の外の社会で行われる罪。
愛情ある一家庭が、人の目や監視カメラが警戒する場所での反社会的行為であるがために知られるところとなり罰せられる。
一方、憎しみに満ちた家庭は、虐待が密室での行為であるために、表面化せず罰せられない。
仮面家族の虚しさ冷たさと、仮の家族だけとみんなで支え合う温かさも対比されていて、観る側にたくさんの問題提起をしている作品でした。
是枝監督、文科相からの祝意を辞退するそうです。
そればかりか、
助成金を受けた以外、全ての顕彰を辞退しているといいます。
「公権力とは潔く距離を保つのが正しい振る舞い」と、きっぱりバッサリ。
偽り、ごまかしがまかり通ってしまうこと、その悔しさ切なさをじわりと伝えているこの作品。
どうだ、と、問題を突きつける監督には、ごまかしなど微塵もない高潔さが漂います。