つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

便利さは主体性、創造性、情熱の敵!?

研修会講義を振り返って~1~

東京大先端科学技術研究センター教授で、

日本財団とともに実施する「異才発掘プロジェクトROCKET」のディレクターを務める

中邑賢龍先生の講義は

「AI時代の能力と特別支援教育

テクノロジーとアートの果たす役割」

でした。

AIやロボットにより変わっていく社会において、

教育、とりわけ特別支援教育はどうあるべきか・・。

個々の特性や能力を活かすプロデューサーが必要であるという観点から

先生の取り組みが紹介されました。

その中で

一つの価値観にまとめられた多様性ない社会において

不便さや無駄の排除、過度の規格化、思考の停止が蔓延することで

子どもたちの主体性や創造性が低下している現状があるという話には深く頷きました。

教育現場で管理が厳しくなればなるほどその傾向は強まるでしょう。

前回綴った目標設定の強制然り。

アートをはじめとしたユニークさまでも排除される社会になってはならない。

スマイリングホスピタルジャパンの理念が生き続け、

子どもたち本来の姿が尊重されるべきは変わらないよう努力するのが

私たちの使命だと改めて胸に刻んだ次第。

さて、不便さや無駄の排除による

子どもたちに起こっている現象を

興味をひくエピソードをもとに紹介されました。こうです。

日本のポテトチップスの袋には

ギザギザがついていたり、

切り目が施されていたり

開けやすい配慮があります。

「ユニバーサルデザイン」

「合理的配慮」

を超え

誰にでも簡単、楽なデザイン。

これが思わぬ現象に繋がっているというのです。

かたや、外国のお菓子の袋は

お菓子以外に付加価値はあまりなくて

中のお菓子を食べるためには

自分でなんとかしてね、

というスタンスを決め込んでいます。

しぜん、

頭を使わなくては美味しいスナックに辿りつけません。

歯で噛み切ってみたりいろいろ工夫します。

日本の子どもに外国のお菓子を渡すと、

これ、開かない

歯で噛み切ったら?

汚いからイヤだ

じゃ、ハサミで切れば?

持ってない

誰かに貸してもらったら?

面倒くさい

じゃ、どうするの?

要らない

子どものお菓子への情熱を持ってすれば

万難を排して突き進む!

というイメージはもう古いようです。

少なくとも日本の子どもにとっては。

便利すぎるんですね。

想像力や工夫がなくなっている。

便利

安全

壊れない

そんな利点を追求した商品開発のおかげで

つまらない

味気ない

協力の必要ない

工夫したり考えたりが無駄であるかのような世の中になってしまったとしたら、

殺伐としていて味気なく悲しいです。

合理性を追求するあまり

感性や創造性の象徴である

アート

が軽んじられる世の中になってほしくない。

AIやロボットのテクノロジーの発達と

アートの共存

互いが果たす役割について

さらに中邑先生に

伺ってみたい・・・

そう思いました。