子どもが大切にされる平和な社会へ

「ねむの木」村へいきました🌳

静岡県掛川市にある

「ねむの木学園」

を訪ねました。

女優 宮城まり子さんが

1973年に設立した肢体不自由児施設です。

様々な施設が作る一帯を「ねむの木村」と言って

広大な敷地に様々なコンセプトの建物が点在しています。

小さい頃、身体の不自由な人を見て

「かわいそう」

と言った我が子に

「かわいそう、ではないのよ。

みんな一生懸命に生きてるの」

と言ったお母さんの言葉が原点。

しかしお母さんは宮城まり子さんが12歳の時に

結核で亡くなってしまい

その言葉がいっそう心に刻まれたと。

女優を始めたのが15歳の頃。

華奢な身体のため

役は決まって子どもだったそうです。

ある作品で

脳性まひの子どもの役をすることになり

役づくりのために

脳性まひについて知ろうと

懸命に勉強したそうです。

母親が勉強していたマリア=モンテッソリーの感覚教育を

勉強しはじめたのもその頃だとか。

彼らの社会的な立場を知ることになり、

とくに当時は肢体不自由の子どもの中に

学校にさえ行っていない子がたくさんいることに心を痛めたといいます。

というのも

宮城さんが学校に行っていない子どもたちの存在に衝撃を受け、

なんとかしなければ

という使命感を強くした背景には

その頃、障がいの程度により

学校に行かなくてよいしくみ(就学猶予)があったのです。

また、家庭にめぐまれない身体障害のこどもには

学校教育と生活の場が与えられておらず、

法律も制度もないことを知り

「どのようなこどもにも、学ぶ権利があり義務がある」

という強い思いを抱き

施設を建てることを決心しました。

障害児教育の歴史を振り返ると、

1947 年に、教育基本法・学級教育法が決定され、

盲学校・聾学校への就学は義務化されましたが

肢体不自由養護学校の義務化は

遅れること30数年後の

1979年。

宮城まり子さんが

ねむの木学園を作ったのが1973年ですから

彼女の動きがこの義務化に

大きな力となったことは容易に想像がつきます。

設立を決めたあとは

資金調達に向けて

女優業の傍ら

チャリティで公演を重ねていきました。

このことは以前綴っています。

→2018/5/14投稿~ファンドレイズ・スーパースター列伝

「ねむの木」村には

ねむの木学園、

特別支援学校ねむの木と入所施設、

そして卒業生の生活する施設のほか、

子どもたちの作品が並ぶ

「ねむの木こども美術館」があります。

学校だからといって

教える

のではなく

限りなく子どもたちの湧き出る感性を大切にしている

学園の方針そのままに

自由に思うままに製作した数々の素晴らしい作品が並びます。

子どもの絵をもとにした木彫りのマスコット雪だるま(奥)とちびこ(手前)奥は美術館で買った作品の絵葉書

宮城まり子さん自身の作品や

こどもたちとふれあう写真等が混ざり合うように展示され

館内に「ねむの木のこどもたち」という

学園のこどもたちによる美しいコーラスのコンサートCDが流れていたりします。

宮城まり子さんが

いかに愛溢れるみんなのお母さんに徹しているか

それが彼女の生い立ちから自然体の生き方であり無私の心であること

何より、どんな子もたくさんの可能性を秘めているという信念

職員さんたちの彼女への敬いが根っこにあること

そんな空気が

ねむの木村全体に行き渡っているようでした。

余韻は持ち帰り、心を温めてくれています。

村にはさらに

あかしあ通りこどものお店という可愛らしい建物も点在しています。

こどものお店は

🌀雑貨屋さん

🌀毛糸屋さん

🌀お花屋さん

の3店。

ねむの木学園雑貨屋さん
ねむの木学園毛糸屋さん
ねむの木学園お花屋さん

時間によって子どもたちが店番をします。

🌸 🌸 🌸 🌸 🌸

どこもここも愛に溢れていて

とても清らかな気持ちになりました。

全ては子どもたちのために

そしてそのためならどんな苦労も厭わない

そんな大きな働きの上でこのような素晴らしい

施設ができたのだということ。

瑣末なことは置いておいて

自分の決めた道をまっすぐに歩いて行っていいのだと

改めて背中を押してもらった

「ねむの木」村訪問でした。

   やさしくね やさしくね

   やさしいことはつよいのよ

       ー 宮城まり子 ー

次回は学校の様子

製作や音楽の様子を見にいきます。