ものを作ることが本当に大好きで
一人没頭することが多かった幼い頃。
これは私の原風景とも言えます。
外遊びも大好きだったけれど
帰ってくると即
自分の机に向かって
またはちんまり畳の上で
”作ること”
に取り掛かったものです。
手芸好き・・
それもそのはず
母親が自宅で洋裁の仕事をしていて
お得意さんがしょっちゅう来ては
注文を受けミシンを踏んでいるのを
日常見ていたから。
素材があれば
思い通りの服を作ってしまう母を
いつもすごいな~と感心していたものです。
1枚の布が
学校から帰ると
人台に仮縫いされた身頃が着せられ、
その傍らには
足踏みのミシンを軽やかに
そして時に注意深く踏む母の後ろ姿が。
まるで魔法のように
袖や襟やクルミボタンまでも
小さな細い手でくるくると作っていく
母でした。
その頃の母といえば
生活のためにミシンを踏むことに追われていました。
だからミシンに向かう背中と
作業台の上で細かな作業をする姿しか
印象に残っていないくらい。
私が帰宅しても
待ってましたとばかりに
学校であったことや宿題のことなどを
話題に語り合う、
ということは一切なく
ただ黙々と働く姿しか。
その背中は
”あなたも
自分の世界に行ってらっしゃい”
という合図のように思えました。
床に、そして作業台に散らかった
色とりどりの端切れや余ったボタンを見つけては
「もらっていい?」
と言いながら好きな布をかき集めては2階に。
母の横で教えてもらいながら・・
という気になれなかったのは、
後ろ姿に後光が差していた・・
と言っていいような近寄りがたさと、
「忙しいんだからあっち行ってなさい」
と言っているような取りつく島のなさが混ざったような
不思議なオーラが、
さっさと一人になろう
という気を起こさせたからです。
夏物のワンピースからドレス、スーツまで
なんでも作っていたから
母に甘えられない私を
豊富な素材が慰めてくれてたのかな。
手伝いといえば
あの頃浜田山駅前にあった
よしもと
という手芸品の店
・・・当時は”糸屋さん”と呼んでいた・・・
に不足した材料を買いに行くことでした。
馴染みの小さな客に
「いつも偉いね」
と言ってくれるのがとても嬉しくて、
おじさんの笑顔に後ろ髪をひかれる思いで店を出ると
待っている母を思い浮かべ一目散で駆け出すのでした。
頼まれたものを手渡すと
もちろん、
ウキウキしながら中断していたものづくりに戻りました。
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いろんな素材の入った引き出しを携え
病院や施設の子どもたちにアートを届ける
SHJアーティストたちは
まるで
あの頃の私の母のようにクリエイティブ。
違うところは
そっと寄り添って安心させてくれること。
あっち行ってなさい
ではなくて
一緒にやってみよう!
というスタンス。
子どもたちに混じって
一緒に活動するとき
なんだかアーティストに甘えてるみたいな
自分に気づきます。
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おまけ・・