教員を辞めて8年。
あの頃のことが今の自分を作っているなぁと、
院内学級で出会ったたくさんの子どもたちが
私の生きるテーマを差し出してくれたなぁと
生徒たちへの感謝の気持ちは一日だって忘れることはありません。
辛さを背負っていても
笑顔で「エリー先生!」
と言って慕ってくれたみんなの
面々が脳裏に度々浮かびます。
健気に病気や障がいと闘っていたみんなから
今では立派な社会人として
「頑張ってるよ」
という報告が来るたび
ああ、良かった!
と胸をなでおろす自分がいます。
そんな思いひとしおなのが元旦。
院内学級で一緒だった生徒から
今年も嬉しい年賀状が届きました。
「通院は続けているけど、元気でやってます」
「社会人1年生になりました!」
「大人の塗り絵を楽しんでいます」
・・・・・
心配だった子どもから
「今年は簿記2級を目指して頑張ります」
というメールが届いた時は本当に嬉しくて飛び上がりました。
思い出せば苦笑いの日々でした。
中学3年の受験生だった彼女と
あちこちの都立高校を見学に行った時
メインは帰りの味噌ラーメンだった?こと。
携帯持ち込み禁止だったのにベッドに隠しているのが見つかり
また時には
ベッド下に大量のお菓子を隠していて取り上げられ
ナースにコテンパンに叱られ
「エリー先生、聞いて、聞いて~」
と愚痴をこぼしに来たこと。
そんなあの子がパソコン教室や簿記の勉強に励んで
職業訓練を受けている様子、
誇らしく感じます。
今はコロナ禍でなかなか会えないけれど
いつも応援している生徒の一人です。
*****
それから作業所でパン作りを通して自立を目指している
あの頃小学校3年だった少年。
英語教室に通っていて大の得意だったから
中高担当だった私は週に1時間もらって
彼の個室で家族一緒に英語の勉強をしたっけ。
脳腫瘍の後遺症のために思うように動けなくなってしまったのに
彼の努力はすごいものでした。
文字を書いたり声を出して読んだりすることが
困難だった彼は今では
毎年自筆で近況を報告してくれます。
「ステイホームで粉からパン作りに挑戦し
ピザやあんパンなどを作りました」
という今年の報告は昨年よりもさらに文字がしっかりしました。
毎年文章が長くなって文字が美しくなってくることと
近況が目に浮かぶような内容が
お正月の楽しみの一つになっています。
*****
さらに
重い難病で苦しんだ数ヶ月を担任した中学2年だった生徒は
昨年大学を卒業し
「医療ソーシャルワーカーとして働いています」
という報告をくれました。
大学在学中から
自分の体験を活かしたいから医療ソーシャルワーカーを目指している
と聞いていました。
それが今では現場で活躍しているというから
本当に嬉しくなりました。
「お仕事でご一緒できると嬉しいです」
などと、これまた泣かせるメッセージが添えられています。
SHJは直接患者さんの生活に介入することはないけれど
フィールドは同じ病院。
そしてテーマも医療を通した生活と心の支援。
きっと!いえ絶対!
どこかの病院でばったり。
そして何かと一緒に活動するようになる。
そんな気がしています。
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