昨日3月11日、
10年前のあの日のことを振り返り
その瞬間のこと
その後の人生観の変化
10年を通して思うことなどを
新聞やSNSに大勢の方が綴っていて
それらを読みながら
はた、と我に帰るような感覚を覚えました。
事務所の移転や
それに関係する各種手続きや届け、
団体のニュースレター発行など
業務に追われて
大勢の方が犠牲になった
忘れるはずもないこの日に
きちんと立ち止まる余裕がなかった自分に気づかされました。
時には後ろを振り向くことも大切だよ、
スローダウンしなさいよ、
という警告でもあると捉えられる昨日。
住む場所、置かれた立場それぞれで
あの日から全てが変わってしまった人が大勢いる。
コロナ禍のなか、
今、ここ
に集中することで希望を持ち続けようとする毎日ですが
この日だけは
そんな風に思いを馳せていきたい。
そんな中で
知り合いの奥様が東京新聞の読者欄に寄せていた記事を見つけ、
そうだ、あの日私も・・・
と振り返る機会になりました。
この方は当時私と同じく教員で
車椅子の生徒たちを必死で守る教員たちの
とっさの姿、その後の帰宅時の様子など
綴っていました。
私のいた院内学級では・・・
2時過ぎ、ちょうど午後の授業中でした。
生徒たちとのやりとりの中で突然始まった大きな揺れ。
まずは机の下に、
少し揺れが収まったところで
生徒をホールに集め・・・。
一旦職員室へと思うが
とてつもない大きな揺れの中で
廊下の手すりにつかまるものの
するりとその手は滑り落ちるほどの
容赦ない振動。
あまりの衝撃の中での
自分の行動の細部は思い出すことができません。
生徒たちをホールの中心に集めたものの
ぐるっと取り囲む書棚からは次々と本がなだれ落ち
そんな中点滴を倒さないように
車椅子を抑え
そんな状態だったようにうっすらと記憶します。
揺れが収まってからは
あちこちヒビの入った病院の廊下を通り
なんとか生徒たちを病室に送り届け
その日は暖房の効かない中
学校の教室に生徒用のマットを敷いて
コートを着て眠りました。
数日後、見る影もなく散らかった教室やホールを
生徒たちと一緒に片付けたのははっきりと覚えています。
「先生、それはそこじゃないよ。確かここに入ってた」
「頑張ったジグソーパズル、バラバラになっちゃったけど
もう一度挑戦だね・・・」
その時も
結局、
大人たちが子どもに勇気付けられると、
思ったものです。
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