どうして私たちはこんなに頭が悪いのか
「困難な成熟」(内田樹著 出版:夜間飛行)
を読みました。
内田樹氏は日本のフランス文学者、武道家、翻訳家、思想家。
本書は、生きるということ、働くということ
などについて現代の日本の風潮をバックに
辛口な指摘を満載した
比較的若い人向けの人生案内本
と言っていいかと思います。
本のカバーに書かれた
「僕たちに立てられる有効な問いは
『どうして私たちはこんなに頭が悪いのか』
という問いだけです」という文章に
妙に惹かれ、手に取りました。
私は明日死ぬかも知れない
第4章 伝えるということ
の中に
「死について考える」
という節があります。
ここに
「私は明日死ぬかも知れない」
という項があり、
若い人は自分が死ぬことについてあまりリアリティがない、
と著者は指摘しています。
確かに自分も若い頃は
自分は死なないなどとキッパリ宣言しないまでも
確かに他人事のような意識でした。
おじいちゃんが死に、
おばあちゃんが死に、
泣きながら見送ったにもかかわらず、です。
それは私だけではないと思います。
確かに、いつか自分は死ぬんだ、
と思いながら生きていたら、
何を頑張っても仕方ない
大切にする人と死別するとわかっているなら
誰も愛さない、などと思ってしまうかもしれない。
しかしそんな人はあまりいないでしょう。
人間とは楽天的なものだとつくづく思います。
生きる意味
しかし、死に近づきながら生きているのは確か。
還暦を過ぎて体力的にも外見的にも
そして脳の働きにも衰えを実感する今
そんなことを考えます。
死が怖いと言うのではありません。
ちゃんと死を意識して生活することが、
実は今を豊かにすることなのでは?
と思うのです。
「明日死ぬかもしれない」
と思って今を生きるのと
死ぬわけないと思って生きるのとでは
生の質が全く違うように思います。
それを覚悟と言うのかな、とも思ったり。
そして、家族のこと、運営する団体のことを思います。
自分がいなくなった時のことも考えないでいたなら
それは無責任すぎる、と思ったりします。
その時のために今という時間を使うことは
ちっとも後ろ向きなことではないし、
作り上げたものがあるとしたら
それをどう遺していくか考えることが
逆説的だけれども
生きる意味であるような気がします。
残された時間は平等
重い病と闘っている人も
そうでない人も、
1秒後に何が起こるかわからないという点で平等です。
だから、
やっぱり
今日という日をかけがえのない日として
生きることは
生に対して誠実であり
豊かに生きることなのだと思います。
今の活動を通して
命と向き合いながら一日いちにちを精一杯生きる子どもをたくさんみてきて
本当にそう思うのです。
私にとってかけがえのない、
今も心に生きている幼くして逝った子どもたち一人ひとりが
身を以て教えてくれたことです。
今日という日を大切に生きることで
彼らに恩返しができるのかな、と自分なりに思っています。
身近な死が教えてくれた「今をちゃんと生きる」
内田氏の本を読みながら
そんなことを考えていたのと重なるように
先日、叔父(実母の弟)が逝ってしまいました。
まだらに伝え聞いているまま
認知症になり逝った母が伝えきれなかった
戦中、満州から引き上げた時の話、
そして戦後の話を聞かせてくれると約束したじゃないか
母の無念を晴らしてくれると言っていたじゃないかと
突然の死を恨みました。
折りしもその直後に
高校の同級生が旅立ちました。
まだ若い、そうは思うものの
その人の命の重みは
生の長さとは関係ない。
喪失感を振り払うように
みんな精一杯生きたんだ、と心の中で何度も何度も繰り返します。
だから私も等身大でありながらも
今をちゃんと生きようと、
身近な死が再認識させてくれました。
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