沖縄戦の混乱と貧困で、義務教育を受けられなかった高齢者のための夜間中学。ここでおじい、おばあが学校をやり直しています。
フリースクールの2階にある学びの場が、東京新聞特集~貫く人たち~で紹介されていました。
口べらしに漁師の網元に奉公に出された79歳の男性。父親が戦死し、戦後マラリアで母、兄弟をなくした84歳の女性。
「読めない字が読めるさね。わかるようになるって楽しいさ。卒業証書をもらった時は体が震えた。こんな夢みたいなものあるかって」
設立したのは戦後間もない東京で生まれた星野人史さん。
東京で教師を。しかし、1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに、沖縄のために自分に何かできないかと、移住を決めたといいます。学力向上ばかりを目指す学校でなく、思索する力、表現力や想像力を育む教育をする小規模の学校を沖縄の人と作りたかったと。
そこで立ち上げたのがフリースクール「珊瑚舎スコーレ」。
言葉や文章を書くこと、芸術、自然体験に力を入れ、沖縄の歴史や文化、言葉を学び、自分の言葉で表現する力をつける学校。
「学びは他の生徒や教員と一緒に自分を創ること。学校はその手助けをする場所で、知識を教え込む場でも競い合う場でもない」
そんな思いで作った学校の2階に、おじい、おばあたちの学校があるのです。
学校が持つ純粋な喜びを、日々生徒たちに教わっている、といいます。
「無学のままの60年は真っ暗だった」
「鉛筆はドラム缶より重い」
「勉強ってわくわくすることなんだね」
おじい、おばあたちの言葉です。
発見の喜び、学ぶ喜びが自分を変えてくれる、と。
やりがいと楽しさ、そしてその意味を実感しながらの学び、これぞ学校生活のあるべき姿!
おじい、おばあたちの勉強をフリースクールの子どもたちが手伝っている。おじいたちの真剣な姿も生徒たちに影響を与える。助け合い、支え合って学んでいます。
「学校は多様な他者、生徒や教員が集い、思索と表現と交流をする場。授業はそこに集まった人間で何ができるかだ。一緒に学校をつくろう」
さらに、
「フリースクールなどの学びの場で、義務教育や卒業が公的に認められるといい。制度が優先されるのではなく、人が優先される世の中を作り続けなくては」
と星野さんは結びました。
本物の学びのかたち、教育や生き方の本質を突きつけ、今の教育制度、画一的な価値観に則った日本社会の大きな課題を投げかけているようです。