つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

分断のない共生社会への願い新たに

参院選が終わった。

重症の障害を持つ方が2人当選したことは

画期的だ。

国会に多様性を!

いえ、国会から多様性を示す!

そんな心意気に

国民が応えたのだから

大きな一歩。

さっそくバリアフリー化が着手されたというから

大きなうねりを感じずにはいられない。

とにもかくにも

子どもたちの未来のために

分断のない共生社会へ

突き進んでいくことを願う。

さて、先週

ある女性が泣きながら語る場面がテレビに映っているのを

偶然見つけ、そのまま番組に釘付けになった。

知的障害者のケアホーム建設に、地元住民らが反対し計画撤回

これに対して、

この計画に関わった障害のある子を持つ親が

その不条理や憤りを訴えていたのだ。

自分がいなくなったあと、この子はどうなってしまうのか・・・。

 

ケアホームとは

障害者が地域の中で共同生活する住居。

食事や掃除などの家事支援や日常生活の相談

食事や排せつの介護などの支援が受けらる。 

住民らが県道沿いや団地内に「建設反対」ののぼりや横断幕、看板を多数設置、 

建設への反対運動を近隣住民が展開。

障害のある子を持つ親が「親亡き後」を

瞳を潤ませ憂う姿から、

その切実さと悔しさが痛いほど伝わってきた。

こうした親の不安を解消し

残された子どもの幸せを支えることが、

自分のミッションと捉え、

我が子のこれからも含め

同じ思いをしている家庭のためにと

同様のホーム建設を考える当事者は少なくないと思う。

 

まず反対の理由は

・近隣でのトラブルの発生が予想される

・事件が起きた場合、知的障害者は判断能力がないため裁判で無罪となり、被害者は泣き寝入りする

・近くに幼稚園・小中学校の通学路がある

・子どもが外で安全・自由に遊べなくなる

・地域の不動産評価の下落が予想される

など-。

・反対が強い地域では障害者が幸せに暮らせない

―などと一見寄り添ったかに見える理由もある。 

知的障害者グループホームの建設計画に対する、

近隣住民の強烈な「障害者差別」。

地域で暮らす障害者やその家族は

心を深く傷つけられただろう。

許しがたい偏見と差別だ。

「明るく平和な楽しい生活が、ホーム建設によって破壊されるのではないかと不安」

????

反対する人はどれだけ偉いのか!

とハラワタが煮えくりかえる思いだ。

平和?

楽しい?

呑気にもほどがある。

自分たちはたまたま

不自由ないだけ。

自分には関係ないと

なぜ分断し

排除できるのか。

弱者に寄り添う人間的な包容力など0である上、

   自分だっていつかその立場になるかもしれない

   ・・・そんな時は来ない、という傲慢さ。勘違い。

   自分の大切な人が困難にぶつかったら?

   ・・・排除するのか!

想像力の欠如甚だしい。

そもそも、

施設ではなく「住居」であるグループホームの建設に

近隣の同意は法的に必要がないという。

「健常者なら、家を建て居住するのに近隣に説明したり同意を得たりしない。

障害者だって同じ」

とその女性は訴えていた。

自らを健常者と呼ぶ人たちの

傲慢で
自分さえ楽しければ良い、

という幼稚な感覚。

恥を知りなさい!

と言いたい。

投票前のつぶやき(7/15投稿)通り・・

「様々な立場で困難を抱えている人ひとりひとりが孤立しない

ひとりひとりが幸せや喜びを追い求められるような

格差や分断のない共生社会になること」

を願ってやみません。

長野県伊那で見つけた素敵な知的障害者通所施設「アンサンブル伊那」 後日ご紹介します!