つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

喪失感というもの

喪失への恐怖

母を亡くしてひと月が経ちました。

心が閉ざされたような日々は

私から文章を書くという意欲を失わせ

ブログも10日ほど更新することができませんでした。

このひと月半、喪失感もその形を変えてきたようです。

目の前で命を終えようとしている母のそばで

強く感じたのが喪失への恐怖でした。

しかし今、

朝起きてから1日の節目節目に

ご先祖様の遺影に手を合わせるとき、

その中に母の写真も。

ああ、もういないんだな、

という寂寥感と、

姿を見ること触れることができなくなっただけで

魂はホームの個室から戻ってくれ、

私のそばにいつでもいてくれているような

不思議な安らぎがあります。

延命をしないこと、すなわち

命が消えてしまう日が遠くないこと。

そんな日々の方が喪失感が強かったように思います。

認知症は重度だったけれど

身体はとても丈夫だったから

ニコニコしながらずっと生きていてくれるような

そんな甘えん坊な錯覚を抱いていたからでしょうか、

いよいよ肺炎を繰り返して

覚悟を言い渡された頃から

いなくなってしまうことへの焦りが付きまとい、

なんとも落ち着かない

不安な日々を過ごしていた頃は

喪失感への強い恐怖に苛まれました。

受容の気持ち

喪失感・・・

大切な人やもの、大事にしてきたことを失った時の

悲痛な心境。

そんな気持ちで過ごした日々は苦しくて

何も手につかなかった。

けれど今、

喪失感よりも、何かしみじみとした

母という一人のひとの一生を丸ごと

愛しむかのような受容の気持ちが優っています。

母というひと

終戦時、父親をシベリア抑留にとられ、

妹、弟、ひ弱だった母親の面倒をみながら毅然と苦難に立ち向かい、

命からがら満州から引き上げてきた小学校5年生の頃。

価値観のひっくり返った戦後の日本で逞しく生きた十代。

その後、数々の苦労を乗り越え

社会の不条理に立ち向かった強い姿。

事故に遭い、脳に障がいを負い、

それが引き金となり認知症を患い

あれよあれよと重症化して

娘の名前もわからず話もできず

寝たきりになってしまった頃。

一番の相談相手だったのに、

何を話しても、へ〜そうなの〜

って顔で私の顔をじっと見るだけになってしまった。

逝ってしまって大丈夫?

晩年、覚えている中ではっきりと話してくれた言葉といえば、

「頑張ってね、頑張ってね、頑張れる?

よし! それじゃよかった」。

言いながらいかにも納得したようでもあり

少し寂しげにも見える表情をはっきりと覚えています。

私たちきょうだいがいい歳になるまで

心配をかけ続けたってことと、

自分の死期が近いことを悟ったのか、

逝ってしまっても大丈夫?

大丈夫だよね?と、

最後に確認しておきたかったのでしょうか。

死とは無くなってしまうことではない

母の死に直面し、

これほどその人の生きた一生を思い描き胸に刻み、

ストン!と納得したことがあっただろうか、

とうまく言えないけれど

そう思います。

きっと、母は生き切った、

そして安らかに旅立つことができた

その生き様がとても美しく思えるからだろうか、

などと、今まで味わったことのない感覚でいます。

人は生まれて生きて死ぬ。

当たり前のことなのに

大切な人に先立たれると訪れる大きな喪失感。

全身が脱力するほどの喪失感を痛いほど味わったあと、

今、

死とは無くなってしまうことではないのだと思えるのは

自分を産んでくれた母という一人のひとの一生を、丸ごと愛しみ深く胸に刻み、

その生は心の中で生き続けているから。

喪失感が教えてくれたこと

そうは言っても、

 あら〜、おしゃれな事務所じゃない?

なんて言いながら扉を開けて入ってきてくれる

そんな妄想をしながら

やっぱり生きていてほしかったな、

というやるせなさに我に返り

母の存在の大きさを感じるこの頃です。

結局、喪失感は消えないけれど

母を喪失したつもりは全くない、という頑固な思い。

私、どれほど母を愛しているのだろうということを

喪失感が思い返させてくれました。

命が消えてしまう日が遠くない頃の恐怖とは違い、

今、穏やかな喪失感というのでしょうか、

そんな寂しさがどっかりと心に居座っています。

人は自分の意思で生まれてくるわけではないのに懸命に生きます。

人のために尽くしたり、自分を高めようとしたり。

人を愛したり、自分を守ろうとしたり。

与えられた生を大切に

一日一生という思いで今日1日を精一杯生きること

それが結局、喪失感を引きずりつつ、

先に逝った人への供養と感謝につながる、

そんな気がします。

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