つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

母のこと

母との思い出

苦悩を乗り越えなければならない時

いつもそばで励まし続けてくれた母。

認知症になって

今までできていたことが少しずつできなくなる、

そんな自分への不甲斐なさを涙ながらに訴える母を前に

切なさがこみ上げる日々を思い出す。

認知症でも茶目っ気は健在

さらに認知症が進行し

できないことばかりになった自分への無力さに

怒りをぶつける姿もすっかり消え

持ち前の茶目っ気はなぜか健在。

ホームでは人気の可愛いおばあちゃんになった。

しかし寂しいのは

発症する前まで何かと相談に乗ってもらっていたのに

何を話してもうわの空。

二人であっちこっちへ旅行した思い出話も

そうだっけ?

という顔をして聞いてるのかいないのか。

要介護5になってからは

言葉を発することも少なくなり

ついに私のこともわからなくなった。

コロナでも面会

ここ数ヶ月、誤嚥性肺炎を繰り返し、

飲み込む意思も力もなく、胃ろう手術の選択を迫られ、

兄弟で考え通した結果、胃ろうはやめよう、延命は母を苦しめるだけだ、

との結論に達し、ホームの看取りの部屋に滞在を決めた。

入院となれば感染症予防のため面会はできないが、

看取りの部屋は特別に午前午後数十分間の面会ができる。

コロナ禍で1年以上対面での面会ができなかったなか、

孫たちも代わる代わる会うことができ、

ネイルアートを施したり、エステやハンドマッサージなども行い

かつての孫に囲まれたワイワイ賑やかなひと時が蘇った。

好きだった音楽のCDを作って流し、

小さなひ孫たちからのビデオメッセージを聞かせることもできた。

好きだった料理のお出汁にとろみをつけて舌の上にのせ、

味を楽しんでもらうことも。

穏やかな旅立ち

そしてついに火曜日の早朝、旅立った。

面会を重ねた日々は会えることが嬉しかったものの、

目の前でそれはそれは穏やかな顔をしてるのに命をつなぐ手立てをせず、

残された時間、ただ一緒にいることしかできないもどかしさは想定外の辛さだった。

痛みも苦しさも見せず、私の目をじっと見つめて話を聞いている母は、

重度の認知症とは思えず、ただ声が発せられないだけで全て分かっているように見えた。

時折、身体に残された大切な水分を涙に変えて

瞳を潤ますのを見るとそう確信したものだ。

点滴等いっさいつけず、自分の持つ力で全うしたからだろうか、

自然ないのちの終わりは浮腫むこともなく、

とてもきれいな顔で安らかな最期だった。

苦しむことなく眠るように逝った母を思うと、

今やっと気持ちが落ち着き、清々しくさえもある。

母は身を以て「老い」や「いのち」について教えてくれた。

予定している出版記念鼎談イベントのテーマでもある

「いのちの全体性」という言葉が浮かぶ。

母の生は

まさしく、この「いのちの全体性」の側面を告げてくれているのかもしれない。

これからは母から断片的に聞いていた

戦前戦中戦後を生き抜いた生い立ちからこれまでの人生を

少しずつまとめる時間があったらいいなと思う。

学んだことをもう一度噛み締めながら。

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