〜なぜアートなのか〜

「医療現場にアートを持っていくことでどんな効果があるのか」

これは団体趣旨の核心となる問いです。

まず、生活の中で心を豊かにするものといえば、

自然とアート

と考えます。

人間の手によって作られたものがアートであり、その反対が自然。

この対極にあるものが満足や精神の安定をもたらしてくれるというのは、

面白い現象だな、とふと思います。

さてそのうち、

団体のテーマであるアートについて考えます。
私の考えるアートとは・・

「アートの豊かさや多様性は、日常の中に反映させることができるもの」

「気分が落ち込んでいる時、体調がすぐれない時に無意識と言っていいほど自然に求めるもの」

「アートの価値は心のままに表現すること。だからアートに取り組んでいるとき、精神は自由でいられる」

こう考えるとどんな環境にいてもアートの多様性を持ってすれば日常を豊かにできる。

だからとても自由で開放的で個別的な価値を持ちます。

病棟やベッド上という極めて限られた空間にいても、一旦アートに向き合えば心は自由でいられるのです。

病院での生活は、与えられるもので過ごしたり、治療を待ったりと受け身になることがほとんど。

毎日が成長過程にある子どもにとって、

感性を呼び覚ますような情操活動は不可欠です。

もちろん、病気を治すために入院、治療します。医療は最優先であることには変わりありません。

しかし、それだけでは痛みや辛さ、閉塞感などに心が折れてしまいます。

白衣、電子音、冷たい機器に囲まれ楽しむことを諦めてしまいます。

子どもを救い、守るための現場が、子どもの心にかえって傷を負わせてしまっては本末転倒です。

見るだけ、聞くだけではこれも受け身となります。

ですから入院中には特に

アートが主体的な創造活動でなければなりません。

やりたい!

と思うような質の高いプログラムを、

専門家がファシリテートします。

その結果、

高揚感 

感動

自発的な行動

をもたらし、

生きる力、生きる喜びにつながります。

クリエイティブな活動が心も脳も活性化させ、愉快な気分になり、

できた!

という達成感や自信につながります。

この自信があったからこそ闘病を乗り越えた経験が

入院生活を前向きに捉え、

生涯の生きる力に結びつきます。

もう一つの自発的アート効果は、

活発なコミュニケーションを生むこと。

閉鎖空間においてのインクルーシブな社会づくりや、

ダイナミズムや感動をきっかけに、共感が生まれ

孤独感や疎外感を吹き飛ばします。

新しい仲間意識も生まれるかもしれません。

入院中は気分も落ち込んで人に会いたくない、と内向してしまうことが多いものです。

そんな時、

「スマイリングホスピタルジャパン

 アーティストと遊ぼう!

ごご2時から プレイルームにて」

そんなポスターを見てたまたま集まった子どもたちは、

一緒に歌ったり、楽器を奏でて1つの音楽を完成させたり、

ものづくりでは自分の世界に没頭し、作品が完成すれば周りの子たちの作品が気になり

互いに見せ合ったりアイデアを参考し合ったり・・。

大道芸で笑いを共有し、飛び入り参加して人気者になったり・・。

一緒に活動し交流するうち、同じ病室であることに初めて気づき、

それからはそれまで締め切っていたカーテンを全開にして

入院中のさまざまな思い、

好きなこと、

元いた学校のこと・・など、

対話が生まれ、

生き生きとした人間関係が生まれます。

活動を通したコミュニケーションによって、

入院生活の質向上や心の安定をもたらすこと。

この意味に置いても、

SHJならではの大きな価値を見出すことができます。

Smiling Hospital Japan Official Website

〜子どもの権利条約〜

今年は子どもの権利条約が採択されて30年。

子どもの権利条約は1989年11月の国連総会で採択され、90年に発効されました。

✔︎差別の禁止

✔︎子どもの最善の利益

✔︎生存・発達の権利

✔︎子どもの意見の尊重

の4つを基本原則に、

18歳未満の子どもを、

大人に守られるだけでなく

権利を持つ主体として位置付けています。

196カ国・地域が批准や加入をしており、

日本は94年に批准しました。

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採択されてから30年、子どもをめぐる環境は改善されたでしょうか。

世界に目を向ければ、

途上国では

5歳前になくなる子どもの数が減少した

予防接種の実施度が上がった

など、保健や衛生面での大きな向上が見られたと思います。

しかし、別の課題が生まれています。

・自国内で紛争、内戦が起こり子どもがまず犠牲に

・地球温暖化のために干ばつが進み食糧困難が深刻に

・そのため生きるために移動しても国境を超えた途端難民となり人権を奪われる

さらに

・少年兵の問題

・児童婚や人身売買の問題

・女性が教育を受けたり社会で活躍する機会がまだまだ少ないこと

国内ではどうでしょうか。

教育分野で進展があったかといえば疑問符がつきます。

最近の「教育改革」は、子どもの権利が必ずしもテーマになっていません。

子どもが主体的に活躍できる、意見を堂々を言える権利を保障しようというのではないように感じます。

少年法 改正もまた然り。
一方で、児童虐待については、厚生労働省がマニュアルを作り、

児童虐待防止法をつくったりしていますが、児童相談所や児童養護施設の体制に

課題が満載と言わざるを得ない報道が繰り返されます。

ITの進歩による子どもたちの人権意識の鈍化も時代が生んだ大きな問題点です。

1948年に世界人権宣言が採択されました。

民族

人種

性差

・・・

戦後、色々な意味で人権を尊重するべきだとう動きが世界中で起こりました。

すべての人に保障されるべき人権の中で、

✔︎特に弱い立場に置かれている子どもたちに表現の自由を

✔︎虐待や搾取など、権利を侵害されないための特別な保護を

という規定

これが子どもの権利条約です。

戦後、平和を追求してきたはずなのに

気づけば激流と混乱にいるような気がします。

外務省による批准国一覧には内紛の起こっている国もあります。

一番の犠牲者は子ども。

”子どもが何よりの宝である”

ということを、世界中の人が今一度

権利条約をもとに

再確認することが必要です。

子どもの権利条約全文(日本ユニセフ協会サイト)

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〜 憧れ〜

子どもの頃に憧れていた

兼高かおるさんが先日他界されました。

幼い頃、家族でよくみたテレビ番組

「兼高かおる世界の旅」

の案内役。

留学後、英字紙でフリー記者として活動するなか、

飛行機を乗り継ぎ世界一周の速さを競うコンテストで記録を作り有名に。

それがきっかけで世界紀行番組を担当することになったとか。

✈️  ✈️  ✈️  ✈️  ✈️

この番組は海外紀行として憧れの存在でした。

日本人の海外渡航が自由化されるより前の1959年に

「兼高かおる世界飛び歩き」として始まり

翌1960年、私がちょうど生まれた年に

「兼高かおる世界の旅」

に番組名が変わったことは

訃報を告げる新聞記事を読むまで知りませんでした。

海外への憧れが日本中に浸透していく、

そんな大きな影響があった番組ではなかったかな。

もっともその頃はまだまだ個人が海外に気軽に遊びに行けるような余裕が

国民全体になかった時代。

高度成長期前半の頃ですから。

だからこそ、人気の番組でした。

じわりじわりと遠い世界への旅を

いつかは・・、と思い描かせる

そんな存在だったのだと今思います。

私が生まれたのとほぼ同時にスタートしてから30年続いたというから、

小さい頃から、父と二人暮らしをしていた25歳までの

長い時間擦り込まれるが如くに

頭の中に残っています。

唯一父と一緒に見て楽しんだテレビ番組だったな、と

ふと父を思い出しました。

いつも不機嫌で偏屈で。

私が作った料理も味が薄いなどと文句を言って絶対に食べない

誕生日にセーターを買っても

こんなの着ないよ

とタンスの肥やしに。

そんな父と唯一会話しながら楽しんだのが

この番組だったことを思い出しました。

仕事柄、海外出張が多かった父は

いつもの仏頂面は棚に上げて、

サムソナイトのスーツケースを片手に

趣味だったカメラを首にかけ

意気揚々と機嫌よく羽田空港を後にしたものです。

そんな姿を

苦笑しながら見送った・・。

そんな父を12年前に見送って帰ってこないのは、

どこか遠い海外で一人を楽しんでいるのかもしれない

などと思ってみたりします。

そうだといいなと。

都会に憧れて単独田舎から上京し

苦学と紆余曲折の末、国際機関に就職。

都会に、次は外国に

思いはいつもそんなだったから

母に苦労をかけたんだろうな。

「兼高かおる世界の旅」

ふと父とのあれこれを思い出させてくれました。

父の名も薫。

それもまた思い出として、憧れとして、

身近に感じる理由かもしれません。

気軽に社会貢献。ビッグイシューを買ってみよう!

私はビッグイシューが好きで、販売員さんを見かけると、よく買います。

(有)ビッグイシューはその販売を通して、

ホームレスの人々の社会的自立を応援しています。

毎回知り合いの有名人にバトンタッチしていく手法で

スペシャルインタビューが組まれるコンセプトのままに、

表紙はゲストのアップ写真だったり、

食がテーマの回は可愛らしいイラストだったりで、デザインがいい。

セレブへのインタビュー記事あり、笑えるコラムあり。

社会の課題に寄り添った記事も多く、雑誌としての役割をしっかり果たしている気がします。

自然体の内容、

読みやすいボリュームで一冊350円。

うち180円が販売員の収入になる。

最新版は販売員さんが手に持って売っています。

バックナンバーはクリアケースに表紙が見えるように入っていて、

通行人に見やすい角度でたてかけられていて。

つい、

あ、これも面白そう!

とバックナンバーの中身を教えてもらい、

ほんの数秒おしゃべりして、つい2~3冊買う。

ありがとうございました!

またよろしくお願いします!

笑顔で感じのいい丁寧な対応も、

おしゃれな表紙と充実の内容にぴたり。

頑張ってください!

ありがとう!

そんなやり取りは、気持ちがいいのひと言。

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そもそも、家を失ってしまう、というのはなぜ起こるのだろう。

・年齢や健康上の理由などから、仕事につけないこと

・頼れる身寄りがないこと

また、障害を抱えていたり、困窮家庭で育って親族に余裕がなかったりして、

福祉に関する情報を得られなかったり

障害者福祉への周囲の理解が不十分であったりなど、

必要なサポートを得られずに育ち、

生計をたてられずホームレス状態に至る場合も少なくないという。

ビッグイシュー販売という仕事に出会い、ビッグイシュー基金*のサポートで障がい者年金がもらえるようになった人のことがいつだったか、コラムに出ていました。

ビッグイシュー基金=ホームレスの人々の生活サポートを軸に貧困問題解決を目指す認定NPO法人

🌿 🌿 🌿 🌿 🌿

冬の寒い季節、酷暑の夏、雨風をしのげる場所ばかりではない。

それでも販売員さんたち、頑張っている。

残念ながらビッグイシューを買っている人を見たことがない。

なんでだろ。

販売員さんを見かけたらぜひ1冊買ってみて欲しいと思います。

ビッグイシュー日本

 

〜ピース!〜

大好きだった義祖母が去年他界しました。

だから喪中につき、新年のご挨拶は失礼しなければならないところ、

ピース!

とは不謹慎な・・と言われそうです。

しかしおばあちゃん、

めちゃくちゃ明るい人でした。

遺影はなんとピースのポーズ。

1911年生まれ。

97歳の大往生。

激動の大正、昭和、平成を生きたお婆ちゃん。

苦労を重ねたはずの顔には笑顔の表情ジワしかない。

じつに、じつに陽気な人でした。

私こと、再婚して6年半。

ということは義祖母と知り合って6年半。

認知症を発症して特養に入るまでは

気が強く、時々キレては周りを困らせていたそうですが、

私はその後のおばあちゃんしか知りません。

いいとこしか見てないからな~。

いいとこ取り~。

とよく言わますが、

情熱的な人だったことは確か。

そんな義祖母はホームに会いに行くたびに、

「素敵な髪型だね~」

「赤いセーターよく似合ってるね~」

「マフラーがおしゃれだね~」

と、必ず小さなことを見つけては私のことを褒めてくれました。

そして我が息子である孫には、

「幾つになったの?」

「ハンサムだね~」

「今年何年生?」

「こ~んなに小さかったのにもうパパを抜いちゃうね~」

を何度も繰り返し、よく喋りました。

さらに、90歳を過ぎてなお達筆。

遠くに住む娘に手紙を書きたいと言って目の前で書く文字の立派だったこと。

それから、

女学校時代の話を繰り返し話して聞かせてくれました。

おばあちゃんの青春時代。

英語が得意でその頃よく歌ったという歌を

それはそれは綺麗な発音で、

会いに行くたび必ず毎回歌ってくれたものです。

しばし女学校時代の話、

銀行に勤めてからの話、

同僚の野球チームの応援に行った時の話・・・。

ひとしきりおしゃべりが弾むと

一緒に飲んでいたココアを飲み干し、

「じゃあまたね~」

と笑顔で。

エレベータに乗り込み、扉が閉まり見えなくなるまで手を振ってくれました。

また来るね~、と言うと返ってきたのは必ず

See you!

遺影は義祖母らしさに溢れている

満面の笑顔とピース!

手を合わせるより

ピースを返す方がしっくりきます。

今もそのユーモア溢れる笑顔が

毎日、元気と勇気をくれています。

ちなみにブログのプロフィール写真は義祖母と一緒に写ったもの。

隣にいつも大好きなおばあちゃんがいる。

おばあちゃんのピース!があれば

今年も大丈夫!