〜アートで芽生えた生きる希望〜

昨夜、ものごとに夢中になること、自分の作品を仕上げることがいかに生きる意欲や喜びに繋がるのかを

あらためて確認できるようなドキュメンタリーを見ました。

ひとモノガタリ 涙の人生再出発!少しだけ遅い夢だけど」(NHK  3/21 18:00放送)

統合失調症を発症し20年間、施設での生活を余儀なくされたあと念願叶って退院。

しかし社会と断絶された生活を長く続けてきたこの女性は

週二回作業所に通いながらも親しくなれる人ができず、

しだいに家にこもるようになります。

この先どうやって行きていったらいいのか・・。

そんな風につぶやく場面がありました。

そんな時、作業所で行なっていたプリザーブドフラワーアレンジメントをいよいよ商品にすることになります。

それまで熱心に勉強しながらどんなふうにしたら

いいアレンジができるか自分なりに工夫してきたことが

職員の目に留まったのでしょう。

それからはプロの指導を受けながら

時に厳しく

時に励まされながら

飾るシーンに合わせた色合いや花選びに

夢中に取り組み、

素晴らし作品が出来上がりました。

亡くされたお父様のお仏壇に飾るアレンジを、との依頼です。

「素敵ですね!ありがとうございます。

父も喜んでいると思います」

自分が熱中して完成させた作品が

人を幸せにする

そして感謝される

まず創造的な活動をしている時の表情には

それまで見せたことのなかった目の輝きがありました。

完成させるまでの間

フラワーアレンジメントのプロから完成度の高い商品にするためのアドバイスを受け、

互いに考えを話し合う姿は

ミッションに向けた熱意と真剣さが溢れます。

商品を届けた時の喜びの大きさは

その表情からぐっと伝わってきました。

目が心なしか潤んで、頬は昂揚感でいっぱいでした。

作る過程では

心のままに夢中になれるだけではなく

傍らにプロのファシリテーターがいるから学びがある。

よりいいものを作ろうというモチベーションが高まります。

完成品をめぐり

そこには感動や共感や作品への思いが溢れ

それまでにはなかった

人との交流が生まれます。

胸の高鳴りがあります。

自分の可能性に気づき

自信が芽生えます。

これはまさに

スマイリングホスピタルジャパンの

理念そのもの。

病棟で施設で

目指していること、実践していることです。

この女性、

その後は積極的に自分の世界を広げ

苦手だった対話もスムーズになりました。

何より

笑顔が

百倍に増えたことがいちばん!

「アートの力」と

「主体的に取り組むこと」の

偉大さを確認できた

私自身にとっても

団体の理念を裏付けてくれ

自信をくれたドキュメンタリーでした。

病気があっても障がいがあっても子供の可能性を信じる

管理され、いつも受け身の存在として主体となることが少ない教育現場。

「子どもの主体性を大切に」

といった理念を掲げても

細かく系統的に配列された教育課程をこなすのに精一杯、

という先生も多いのではないかと思います。

トータルな成長を目指して子どもの自発性を重んじようとすれば

大変苦しい授業づくりになりそう。

特に病弱や肢体不自由児に対しては

・制限のある入院生活や痛みを伴う処置

・予測しにくい状況

・「どうせ無理」「できないだろう」という周囲の目

・「守られるべき存在」という概念

などのために、子ども自身が主役と感じにくい状況となります。

そうなるとますます「 子どもの主体性」が発揮されにくい状況を作ります。

教育とは施すものではなく

「自分を知り主体的に生きるための手伝い」と私は捉えます。

大人からの押し付けでは自立した人間にはならないと。

教育課程が単にめやすという立場をとり、

そに縛られることなく教師の自由な裁量が生かされる現場であったらなあと思います。

何をどれだけ学習(受身的に?)できたか

に価値をおかず、

どのように学習するか、

つまり学習活動を通して自己肯定感を培い

前向きに生活する自立心を身に着ける方が

「今日は~~の勉強をしました」という事実よりも

何倍も意味のあることのように思うのです。

生きる力になるでしょう。

教師は子どもが主体的に学習する環境を作り、

主体性への手伝いをするというイメージです。

子どもは、

「自発的にできた」

「自分で課題を選ぶことで目標を自ら設定することができた」

「自分で決めたから最後まで頑張れた」

という実感を持ち

尊重された

できた

自分が主役だ

頑張れたことを周囲も喜んでいる

といった達成感や自尊心を持つことができます。

子どもへの向き合い方として、

子どもたちがいったい

授業の内容を楽しんでいるのか

自発的活動という実感を持てているのか

学びが喜びに繋がっているのか

を常に意識に留めることにより

学び学び合うといった

対等で活発な空気が教室に、

学習現場に流れるように思います。

子どもが病気や治療などの苦痛を体験し、

障がいとともに生きようとし

子どもなりにそれを乗り越えていくことは、

子どもにとってこれからの力になるばかりでなく

周囲の大人や子どもに学びや成長をもたらしてくれます。

健常と呼ばれる人たちはこのことにまず気づき、

敬意を払なくてはなりません。

それぞれ一人の人間として尊重し合うために。

〜外に出よう!〜

月に一度、週末に孫3人を預かっています。

助産師をしている娘のシフトが日曜日に入ることが多いためです。

父親も医療現場にいるためオンコールへの出動態勢をとらなければならないこともあり

家族5人揃っての週末というのはなかなかないようです。

それでもアウトドア家族は

時間が揃うとキャンプへと出掛けるようです。

そのせいか、

3人とも外が大好き。

特に末っ子3歳(男の子)は

 そといこ

 そといこ

とすぐに始まります。

特にじいじとのお散歩が大好き。

ただ風に吹かれて歩いているだけで満足な様子。

意気揚々とご機嫌です。

犬みたいだな、と思います。

真ん中のお転婆5歳は公園の遊具が好き。

私の幼い頃とそっくりで鉄棒が大好き。

逆上がりが目下の自慢です。

長男はもうすぐ2年生。

実験と漢字が大好きな学者タイプ。

それでもお散歩に出かけると

空気の匂い、道端の雑草など自然の中に季節を感じる感性の持ち主です。

都会にいても四季折々の変化を見つける幼い子どもの感受性には

目を見張ります。

お兄ちゃんがふと提案します。

「たくさん春を見つけて写真撮ろうよ」

小さな「春」を

写真に収めようと撮影会が始まりました。

そうなるとただ歩くだけの遊歩道も

端に寄りなさい!と怒られながらスキップして素通りしていた植え込みも

宝物がたくさん隠れてるワンダーワールドに変わります。

「わあ、見て!見て!この綺麗な青い実」

「つむちゃん、下に実がいっぱいついてるから(写りやすいように)押さえてて」

とパチリ!

「上の実がなくなってるのは鳥が食べたからかな・・」

「葉っぱがいっぱいに広がってるね」

「太陽いっぱい浴びてるのかな」

「同じ花でも場所によって蕾が開いてないところと花が咲いているところがあるのは日当たりが違うからじゃない?」

「あ、これはカマキリの卵だよ」

「気持ち悪~い」

「四つ葉はあるかな、写真とって後で探そう」

「重なって四つ葉に見えるのもあるよ」

「この葉っぱ綺麗」

「裏はこんなかんじ」

「どんぐりも持って帰ろう」

「どんぐりの帽子に小さな実を入れてみたよ。お皿みたい」

うわ〜、こんな隙間からも。すごいね〜。

激写カメラマンよろしく、歩道に寝転んでアングルを工夫してみたり

すっかりなりきっていました。

これからぐ~んと暖かくなって

桜もどんどん蕾を膨らませるでしょう。

子どもたちの夢も

春の営みのように大きく膨らみますように。

去年、入学式の日に

教室に入ろうとしなかった新一年生だった孫。

途中でふらっと学校から帰って来るかもしれないという想定で

しばらく娘の家に朝から待機していた一年前の春を思い出します。

やれやれ慣れたようだな、とお役御免になりましたが、

一度、登校途中に引き返そうとしたけど

帰っても家には誰もいないことにふと気づき

「やっぱり学校に行ったんだ」

と打ち明けてくれたことがありました。

通学路に公園がある。

なんという絶好の道草スポット。

この環境で遅刻しないほうが不思議なくらい。

一度帰ろうとした日以外は遅刻はしてないとのことだが・・・。

自然との対話は自分との対話。

・・僕は僕らしく生きていく・・

ちょっと人と違っててもいい

いえ、違ってて当然

違っていることに近視眼的になるのではなく

何に興味を持っているのかに

大人は寄り添い好きなことを応援できるような

あったかい環境があれば、

のびのびとした成長につながるだろうな、

と自然の中の子どもを見ていて

思いました。

〜バリアフリーの怪・・;)〜

怪シリーズで書いてきた公共交通機関での謎

1  優先席の怪

2  駅ホームエレベーターの怪

3  ホームドアの怪

すべてバリア除去が趣旨でありながら

ちょっと変だな。

と日頃感じていることを

だらだらと綴っています。

続く第4弾は 

ズバリ!

そもそもバリアフリーとは⁉️

について疑問をぶつけてみます。

バリアとは段差など物理的なものをつい思い浮かべますが、制度、文化、意識面でも様々な壁があるのは確かです。

しかし、依然

物理的な障壁についてもう少し掘り下げたくなりました。

段差をなくす

これはもはや車椅子ユーザーにとっては必須です。

しかし、白杖ユーザーが地面の段差に杖を打ちつけて感覚をつかみ、

段差をむしろ手がかりにしているような風景を見かけます。

あ、これより右側(左側)には段差があるからここを歩こう、と見通しを持つ

そんな場面です。 

段差があることでそれに沿って歩く、ということもできるかもしれません。

もし段差が全くなかったらどっちの方向を向いて歩けばいいのか、見当がつかないだろうな、と想像します。

いやいや、バリア撤去しきれてないところを

たまたま利用してるだけだよ、

ということなのかもしれませんし、

これはあくまでも個人的な感想なので誰にとっても段差は危険だ、

というのが本来なのかもしれません。

また、駅ホームの点字ブロックは

そんな方たちへの導線として各駅に施されています。

しかし、こちらは逆に車椅子ユーザーにとってはバリアとなります。

こんなふうに考えると、

バリアフリーとは

一つひとつ、対象が違っていて

誰にとってもバリアフリー

ユニバーサル・バリアフリー?

というのはもはや叶わないのかな、

とちょっと寂しい気持ちになります。

ある人たちにとってバリアフリーでも

別の立場にとっては

バリアアリー !?

になっちゃう。

この現象を

バリアフリーコンフリクト(Conflict=対立、衝突)

と呼ぶそうです。

バリアフリー化が別のバリアを作ってしまう。

もはや普遍的なテーマ。

あちらを立てればこちらが立たず

といったところでしょうか。

バリアフリーは自分には全く必要ないと考えている人にとっても

実はちょっとした所で

なんか変だな、不公平だなとか

思うことがあるかもしれません。

物理的な問題ではなく、制度的なバリアにぶつかる場合も多いと思います。

参考:バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ(中邑憲龍氏/福島智氏 編)東京大学出版会

〜本を書くということ〜

 

伝えたいことがある。

たくさんの人に知ってもらいたいことがある。

そんな強い思いに共感し

賛同してくれた出版社がいます。

「本を売ること」だけが目的でない

「本を書く人の夢を応援すること」

これがこの出版社の理念です。

企業理念に感動し、駄目元で企画書を読んでもらいました。

構成は拙いもの・・だったと思います。

初めてですから。

でもきっと、

瀕死の事故から生還してなお続く苦難

その後身を置くことになった病院内の学校

子どもたちとの交流で学んだことを形にした生き方に

強い関心を寄せてくれ

立ち上げた活動内容に心から賛同してくれたのだと思います。

とてもいい企画なのでぜひ進めましょうと連絡があってから

なんども編集会議を開いてくれ

その合間になんどもやり取りを重ね

企画書を提出してから3ヶ月ほどした頃

企画が正式に通りました!

と夢のようなメールが届きました。

人生のテーマを確立し

やっと見つけたミッションを胸に

信念を持って行っていること。

そこに行き着くまでに何がそうさせたのか。

それをどのように形にしたのか。

それによって何が起こったか。

さらにこれから先どうしたいのか。

読んだ人を巻き込みたい・・。

だから本を書く。

ビジョンやミッションに気づかせてくれたできごとや

エピソードをちりばめて

文章にしていく。

自分自身の生き方を

自分と向き合い対話しながら

整理していく。

今までの紆余曲折

無駄に思えたこと

マイナスに捉えていたこと

全てが導いてくれた答えが今の自分

スマイリングホスピタルジャパンという仕事

~難病や障がいと闘う子どもたちを

プロフェッショナルアートで支援する活動~

たくさんの人から共感をいただき支えられ大きくなった。

この活動がずっと続きますようにと願いながら

本という形にし

次の世代に引き継いでいく。

いわば、人生を全うするための準備。

だから書くことは

「命を燃焼」させることのように思います。

1年半ほど前に始めたブログ。

その投稿数は400ほど。

思えばパソコンに向かうたび、

自分に向き合い

社会に目を向け

ひとつひとつ

自分の使命に重ねていたように思います。

奇跡的にとりとめた命を

改めて大切に燃焼させながら。

これから数ヶ月かけ

今ある素材、ブログや原稿を整理していきます。