SHJ研修・交流・親睦会大いに盛り上がりました!

SHJメンバーの勉強会、

北海道から沖縄までアーティスト、アシスタント

事務局ボランティア、事務局スタッフ

総勢179名いるメンバーのうち

82名が参加しました。

毎年3月第4週末に開催する研修会は今年が4回目。

日赤医療センターの講堂は人数も熱気も毎年増え続けます。

全員紹介の後は恒例の勉強会。

講義1

「赤ちゃんと音楽の不思議~乳幼児期の音楽性の発達にみるヒトの基本デザイン~」

by SHJ愛知地区コーディネータ・ドラムサークルファシリテータ 箕浦恭代氏

講義2

「AI時代の能力と特別支援教育 テクノロジーとアートの果たす役割」

 by 東京大学先端科学技術研究センター教授 中邑賢龍氏

(講義ごとに別ブログでまとめます)

に続く交流タイムでは

地区の枠を超えたグループワークをしました。

お題はなし!

7~8名ずつ11グループ

全てのメンバーがグループを作りますから

アーティストもアシスタントも

事務局も全員がそれぞれの立場で、

日頃感じていること、

みんなに聞きたいこと、

心に残ったエピソード、

アイデアの出し合い・・・

など、声、声、声の大変な賑わいです。

グループごとにテーマも少しずつ決まっていき

活発な意見交換となりました。

日頃個別で活動しているために

地区内でもなかなか交流できない部分はランチミーティングで。

このグループワークは他地区の仲間との触れ合い。

同じSHJでも地区によってカラーが違っていたり

同じジャンルでもアーティストごとに味が違う。

活動風景も全て異なります。

初めて出会う仲間もいる。

そんな人との話し合いもとても貴重です。

こんなことがあった!

あの時は感動した!

プロのアーティストとして活動することの意義!

これからこうしたい!

そんな”思いの発表”から、

ああ、そんなやり方もいいなあ。

なるほど、同じ読み聞かせでもそんなやり方があるんだ・・。

などと、

”聞くこと”で

新鮮なアイデアや気づきが生まれ、

大きな学びの場となりました。

ワークのまとめとして

これからに向けての”決意表明”を

それぞれのグループから発表してもらいました。

さすがアーティストたち

パーフォーマンスを交えて発表したり

歌で披露したり

だんだんと夕方からの懇親会に向けてボルテージが上がっている

という様相ありありです。

その前にしっかりとSHJの理念を全員で確認、共有です。

主な決意表明は以下の通り。

・マンネリ化は絶対NG!

・一度きりの出会いもある。一期一会を大切に!

・現場を巻き込もう!

・病気、障がいの子としてでなく、そして父も母も同じように分かち合えるように!

・家族や医療者などケアする人の笑顔ももっと作れるように!

・子どもたちとの共同作業がSHJ参加型活動!

・プロとして誇りを持って!

・引き出しをたくさん作ろう!

本当に熱心な人ばかり。

ワークの最後は

SHJテーマソング”かけがえのない君へ”

全員合唱で決まり!

私が参加したグループで話されたエピソードは感動的でした。

ある病院の看護師長さんからのお話。

「たくさんのボランティアがいる中で

病室まで行っていただくのはスマイリングさんだけです」

設立者として

「よかったんだ。この団体を作って」

素敵なエピソードを交えて

”プロのアーティストが病棟へ行く意義”

を全員で共有でき、大成功の研修会でした。

続く懇親会は場所を変えて

渋谷VREXにて!

情熱たっぷりに真剣だった面々の変容を別ブログでたっぷりとまとめます。

Smiling Hospital Japan Official Website

SHJテーマソング”かけがえのない君へ”

〜アートで芽生えた生きる希望〜

昨夜、ものごとに夢中になること、自分の作品を仕上げることがいかに生きる意欲や喜びに繋がるのかを

あらためて確認できるようなドキュメンタリーを見ました。

ひとモノガタリ 涙の人生再出発!少しだけ遅い夢だけど」(NHK  3/21 18:00放送)

統合失調症を発症し20年間、施設での生活を余儀なくされたあと念願叶って退院。

しかし社会と断絶された生活を長く続けてきたこの女性は

週二回作業所に通いながらも親しくなれる人ができず、

しだいに家にこもるようになります。

この先どうやって行きていったらいいのか・・。

そんな風につぶやく場面がありました。

そんな時、作業所で行なっていたプリザーブドフラワーアレンジメントをいよいよ商品にすることになります。

それまで熱心に勉強しながらどんなふうにしたら

いいアレンジができるか自分なりに工夫してきたことが

職員の目に留まったのでしょう。

それからはプロの指導を受けながら

時に厳しく

時に励まされながら

飾るシーンに合わせた色合いや花選びに

夢中に取り組み、

素晴らし作品が出来上がりました。

亡くされたお父様のお仏壇に飾るアレンジを、との依頼です。

「素敵ですね!ありがとうございます。

父も喜んでいると思います」

自分が熱中して完成させた作品が

人を幸せにする

そして感謝される

まず創造的な活動をしている時の表情には

それまで見せたことのなかった目の輝きがありました。

完成させるまでの間

フラワーアレンジメントのプロから完成度の高い商品にするためのアドバイスを受け、

互いに考えを話し合う姿は

ミッションに向けた熱意と真剣さが溢れます。

商品を届けた時の喜びの大きさは

その表情からぐっと伝わってきました。

目が心なしか潤んで、頬は昂揚感でいっぱいでした。

作る過程では

心のままに夢中になれるだけではなく

傍らにプロのファシリテーターがいるから学びがある。

よりいいものを作ろうというモチベーションが高まります。

完成品をめぐり

そこには感動や共感や作品への思いが溢れ

それまでにはなかった

人との交流が生まれます。

胸の高鳴りがあります。

自分の可能性に気づき

自信が芽生えます。

これはまさに

スマイリングホスピタルジャパンの

理念そのもの。

病棟で施設で

目指していること、実践していることです。

この女性、

その後は積極的に自分の世界を広げ

苦手だった対話もスムーズになりました。

何より

笑顔が

百倍に増えたことがいちばん!

「アートの力」と

「主体的に取り組むこと」の

偉大さを確認できた

私自身にとっても

団体の理念を裏付けてくれ

自信をくれたドキュメンタリーでした。

 〜しつけという名の暴力〜

相次ぐ児童虐待を受けて

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン

「子どもに対するあらゆる体罰を禁止するために」

という”質問集”を発行したと新聞で知りました。

これは、子供に対する体罰の影響や法規制の必要性を訴えるもの。

あえて作らなくてはならなかった背景には

児童虐待が絶えないことの裏に

しつけという名目だろうが暴力は絶対に悪である

という考えかた自体が思っているほど

当たり前にはなっていないということでしょうか。

「子どもを殴ることと愛情を込めて叩くことには大きな違いがある。体罰の禁止はやりすぎでは?」

という質問があったこと自体びっくりです。

どんな意味があって叩くかよりまず

叩く行為自体に問題がある

とは感じないのでしょうか。

叩くことで子どもの尊厳を傷つける

という意識には至らないのでしょうか。

「わがままで自制心が欠如した子どもになってしまうのでは」との質問もあり。

力づくでしつけようなどと

子どもを人間と思ってないのかと怒りがこみ上げます。

困ったら暴力で解決しましょうとしつけしているようなものです。

日本政府も児童虐待防止法や児童福祉法に体罰禁止を盛り込んだ法改正を進めています。

まさに昨日、親権者のしつけでも体罰を禁止する改正案が閣議決定されました。

まず児童虐待防止法とは・・

1989年に国連で「子どもの権利条約」が採択され、

日本も1994年(平成6)批准。

改めて2000年(平成12)5月に「児童虐待の防止等に関する法律」(児童虐待防止法、平成12年法律第82号)が制定されました。

新しい児童虐待防止法では、18歳未満の児童に対する虐待を

「身体的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄など)、心理的虐待」

と定義し、関係者の発見・通報を義務づけました。

2004年には同法の改正により「児童虐待は著しい人権侵害」と明記され、

さらに児童福祉法の改正により

虐待防止に関する市町村の役割の明確化や対策地域協議会の設置など地域対策が取り入れられたほか、

2008年以降には児童虐待防止法・児童福祉法とあわせて、

児童の安全確保のための立入検査や養育支援事業などの推進が行われてきました。

さらに2011年には、虐待する親から子を守るため2年以内の親権停止を認める民法改正が行われ、

2012年4月から施行されました。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より

そして児童虐待防止法改正案は?

「しつけの際の体罰を禁じる」

保護者だけでなく、児童福祉施設の職員ら子供の養育に携わる人が対象です。

民法の「懲戒権」の扱いは施行後2年をめどに検討するとしています。

ここで、

民法の「親の子どもに対する懲戒権」とはなんでしょう。

調べてみました。

「親が子を戒めることを認めた民法」で

基本的親子関係について定める民法に規定されています。

社会問題化している子ども虐待を防止することを目的として民法の一部改正が行われたのが平成23年で、

平成24年4月に施行されているのが次です。

・第820条(監護及び教育の権利義務)

親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

・第822条(懲戒)

親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

改正されたのは

「子の利益のために」

「必要な範囲内で」

が加わったこと。

子の利益のためならば暴力は許されるのかという疑問以前に

暴力が子の利益になるという考えそのものに大きく首を傾げます。

暴力の使用を認める余地を残しているだけ。

親の支配的権力を容認しています。

たまたま、サイトをあちこちみていたら驚きの発見がありました。

民法は、懲戒方法を具体的に定めていません。

しかし、最も詳細な民法注釈書である新版注釈民法(25)は、その方法を次のように示しているのです。

「懲戒のためには、

しかる・なぐる・ひねる・しばる・押入れに入れる・蔵に入れる・禁食せしめる

など適宣の手段を用いてよいであろう(以下、省略)」

もはや言葉が出ません。

「懲戒権」の扱いは施行後2年をめどに検討とのこと。

やっと今回の改正で

「しつけの際の体罰を禁じる」

ことになりますが、

「しつけの際の」

という文言を入れることによって解釈を曖昧にしているように感じます。

親の支配的な機能、

大人が子どもを支配管理しようという意図が見え隠れし

上下関係を存続させようという大人の未熟さ、

依然否定できません。

🌱 🌱 🌱 🌱 🌱

つい子どもに手を上げてしまったことがあります。

一度だけ。

これは今でも自分自身にとって汚点だし傷です。

娘にその頃のことを思い出して

「ごめんね」

と謝ったことがあります。

「そうだっけ?覚えてないよ」

子どもの思いやりにかえって

自分が情けなくなります。

体罰。。

される側の傷は計り知れないけれど、

する側にも傷が残ります。

いかなる理由があれども

力に頼ることは罪です。

「子どもの体罰を禁止」

当たり前に思っているはずのことを

法律で定めなくてはならない・・

人間の未熟さ、危うさを表しているように思えてなりません。

病気があっても障がいがあっても子供の可能性を信じる

管理され、いつも受け身の存在として主体となることが少ない教育現場。

「子どもの主体性を大切に」

といった理念を掲げても

細かく系統的に配列された教育課程をこなすのに精一杯、

という先生も多いのではないかと思います。

トータルな成長を目指して子どもの自発性を重んじようとすれば

大変苦しい授業づくりになりそう。

特に病弱や肢体不自由児に対しては

・制限のある入院生活や痛みを伴う処置

・予測しにくい状況

・「どうせ無理」「できないだろう」という周囲の目

・「守られるべき存在」という概念

などのために、子ども自身が主役と感じにくい状況となります。

そうなるとますます「 子どもの主体性」が発揮されにくい状況を作ります。

教育とは施すものではなく

「自分を知り主体的に生きるための手伝い」と私は捉えます。

大人からの押し付けでは自立した人間にはならないと。

教育課程が単にめやすという立場をとり、

そに縛られることなく教師の自由な裁量が生かされる現場であったらなあと思います。

何をどれだけ学習(受身的に?)できたか

に価値をおかず、

どのように学習するか、

つまり学習活動を通して自己肯定感を培い

前向きに生活する自立心を身に着ける方が

「今日は~~の勉強をしました」という事実よりも

何倍も意味のあることのように思うのです。

生きる力になるでしょう。

教師は子どもが主体的に学習する環境を作り、

主体性への手伝いをするというイメージです。

子どもは、

「自発的にできた」

「自分で課題を選ぶことで目標を自ら設定することができた」

「自分で決めたから最後まで頑張れた」

という実感を持ち

尊重された

できた

自分が主役だ

頑張れたことを周囲も喜んでいる

といった達成感や自尊心を持つことができます。

子どもへの向き合い方として、

子どもたちがいったい

授業の内容を楽しんでいるのか

自発的活動という実感を持てているのか

学びが喜びに繋がっているのか

を常に意識に留めることにより

学び学び合うといった

対等で活発な空気が教室に、

学習現場に流れるように思います。

子どもが病気や治療などの苦痛を体験し、

障がいとともに生きようとし

子どもなりにそれを乗り越えていくことは、

子どもにとってこれからの力になるばかりでなく

周囲の大人や子どもに学びや成長をもたらしてくれます。

健常と呼ばれる人たちはこのことにまず気づき、

敬意を払なくてはなりません。

それぞれ一人の人間として尊重し合うために。

〜外に出よう!〜

月に一度、週末に孫3人を預かっています。

助産師をしている娘のシフトが日曜日に入ることが多いためです。

父親も医療現場にいるためオンコールへの出動態勢をとらなければならないこともあり

家族5人揃っての週末というのはなかなかないようです。

それでもアウトドア家族は

時間が揃うとキャンプへと出掛けるようです。

そのせいか、

3人とも外が大好き。

特に末っ子3歳(男の子)は

 そといこ

 そといこ

とすぐに始まります。

特にじいじとのお散歩が大好き。

ただ風に吹かれて歩いているだけで満足な様子。

意気揚々とご機嫌です。

犬みたいだな、と思います。

真ん中のお転婆5歳は公園の遊具が好き。

私の幼い頃とそっくりで鉄棒が大好き。

逆上がりが目下の自慢です。

長男はもうすぐ2年生。

実験と漢字が大好きな学者タイプ。

それでもお散歩に出かけると

空気の匂い、道端の雑草など自然の中に季節を感じる感性の持ち主です。

都会にいても四季折々の変化を見つける幼い子どもの感受性には

目を見張ります。

お兄ちゃんがふと提案します。

「たくさん春を見つけて写真撮ろうよ」

小さな「春」を

写真に収めようと撮影会が始まりました。

そうなるとただ歩くだけの遊歩道も

端に寄りなさい!と怒られながらスキップして素通りしていた植え込みも

宝物がたくさん隠れてるワンダーワールドに変わります。

「わあ、見て!見て!この綺麗な青い実」

「つむちゃん、下に実がいっぱいついてるから(写りやすいように)押さえてて」

とパチリ!

「上の実がなくなってるのは鳥が食べたからかな・・」

「葉っぱがいっぱいに広がってるね」

「太陽いっぱい浴びてるのかな」

「同じ花でも場所によって蕾が開いてないところと花が咲いているところがあるのは日当たりが違うからじゃない?」

「あ、これはカマキリの卵だよ」

「気持ち悪~い」

「四つ葉はあるかな、写真とって後で探そう」

「重なって四つ葉に見えるのもあるよ」

「この葉っぱ綺麗」

「裏はこんなかんじ」

「どんぐりも持って帰ろう」

「どんぐりの帽子に小さな実を入れてみたよ。お皿みたい」

うわ〜、こんな隙間からも。すごいね〜。

激写カメラマンよろしく、歩道に寝転んでアングルを工夫してみたり

すっかりなりきっていました。

これからぐ~んと暖かくなって

桜もどんどん蕾を膨らませるでしょう。

子どもたちの夢も

春の営みのように大きく膨らみますように。

去年、入学式の日に

教室に入ろうとしなかった新一年生だった孫。

途中でふらっと学校から帰って来るかもしれないという想定で

しばらく娘の家に朝から待機していた一年前の春を思い出します。

やれやれ慣れたようだな、とお役御免になりましたが、

一度、登校途中に引き返そうとしたけど

帰っても家には誰もいないことにふと気づき

「やっぱり学校に行ったんだ」

と打ち明けてくれたことがありました。

通学路に公園がある。

なんという絶好の道草スポット。

この環境で遅刻しないほうが不思議なくらい。

一度帰ろうとした日以外は遅刻はしてないとのことだが・・・。

自然との対話は自分との対話。

・・僕は僕らしく生きていく・・

ちょっと人と違っててもいい

いえ、違ってて当然

違っていることに近視眼的になるのではなく

何に興味を持っているのかに

大人は寄り添い好きなことを応援できるような

あったかい環境があれば、

のびのびとした成長につながるだろうな、

と自然の中の子どもを見ていて

思いました。