投票前のつぶやき・・・

熱い選挙戦が繰り広げられています。

様々な立場で困難を抱えている人ひとりひとりが孤立しない

ひとりひとりが幸せや喜びを追い求められるような

格差や分断のない共存社会になることを

願ってやみません。

最低賃金を1500円に!

という政策を掲げる政党もいます。

とてもいいなあと思います。

しかし現在の最低賃金に

地域差があることや

小さな事業所にとってはいきなりどうなんだろう・・

と思ったりします。

そもそも何らかの理由で仕事に就けない人もいる。

障がいや難病があったり、

家族の介護や障がいのある子どもを持つ母親など・・。

健康な人と同じように労働できる人ばかりではない。

基本的人権にあるように

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

のです。

就業自体が困難な人たちが

まず外に出て

または

在宅で

社会と関われる土壌づくりが必要と考えます。

* * * * *

ベーシックインカムという考え方があります。

広がりつつあるけれど

政策として掲げる政党がない

ということは

財源を確保することがいかに難しいことなのか

ということも想像がつきます。

だけど夢は膨らみます。

仮に無条件で全国民に

生活基礎費用として7~10万円支給されたら

自分の生活スタイルに合わせて足りない分を働き

あとの時間は

自己実現のための時間

社会を良くしようという活動のための時間

そして考える時間

など、

人間的で幸せで文化的な生活を送ることができるかもしれない。

就業が困難な人にはセーフティネット

のような役割となる。

給付条件なしだから

社会保障制度のシンプル化&経費削減

にもなるだろう。

せっかく生まれてきた人生

生きる(生活費を得る)ためだけに働くのではなく

働く(自己実現&社会貢献の)ために生きる

へ方向転換できるのではないかな、と思います。

もちろん

人それぞれ「働く」

ということの価値観は違うでしょう。

しかし

少なくとも生活に余裕ができれば

大人にも子どもにも笑顔が増える。

幸福感の底上げが図れて

結果的に

文化水準も上がって豊かな社会になるんじゃないかな・・

などと

梅雨空の雲の隙間から覗く日差しを見上げながら

ぼんやり物思いにふけっています。

勉強不足&ピント外れ・・・ご容赦ください・・。

笑わせているのか笑わせてもらってるのか・・😆

パフォーマンスで笑って頂けているのか、

子どもたちが大人を笑わせているのか、

演じていて分からなくなってくる・・

という大道芸人のはっちーさんのコメントを紹介します。

✏️・・・・・

入院1週間目で退屈しているという4歳の男の子のところへ

おじい様とおばあ様がお見舞いにお越しでした。

看護実習生さんも2名同伴。

保育士さんの

「一緒に楽しむだけじゃなくてAくんの様子も見てカンファレンスで言えるようにするのよ!」

という実習生への耳打ちに僕も緊張。

少しでもAくんの変化を引き出し、

カンファレンスに貢献できるよう頑張りました(笑)

幸いAくんは

変化を見つけるには打って付けの人見知りで、

初めは部屋に入って来させず

「廊下でやってもらって」

とおじい様に耳打ちしていましたが、

パフォーマンスを進めるうちに

時折笑い

ポツリポツリと言葉を返してくれるようになり

今だ!とばかりに

「もう友達だよね?お部屋に入っても良いよね?」と聞いてみる。

それでも頑なに首を横に振り続けていました。

その反応がかえって周りの大人の笑いを誘うのです。

そのうちなんとか

部屋に入る許可!

を得ることができました。

そんなAくんでしたが、

パフォーマンス後に偶然おじい様とお話しする機会があり、

お聞きしたところによると、

僕たちがいなくなってから

嬉しそうに自分が感じたことなどを話していたそうです。

お孫さんのお話を嬉しそうにして下さる様子を見て、

こちらもまた嬉しくなりました。

ベッド柵に鼻と口を押し付けながら熱心に?見てくれる子。

「あとでプレイルームでもやるから見ないでね。同じことするから」

と伝えると

本当に見ないようにしてくれる真面目な子。

そんな子どもの様子を見た大人たちのほうが笑顔にさせられる

という現象が色々な場面で起こっていました。

子どもたちの反応は百人百様、数十分の中でも変化に富んでいて、

僕を含め大人たちを魅了していたように思います。

こうやって楽しんで頂けると

喜んで頂ける媒体としての自分の芸を実感できることが、

また次への原動力や意義にも繋がり、

本当に有り難いなと思います。

今回も帰りのバスの中で

子どもたちや親御さんの言葉、反応を思い返しながら

「自分の芸は人に喜んでもらうためにある」

と例によって30分間だけ!?

清らかな気持ちで別人のようになっていました

(家に着く頃には元に戻ります)。・・・✏️

私は私で

そんなはっちーさんの報告書を

読みながら笑わせてもらっています。

*****

この活動にアシストしたのは

埼玉地区コーディネータでもある小田愛梨さん。

アシスタントのコメントも

現場の様子を思い浮かべるのための

大切なツールです。

🖍・・・・・

見ている人達にスポットライトを当てながら

パフォーマンスをするはっちーさん。

その場の人を巻き込んでいく

コミュニケーション力とパフォーマンスで、

子供、保護者、スタッフとその場にいる人たちが、

“見やすい””居やすい空気”を作ります。

見る側とパフォーマンスを行う側との垣根を作らない

距離のとり方が絶妙です。・・・🖍

七つ道具を入れるカバンの中は

いつも色とりどりのバルーンで散らかっているのを

見るに見かねたアシスタント。

整理の仕方のアドバイスをしたところ

カバンの中は

見違えるほどに改善され、

バルーンの色をすぐに子供たちが選べるようになり感激しました、

というアシスタントのコメントに

アーティストとアシスタントの微笑ましい関係性と

理想の連携を

垣間見た気がしました。

*****

余談ですが

病棟には毎回ポスターを掲示していただきますが

保育士さんの提案により

以前よりも目立つように

より目立つ場所に掲示されるようになりました。

ケロヨンの

「静かにしましょう」

とのアンマッチな感じがNICE!

普段はケロヨンが医療スタッフを代表し

安静が必要な患者さんのために極力静かにと

呼びかけている中、

毎週月曜のこの時間は

”アーティストと遊ぼう!”

で賑やかにしていいよ!!、と

笑顔で許可を出してくれています。

このユーモアのセンス

何気なさすぎて笑いを誘います。

やられたっ!

徳島はっちープロフィール→SHJ関東アーティスト紹介

Smiling Hospital Japan Official Website

自由な学校が増えつつも・・・

イエナプランをはじめとする

生徒の自主性を最優先する教育法を

実践する現場が増えつつあり

その傾向がさらに

幼児期の教育にも

波及するだろうことを

前回綴りました。

→2019/7/8投稿〜教室はリビングルーム!「イエナプラン教育」

自由な学校

個性を発揮できる学校

そんな学校も増えているような気がします。

しかし

依然として管理教育が幅を利かせている現状があります。

教育=子どもを管理すること

と勘違いしている大人はいませんか。

管理しなくては

子どもは悪い方へ流れる・・

といった性悪説が

根底にあるような気がしてなりません。

画一性や受験戦争で疲弊する子どもたちを救う手立てとして

個性尊重

多様性

という言葉が流行り言葉のようになった時代がありました。

個々を大切にすることで競争は減り

多様性を認めることで管理は緩和される

と期待したはずが結果は

個性を尊重するがゆえに競争も多様化激化

多様だからこそ管理強化

学校はもはや多様性に、個性に、

ついてゆけない・・

といった感じです。

だから

ブラック校則

という異様なルールが作られ

平気で

地毛を染めろ

さもなければ地毛証明を出せと

全く馬鹿げた管理に走り、

部活の強制加入で

週末も盆や正月も練習練習と

競争に追い立てる。

子どもの人権を無視して

一括管理せずには置けない組織。

それが学校であるならば

全く信じたくない事実です。

学校が

生徒の自由を奪えば

生徒は学校での自己実現を諦めるでしょう。

学校が

教師に校則ありきの指導を強要し

部活顧問等で教師の拘束時間を増やせば

教師は思考停止におちいり健康は奪われます。

理不尽な校則がまかり通り

子どもたちを締め付け人権を無視し

幸せを奪うような学校はいらない

直ちに改善されなければならない課題です。

主体性を重んじることで

そして

対話を大切にすることで

生徒と教師の関係も良くなり

管理など不要だから校則はほとんどなく

生徒が生き生きと生活するようになった・・。

そんな世田谷区桜丘中学校を

ぜひ手本にしてほしい。

→2019/5/9投稿〜正解のない学校

かつての荒れた学校が

生きた学校に生まれ変わった。

これは事実。

生徒も教師も輝く

居心地のいい学校を作ることは可能なのです。

教室はリビングルーム!『イエナプラン教育』

教室正面の黒板に向かって机を並べる

「一斉授業」のスタイルではない。

子供は机を向かい合わせて島をつくり、

一人ひとりが自分の課題に取り組んでいる。

これは

2019年4月、長野県佐久穂町の

大日向小学校が

日本で初めて取り入れた『イエナプラン教育』

という教育法の一場面。

まるで教室はリビングルーム。

図書室だって

机と椅子があって・・

というスタイルに加え

クッションやソファが置かれていて

おもいおもいの格好で読書ができるという。

姿勢を正しく!

本と目の間は30cm!

なんて先生の言葉が上から飛んでくることはない。

スローガンは、

「子供の主体性の尊重、異なる他者の受容、学校共同体」

目指すのは、

「対話を通して共に生きることを学ぶ学校」

✏️ 📕 ✏️ 📗 ✏️ 📘 ✏️

自立学習が中心。

基本それぞれの状況に応じた課題に個別に取り組み、

グループリーダーが数人集めて教えることもある。

話合いの時間もふんだん。

輪になって、全員がおたがいの顔を見られる状態に座るサークル対話。

話すだけではなく、ひとの発言を終わりまで聞く練習でもある。

全てが双方向のカリキュラムの印象だ。

これによって子どもたちは、

民主主義社会の基本となる対話と合意形成とは何かを学ぶという。

〜子どもたちの自主性が大切にされる学校〜。

これだけ子どもたちに自由を保障している学校では

ナビゲーターとしての

教員の力量が求められると想像する。

それもそのはず

基本のカリキュラムのもと、

各教員の裁量はとても大きい。

✏️ 📕 ✏️ 📗 ✏️ 📘 ✏️

このオランダ発「イエナプラン」は

まさに以前投稿した

「フィンランドの教育」

に趣旨を同じくするところが大きい。

2017/7/12投稿〜フィンランドの教育〜

また、中学校で言えば東京都世田谷区の桜丘中学校でも共通した価値観のもと学校教育が行われている。

→2019/5/9投稿〜正解のない学校〜

これらの基本は全て

愛読書「ティール組織」フレデリック・ラルー著(英治出版)

でも紹介されている

「ティール学校」の考え方に拠る印象だ。

→ 2019/5/13投稿 ティール組織-3-〜学校版〜

長野、広島・・・

日本でもこの教育法が広まりつつある。

この流れが

就学前の教育にも影響が及ぶと確信する。

その例として

日本では幼児教育として存在している

「モンテッソーリ教育」。

主体性を重んじることをはじめとした観点で

イエナプラン教育へはスムーズに移行できそうだ。

モンテッソーリ小学校も増えるかもしれない。

シュタイナー教育への理解も進むだろう。

それによって

フリースクールの立ち位置も明確になり、

その存在意義と価値も

見直されていくような気がする。

こうして教育の選択肢が増えていく・・。

子どもの輝く瞳が増えそうだ。

参考:2019/6/14投稿ブログ〜不登校の子どもを守る!〜にて教育の選択肢を作ることの必要性を「教育機会確保法」を紹介しながら述べました。

〜幼児教育に望むこと〜

幼児期から文字や数字の概念を

自然事象の中で

また

感覚教具などを使って

身につけることは

大事なことだ。

幼稚園や小学校受験のための予備校!から

英語プリスクールに至るまで

就学前の早期教育はずいぶんと

定着した。

体験的な活動を通した

自然との触れ合い

コミュニケーションの養成

など全人教育を目指すところも

少なくない。

ここに加えてほしい分野?がある。

障害理解教育。

ある調査によれば

幼稚園や保育園で

障害理解教育をしていないところは65%にのぼる。

その理由は

✔︎やり方がわからない

✔︎人手が、足りない

✔︎必要がない

✔︎時間がない

大きく改善してほしいと

切に願う。

では

障害理解教育を、少なくとも

幼児教室と呼ばれる施設で

積極的に取り入れてはどうか。

数字や文字を習得する前に

自分が生きているこの世界は広いこと、

ぼく、わたしはそのほんのひとつぶに過ぎないこと、

でも一人ひとりがかけがえのない存在として

世の中はできていることを

知ってほしい。

そんな共生社会の成り立ちを

肌で感じられる機会をたくさん作ってほしい。

スポンジのように素直に吸収する

純粋な時期に

目の前のことに駆り立て

自分の能力!を高めること

ひいては幼い頃から

競争意識を持たせるような教育はいらない。

   みんな違ってみんないい

という金子みすずさんの

あまりにも有名な詩が浮かぶ

人は一人ひとり違う。

生きていればどんな人だって

いろんな困難に出会う。

まず自分でやってみてそれでも解決しないときに

助けを求めるちからをつけることで

ひとと協力し合うことの素晴らしさを学ぶ。

いろんな状態の人と一緒に生活することが

当たり前と考える。

ここが大前提にあれば

他人の痛みに気づき

何ができるか一緒に考え、

人が困っているときは自然に

手を差し伸べる人に成長するのではないか。

障害とは?

障害者とは?

などという教育はいらない。

誰にでも困難はあって

困難にもいろいろあって・。

その中に

例えば

車椅子で生活する人

目が見えない人

自分で思うように身体を動かせない人

思うことがうまく表現できない人

がいることを

肌で感じるような時間をたっぷりとる。

人形遊びを通して

絵本の読み聞かせを通して

という方法が一般的だが、

障害者はできない人

お世話が必要な存在

と思わせることで

自分が優位に立ち

分断した立場という認識を

持たせる危険かあるように思えてならない。

自分にもできないことがたくさんある

お世話してもらいながら生きている

とにかく

お互いに助け合おうよ

という心根が育つような

幼児教育を望みます。

もちろん、

幼児教室だけではなく

幼稚園や保育園で

そして家庭で。