〜ハイタイ!〜

ウチナーグチ(沖縄方言)の挨拶です。

ハイタイが女性、ハイサイが男性語です。

グスーヨーチューウガナビラ!松本ヤイビーン

(どうも、皆様こんにちは、松本です)

息子が久米島に離島留学して半年、大自然の中、ゆったりと自分に向き合う様子を知らせてくれています。

10/29、東京久米島郷友会、第57回定期総会・懇親会に初めて出席しました。

会場に入るとそこはもう沖縄。とにかく温かく優雅。両手を広げて他者を受け入れる懐の深さ、おおらかさが、居心地の良さを生み出します。

「久米島魅力化プロジェクト」と銘打って、行政、教育委員会、商工会、学校、寮、島民有志が結束してスタートした離島留学制度。

「島の教育は島全体で応援する」が目標、そしてもちろん子どもを送り出す島外では留学生制度をサポートしています。

教育だけではありません。

もう一つの島の誇りは海洋深層水。

海洋深層水とは、水深200M以下を流れる海水でその持ち味は低温性、富栄養性、清浄性です。 

それを利用しているのが、海洋温度差発電。表面と深層の温度差が20度以上なければできないとのことで、この条件を満たすのは沖縄や小笠原といった低緯度地域だけだそう。

久米島は、沖合わずか2.3kmという近さで海洋深層水を取ることの出来る珍しい島です。

島内で必要な電力を賄うにはまだ足りないですが、今後規模が大きくなれば石油燃料に頼らない、エネルギーの完全自給が可能になるかもしれないと、島民の大きな期待がかかっています。

さらにこの海洋深層水を使った牡蠣の完全陸上養殖は世界初の試み。強みはクリーンな海洋深層水ならノロウイルスの危険性がないウイルスフリーであること。

また、生産量全国No.1の海ぶどうやクルマエビは久米島の名産として人気ですが、これも海洋深層水で育てられます。もちろん、飲料水としても、化粧品の製造も行われています。

これらの産業で2016年度には年間25億円の経済効果があったと報告がありました。雇用創出も1000人規模が見込まれるというから、久米島の未来は明るい!

コストのかかる海洋深層水利用ですが、大規模化すれば相当な電力が賄え、普段私たちが払う電気料約30円/kWhに対し、20円/kWh以下で発電が可能!

ただ、廃水については課題で、生態系への影響が今後の研究ですが、クリーンエネルギーとしての実用化に夢が膨らみます。

人口8000人ほどの小さな島に秘められた可能性。底力を感じます。

さて懇親会では様々な沖縄の伝統芸能が披露されました。三線弾き語り民謡、沖縄拳法、子どもたちの踊るエイサーは特に見事。

そのあとのお楽しみ抽選会では琉球泡盛 久米島銘酒「美ら蛍(ちゅらほたる)」をいただきました。

お開きはカチャーシー。

カチャーシーとは、祭りや結婚式など祝い事の最後に、参加者皆で喜びを分かち合う踊りのこと。

会場全体が熱気に包まれました。

帰り際、ちゃっかりと沖縄民謡姉妹デュオ「なんくるさんしん」と写真に収まりました😁!沖縄の方ですよね!なんて言われて、嬉しい気分。

息子が久米島高校を卒業しても毎年参加したいくらい楽しかった!

参考サイト:久米島Life 

なんくるさんしんFacebook 

SHJヒストリー22 〜人との出会いが夢を叶えてくれる〜

そもそも・・・

ボランティア団体を立ち上げるためにはどうしたらいいのか。

思いばかりではダメ、って学校でもよく言われてるじゃないか。

さっぱり勉強不足であったことにふと気づき、門を叩いたのは東京ボランテイア・市民活動センター

特別支援学校進路担当の教員が紹介してくれました。

相談員は最初から最後まで「無理じゃないの~」メッセージを全身で発していました。

何?何?

小児病棟に入って行って芸術活動を? 

ベッドサイドまで行っちゃうの?

それで病院のあては?

一緒に始める仲間は?

・・・

・・・

病院での活動って、ハードル高いわよ。

それも小児かぁ・・。

かなり大変なこと。

いばらの道を覚悟しないと。。

まあ、また行き詰まったらいつでもいらっしゃい。

・・・はい!相談時間終了。

自分が小児病院で働いていることが何の助けにもならないのはどうしてだろう。

そうだ、あの人に相談しよう。

定年退職後、同じ病院のピアサポート(同じ病気を経験した者同士が支えあう場)に勤務していて、捕まえては話を聞いてもらっていた頼れる先輩教員から、日本ホスピタルプレイスペシャリスト協会の集まりがあるから来ないか?

との誘いを受け、そこでたくさんの病棟保育士さんたちに出会うことができました。

さすが、入院中の子どもたちに遊びを提供する団体、大勢の熱い思いに惹き込まれました。

そこで出会ったうちの一人が、最初に活動を始めることになった神奈川県立こども医療センターの保育士さん。

横浜で病棟保育士と看護師の集まりがあるから、そこでプレゼンを!とこれまた願ってもない提案があり、そこでクラウディのパーフォマンスと併せてプレゼンテーションをしました。

これが2012年2月のこと。

嬉しいことに3つの病院からオファーがありましたが、実現に至ったのは神奈川県立こども医療センター1つ。

いきなり、全国に15しかない小児がん拠点病院*の一つで活動が始められるなんて!

夢が現実になりつつあること、ワクワクしながらも緊張感に震えたのを覚えています。

共感が共感を生み始めた瞬間。

忘れてはいけない初心と感謝の気持ち。

続く・・。

*小児がん拠点病院は、地域における小児がん医療及び支援を提供する中心施設として地域全体の小児がん医療および支援の質の向上に資するなどの整備に関する指針の要件を満たし、第三者によって構成される検討会の意見を踏まえて、厚生労働大臣が指定した病院です。(国立がん研究センターHPより)

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SHJヒストリー21〜 Why not? Let’s do it!〜

Albertからの弾丸メールが相変わらず続く中、2学期期末テストも終わり、成績をつけて・・と仕事もひと段落。

頭の中はスマイリングのイメージを膨らませることただ一つ。

一緒に活動してくれそうなアーティスト・・そうだ、ALTのクラウディはコメディアンでもあった。

闘病中の院内学級の子どもたちにうんと爆笑をプレゼントしていたあのクラウディ。笑いを生み出す芸は最高にクリエイティブなアートだ。

私は異動していて職場が違っていたので、メールで相談してみることに。

メールなんかじゃじれったいとばかりに、すぐにウキウキした声が電話から聞こえてきました。

OK!  Let’s do it!

返事はシンプルかつ迅速。

Why not?

職場が病院だったので、企画書を作ってまずはボランティアコーディネーターを訪ねました。

「看護局を通さないと・・」

「ボランティアを管理するのが大変・・」

「もうこの病院にはボランティアさんたくさんいるから・・」

「いちいちコーディネートするのは大仕事なんですよ・・」

あれれ、誰のための病院ボランティア??

子どもたちの生活を豊かにしたい、その部分に触れてほしかったのに・・。

出鼻をくじかれ、すごすごと退散。

もっとも、この苦い経験をバネに、2年後にはこの病院の最上階にある

”赤い絨毯敷きの総長室”

へ直談判に行くという強行作戦実行。

向こう見ずなことを平気でやってしまうところが図々しいオバさん、と言われる所以。

それでも緊張のせいか、慣れない毛足の長い絨毯のせいか、足を取られつんのめりながら豪華応接テーブルにたどり着く。その先には小さく見える総長さんの顔。

思い切り声をはりあげることになった私は、ちょっとアホに見えたかも。

私の必死の訴えに、総長さんが、

是非!」

と笑顔で頷いてくれ、天にも昇る気持ちを急降下させたのは総務課のボランティア担当。

ボランティアは管理が大変なんだよ・・。

ということで今回も却下。

ちなみにあれから3年後・・「是非打ち合わせしましょう!」

と連絡が来て改めて「今度こそ!」と意気込み、「あれから実績も積みましたよ~」という得意な気持ちと説得材料を抱えて勇んだものの、またまたお蔵入り。ただし却下ではない。

Albertからの提案が来て2つ目の季節も真っ只中。

アーティスト一人決まっただけだ。

どう?そろそろメドがついた?とAlbert。

「うるさい!そんな簡単な話じゃないんだ」

そんな時、励まされた言葉は、

“Why not? Let’s do it!”

続く・・・。

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~痛みが教えてくれるもの2~

今週から週2回の通院リハビリ&毎日の自主リハが始まりました。

術後1年間毎日頑張ったリハビリの成果は大きくて、多少のしびれと可動域が左腕よりは狭い、という程度までに回復しました。

最初は指先がやっと動かせるほどの深刻な麻痺だったことを考えると、改めて人間の自己回復力に身を持って感嘆します。

今になって痛みと痺れ、思うように動かせない、という症状が再発したのには、17年間の筋肉の使い方にも問題があったようです。

ずっとかばうようにして使っていた右腕が悲鳴を上げている状態。

これから数十年?子どもたちのために活動を続けていくには、もう一度リハビリを頑張る!と決心。今日もこれから荻窪の整形外科へ。

たかが片腕の軽い麻痺くらいでうろたえていてはいられません。

肢体不自由の子どもたちの中には、絶え間ない痛みの緩和のために神経ブロック(麻酔注射)を常につけていたり、筋肉の緊張をほぐすための大量の薬を投与されていたり。

意識が回復し気づくと背中に神経ブロックの針が常に刺さった状態であったことを考えると、事故の衝撃で上半身の骨がバラバラになってしまった時の痛みに匹敵する痛みが彼らには常にあるのだ、ということ。

自由に動けることをあたり前に生活していると、困難とともに生活する方たちの存在はまるで他人事。

ただ気の毒だ、と。そして次の瞬間、忘れてしまいます。

自分で選んだのではない試練を与えられ、そうでない人と同じ社会の中で生きていくために、どれほどの苦しみや理不尽さと闘いながら過ごしているのだろう。

私たちは自由に動けること、障がいのないことを当たり前と思ってはいけない、たまたまそうなんだ、と思わなくては。

そして試練を背負う方たちやご家族への尊敬の念を持ち、教えを請うくらいの敬いの気持ちを持つ関係を築いていけたら・・・

・・・どんなに優しくて愛に満ちた世の中になるでしょう。

SHJヒストリー20 〜いよいよ設立⁉︎💦〜

設立のちょうど1年前の2011年秋、かつて勤めていた銀行の当時の人事部長T氏から連絡が入りました。

温和で懐の深い、尊敬している元上司です。

東大病院のすぐ近くでコンサルティング会社を経営していて、仕事が引けると本郷三丁目の美味しいおでんやさんに何度か連れて行ってくれました。

今回もおでんで仕事の疲れを吹っ飛ばそうなどとお気楽な私。ところが事務所に行ってみると、おでんよりももっと奥深い私の野望!を知っていたかのような提案が。

当時チェースマンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)のOBOG会日本支部会長だったT氏は世界各地にいる銀行の退職者と繋がっていて、今回はハンガリーのOBからの連絡を受けて、私に連絡をしてきたとのこと。

私なんぞは、そうそうたる優秀な同期の行員たちの中で、デキの悪さでひときわ浮いていた。公私共に心配かけさせられた私を気に留めてくれるT氏には常に頭がさがる思い。

ハンガリーで退職後弁護士をしているAlbert Royaards氏が始めたSmiling Hospital Foundation in Hungary。病院の子どもたちにアートを届ける活動を周辺国やアジアですでに8カ国に広げている、ぜひ日本でも!と。

誰か適任はいないかとの連絡を受け、趣旨に賛同したT氏は有能な元部下たちに提案するも、なかなか病院と縁がある人が見つからない。多分、苦肉の策で、院内学級で英語教員をしている、おでんをパクパクと食べる元気な元部下に話だけでも、と思ってくれたのだろう。病院に勤務し、英語教員とくればAlbert氏と英語で打ち合わせもできるだろう、と考えたとT氏。

これはまさに私がやりたかったこと!アイデアを形にしなければ始まらない、と思っていた矢先。

今回はその提案を聞いて頭がさがるどころか、思わず抱きついてしまった記憶があります。

お調子ものの私は二つ返事で、

「やります!!!」

だけど、その後地球の裏側から届いたのは、私の熱意に圧倒された、という励まし?の言葉とアイデアだけ。

Albert氏曰く、

「まず一つの病院で隔週で活動するとして、アーティストへの謝金を2回分、ポケットマネーで始められるでしょ。。寄付集めは同時進行で」

無謀なようだが、子育てもほぼ終わった独身貴族の私は教員としての月給が少しずつ貯蓄できるようになってきたタイミング。

すべて見透かされている!!

Albert氏とは、メールでのやり取りのみ。しかも段々と「この人、かなり”いけいけ”の人。3月まではフルタイムで働く私の多忙さにはお構い無しだ」

と半ば呆れてしまった。

しかし快諾したのは私。

T氏も引き気味だったところへ私の返事、さぞ安堵したことだろう。

確かに200%やりたかったことだけど、もうちょっとマイペースでやらせてもらえないかなぁ・・。

しかし、彼からの弾丸のようなメールは英語の勉強にもなったし、同じパッションを感じて、会ったこともないのにいつの日かとても親しい間柄になっていきました。

背中をぐいぐい押してくれるAlbert氏。2年後に来日した時の印象。

やっぱり思った通りの”いけいけ”の、そしてパッションの塊。

意気投合したのは言うまでもありません。

続く・・・。